石油地政学史④ - 独ソ「ラパッロ条約」→ 英米再接近 → 第二次世界大戦へ
更新日:石油を支配すれば、諸国を支配できる。ヘンリー・キッシンジャー
第3回では、第一次世界大戦で英国が勝利したもう一つの重要な鍵は「金融」。すなわち米国のFRB(連邦準備制度)創設であることがわかった。
第4回目となる本稿のテーマは、独ソ ラパッロ条約。
第一次世界大戦後、英米は協力関係からライバル関係に変化していたが、大陸国家ドイツ・ソビエト連邦が接近したラパッロ条約で戦略を変更。
英米が再び協力して、ドイツを第二次世界大戦で葬ることになった。
- 本稿の前提となる地政学「ハートランド」については別項をご覧頂きたい。
- 本シリーズでは、ハートランドを巡る近現代史をウィリアム・イングドール氏著書*の助けを借りて早足で振り返ってみた。
- 本シリーズの一貫したキーワードは「石油」「金融」「ハートランド」
*ウィリアム・イングドール氏の著書 - 「ロックフェラーの完全支配 石油・戦争編」。中国で大学の教科書に採用。
ラパッロ条約 - 独ソ接近
1922年イタリア・ジェノアで国際経済会議が開催。英国が催促して開催されたジェノア会議の目的は主に二点。
- ロンドンを中心とした国際金本位制の復活*
- ソ連との外交関係スタート**
* 各国とも戦時中は戦費を賄う紙幣を大量に刷るため、金本位制を停止していた。
** ロシア帝国時代の国際債務を踏み倒したソ連は、国際的に孤立していた。
ソ連の賠償請求放棄とドイツの工業技術
独外相ラーテナウと ソ連外相チチェーリンの歴史的合意 ラパッロ条約
この会議には敗戦国ドイツ・ラーテナウ外相と、誕生して間もないソビエト連邦・チチェーリン外相も参加。ジェノア近郊の村ラパッロで両者は協定に合意。
ソ連 | ドイツに対する賠償請求を免除 |
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ドイツ | 工業技術をソ連に販売 |
独ソの二国間協定に衝撃を受けたのは、ソヴィエトのバクー油田を狙っていた英国と米国。これを転換点として、英米は再び協力せざるを得ない関係となっていく。
ラパッロ条約の意味
東欧を制するものはハートランドを制し、
ハートランドを制するものは世界島を制し、
世界島を制するものは世界を制する。ハルフォード・マッキンダー
- 独ソ ラパッロ条約によって ドイツの技術、鉄鉱は、ソ連のバクー油田拡張に利用されることは明白。
- ロシアの石油がドイツに流れ込むことで、ユーラシア大陸に強力な経済圏が誕生してしまう。
独ソが協調し、ユーラシア大陸に眠る巨大なパワーが誕生することこそ、英米が恐れた事態。マッキンダー地政学ハートランドの観点から、これは英米覇権の終わりを意味するからだ。
ラーテナウ外相の苦悩
ラーテナウ外相は決して英国を無下に扱ったわけではなく、債務返済のために現実的な解決策としてソ連とのラパッロ条約を調印したのだ。
当初は 経済復興大臣であったラーテナウ外相。ドイツ経済を復興させることで ベルサイユでの賠償金返済ができるよう、連合国側(英国)に何度も提案、懇願している。
英国は ドイツが生存できないくらいに 経済資産を剥奪していたにも関わらずだ。
完膚なきまでのドイツ叩き
そのドイツ経済の復活を 徹底的に阻止せんとばかりに、英国はドイツの全輸出品に26%もの重たい関税を設定。
独外相ラーテナウは、天文学的 賠償金の支払いを決して拒否していない。現実的な返済計画を阻止したのは 英国自身であった。
ラパッロ条約の結果
ドイツ | ラーテナウ外相暗殺 |
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フランス | ルール工業地帯占領 |
イギリス アメリカ | アクナキャリー協定 |
ラーテナウ暗殺
ラパッロ条約のわずか2ヶ月後、独ラーテナウ外相は暗殺。
ユダヤ人でもあったラーテナウ暗殺は 極右による犯行であったが、ドイツでは英国関与が疑われた。
ルール工業地帯 - ドイツ心臓部をフランスが占拠
また、フランスがドイツの返済がわずかに滞ったことを理由に、ドイツ経済の心臓部であるルール地方を占領。これに英国は見て見ぬふりをした。
英国は手を汚さず、フランスがドイツを懲らしめる役割を担うことは、英国のバランス・オブ・パワーに適っていたのだ。
つまり、この後に米国経由で提案するドーズ計画を飲めば、俺(英国)がフランスにルール工業地帯撤退の口を聞いてやるよ、というわけである。
ドイツのハイパーインフレ
国士ラーテナウ暗殺による ドイツ政治への不安と落胆は 大きかった。さらには ルール地方を奪われたことによる ドイツ経済への打撃は、あまりにも甚大。
ルール工業地帯の重要性
- 人口の1割が居住
- 石炭・鉄鉱生産の8割
- 貨物輸送の7割
ストライキ → ハイパーインフレ
ドイツ心臓部の労働者たちは フランスの占拠に怒り、ストライキで抵抗。ドイツ政府は労働者と家族を守るために、紙幣を大量印刷。
その結果 ドイツ・マルク通貨は破綻し、ハイパーインフレが発生した。
ドイツ国民の資産消滅
ハイパーインフレが発生したことで、一般ドイツ国民の資産は無価値化。中間層は消え、ことごとく貧困に直面。
当時のドイツ国民が、どれだけ尋常でない事態にさらされたか。想像できるだろうか。
物価指数の比較
100円で買えたパンの価格が、翌年には7.5兆円。家族をどう養えというのか。
1922年7月 | 100 |
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1923年11月 | 7,500,000,000,000 |
ショックドクトリンの準備完了
ドイツ経済が大パニックに陥ったことで、次の計画が受け入れられやすくなった。
今日で言うショックドクトリンという手口だ。
ドーズ計画 - 新たなパワーバランス
米国はドイツからの賠償金返済を継続させるため、新たにドーズ計画を作成。
ドーズ案の了承
疲弊したドイツも英国も、米国から提案されたドーズ案をすんなり了承。
フランス | ルール工業地帯撤退 |
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ドイツ | 債務支払い計画の緩和 |
前衛アメリカ・後衛イギリス
英国は「米国の政策決定に影響力を持ちながらも、表舞台に立つのは米国に任せる」方が有利だと計算したのだ。
ここに新たな世界秩序を築く上で、英米の役割が定まった。前衛にアメリカ、後衛に英国が控える形だ。
ドーズ案の結果
外見 | ドイツ経済に復興の兆し |
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実際 | ドイツは米国資本を借りて返済という自転車操業 |
ドーズ案でフランスがルール地方から撤退し、一応の返済計画が立ったことでドイツ経済は一息をつけた。
ただし、ドーズ案の正体は英米によるさらなる搾取だった。ハイパーインフレはドーズ案を受け入れさせるために必要であるから発生させたのだ。
- 連合国への賠償金の支払いは、英米から借りたお金を充当
- 債務残高は最初より増加
ドーズ案の正体 - 無限返済ループ
英米の金融資本家たちは笑いが止まらなかっただろう。ドイツに融資した金は、手数料+利子がついて返ってくるのだから。
ドーズ計画に則り、真面目に賠償金を支払い続けたはずが、債務残高は最初より増えていた。ドイツは無限借金地獄に国ごと突き落とされていたのだ。
英米支配下のドイツ
財政金融も復興も、完全に英米支配下のドイツ。
生殺与奪を握られている以上、ラパッロ条約のように英米を怒らせる構想が発生する心配はなくなった。
アクナキャリー協定 - 英米による共同世界統治
アクナキャリー城(スコットランド)
一方、ラパッロ条約による独露接近を受けて、英米は互いの再連携を模索していた。
1928年にはシェル社、BP社、スタンダード石油社がスコットランド におけるシェル社の居城アクナキャリーで会合。
石油市場の世界シェアを、現状で維持するアクナキャリー協定が締結された。言い方は悪いが、マフィア同士が互いのシマを荒さず 共存を計ったようなものだ。
イギリス | シェル石油 BP社 |
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アメリカ | スタンダード石油 |
アクナキャリー協定 - 米ソ以外のエリアにおけるシェア決定
アメリカ | 独占禁止法の目が厳しい |
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ソ連 | 石油は国有化 |
米ソ以外のエリアで、石油利権をどうシェアし合うか を整理したのが アクナキャリー協定。
当の石油産出国の意思は無視し、勝手に世界市場を分割したわけだ。
アクナキャリー協定 - 英米 石油カルテルの結成
- 既存の市場分割とシェア維持
- 価格競争を終了
これにより、英米による世界石油支配の共同統治が開始。
英米石油大手3社で発足したこのカルテルは、後にいわゆるセブンシスターズ*へと発展。複数企業のカルテルは、実質的に一社も同然。世界の石油覇権を確固たるものにした。
*セブンシスターズ - 石油メジャーとも呼ばれる 巨大な国際石油資本7社。 米5社:スタンダード石油社(エッソ、モービル、シェブロン)、ガルフ社、テキサコ社 / 英2社:ロイヤルダッチシェル社、BP社
1929年 - 世界大恐慌でドイツは?
1929年には米国から賠償金減額の提案であるヤング案も取りまとめられた。
しかし同年、米国NY発の世界大恐慌が始まると、ドイツ経済にはその影響がまともに直撃。
ドイツ経済は、英米資本にどっぷり依存していたので当然だ。
マッチ王クルーガー - スウェーデンから白馬の騎士
大恐慌を理由に、英米はドイツへの与信切断の検討をちらつかせる。
窮地に陥ったドイツに、スウェーデンのマッチ王 イーヴァル・クルーガーが巨額の融資を申し出た。
クルーガーは戦争で疲弊した欧州各国に、マッチ販売の独占権を条件として巨額の融資を繰り返していた。
クルーガーとNYのシマ争い
ワラをもすがるドイツにとっては、天から白馬の騎士が舞い降りたようなもの。
一方、ドイツをなぶりものにしたい英米の金融資本家たちには、クルーガーの申し出がおもしろくなかったことだろう。
マッチ王クルーガー
クルーガーの変死体発見
1932年、パリのホテルでクルーガーの死体が発見。
当初は、自身の金融帝国が不振に陥ったことを 理由とした 自殺とされていた。ところが近年の検証では、他殺*であることが疑われ始めている。
*クルーガーの親しかったスウェーデン人の仕事仲間には、なぜかスウェーデン語でなく、英語で書かれた遺書が残されていた。
断たれたドイツの希望
本稿で深堀りはしないが、世界大恐慌とはNYやロンドンシティの国際金融資本によるマネーゲーム。
地球規模のギャンブルに、ドイツは崩壊という形で付き合わされた。どれだけ多くのドイツ人家庭が塗炭の苦しみを味わい、途方にくれたことだろう。
ドイツの怒りが頂点に
英米資本による終わりなき袋叩きに、ドイツの怒りが ナチスヒトラーの台頭という形で顕在化。
世界は第二次世界大戦へ突入。その結果、ドイツは東西に分解されてしまった。
戦後の新世界秩序
石油地政学史 第5回では、「英米による新世界秩序 - ブレトンウッズ体制・マーシャル計画」の巧妙な罠に、世界が騙された様子を描く。
この記事のまとめ
石油地政学史④ - 独ソ「ラパッロ条約」→ 英米再接近 → 第二次世界大戦へ- 大陸国家 独ソがラパッロ条約で接近することによるランドパワーの復活を、英米は恐れた
- 独外相ラーテナウ暗殺と、フランスによるルール工業地帯占領でドイツ経済は大打撃
- 英米の石油メジャーが競争関係を停止し、アクナキャリー協定を締結
- 米国からのドーズ案でドイツ財政はさらに搾り取られ、スウェーデンのマッチ王クルーガーからの融資もクルーガーの不審死で御破算
- ドーズ案による大西洋環流マネーでNY金融資本が大儲け
- あまりにも痛められつけられたドイツではナチスが台頭し、第二次世界大戦へ向かった