石油地政学史③ FRB創設〜1919年ベルサイユ体制 - 英米対立と共同統治システム
更新日:石油を支配すれば、諸国を支配できる。ヘンリー・キッシンジャー
石油地政学史 第1回, 第2回では、第一次世界大戦で石油が勝敗を握ったことを学んだ。
英国が勝利したもう一つの重要な鍵は「金融」。すなわちFRB(連邦準備制度)の創設だ。
外国から資本を呼び込めないドイツと違い、英国は米国FRBという打ち出の小槌を手にしていた。
- 本稿の前提となる地政学「ハートランド」については別項をご覧頂きたい。
- 本シリーズでは、ハートランドを巡る近現代史をウィリアム・イングドール氏著書*の助けを借りて早足で振り返ってみた。
- 本シリーズの一貫したキーワードは「石油」「金融」「ハートランド」
*ウィリアム・イングドール氏の著書 - 「ロックフェラーの完全支配 石油・戦争編」。中国で大学の教科書に採用。
1913年 FRB創設 - 戦争準備の完了
第一次世界大戦で、連合国を勝利へ導いた石油。
もう一つの秘密兵器は、ロンドンの金融資本家たちが持っていた「NYの巨大資本JPモルガンとの特別な関係」。
J.P.モルガンJr. - 第一次世界大戦後、ナイ委員会から死の商人として追及を受けることに。
FRB創設秘密会議 - モルガン家の別荘にて
JPモルガンは、欧州ロスチャイルド家の米国における代理人とされる存在。
本稿では詳細を省くが、米国FRB* 創設の秘密会議は モルガン家所有のジキル島にて開催された。
ロックフェラー家やロスチャイルド家の代理人が、事実上の米国中央銀行を自分たちの私有銀行として成立させたのだ。
*FRB - 連邦準備制度。わざとわかりにくい名前にされているが、事実上のアメリカ中央銀行。政府機関ぽくしているが、ロスチャイルド家、ロックフェラー家、モルガン家の私有銀行。
銀行家たちが米国を乗っ取った
新聞報道 - ウィルソン米大統領がFRB設立に署名。
1913年12月23日という議員たちが帰省するクリスマス休暇を狙い、ウィルソン大統領に連邦準備法への署名を説得したという。
後の世界通貨米ドルの通貨発行権を獲得したことが、その後100年の世界覇権で決定的なパワー源になった。
なぜ中央銀行?
民間人が所有する中央銀行を創設することで、中央銀行オーナーたちが自由にマネーを発行できる。
政治家である必要がないので、民主主義選挙で国民に選ばれる必要もない。銀行家たちがすべきこととは、国家から通貨発行権を奪うだけだった。
経済の素人ウッドロー・ウィルソンを 1912年大統領選挙で勝利させた時点で、すでに第一次世界大戦は予定されていたのだ。
軍産複合体 =(通貨発行権 + 軍需産業)
- ロンドンの指導を受けたNYの銀行家たちが 通貨発行権を米国政府(米国民)から奪ったことで、米国の軍需品を大量生産する資金ができた。
- 海外に米ドルを貸し付けることで、米国産の軍需物資を買わせることが可能になった。
戦争を理由として、通貨を大量に発行できる。通貨を多く発行すれば、それだけ多くの利息を獲得できる。
利息の裏付けは米国民の所得税なので、取りっぱぐれることもない。
戦争 = ビジネス
戦争は 膨大なマネーを消費するビッグイベント。例えば、朝鮮戦争では日本国が特需の恩恵を受けた。
ビジネスとして、通貨発行権と戦争はセット。戦争で大儲けする軍産複合体の誕生だ。
ウィルソン米大統領の後悔
FRB創設以降のアメリカという国家は、FRBオーナーたちの食い物に成り下がっている。
FRB創設の意味を深く理解しないまま署名したことを、さすがに後年のウィルソンは後悔していたという。
私はうっかりして自分の国を滅ぼしてしまいました。ウィルソン米大統領
1919年、ウィルソンはノーベル平和賞を受賞。
1914年 第一次世界大戦 - 米FRBが支えたロンドン財政
欧州がまるごと戦場になるのなら、まともに機能する証券所は NYウォール街のみ。世界中のマネー・金はNYに集中し、NYから世界に融資されるわけだ。
モルガン家との特別な関係を持つ大英帝国は、金融面でもドイツが持たない優位性を持っていたことがわかる。
FRB創設 - 戦争資金の心配がなくなった
米ドルを無限に刷るパワーを背景に、大富豪たちは第一次世界大戦の準備を完了させた。戦争は資金があってこそ可能なプロジェクト。
FRB創設の翌年に第一次世界大戦が勃発したことは偶然ではない。
1913年12月 | FRB設立法案通過 |
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1914年7月 | 第一次世界大戦勃発 |
JPモルガン - 戦争マネーピラミッドの頂点に君臨
英国政府は米国での一括代理店に、JPモルガン商会を指名。軍需大臣ウィンストン・チャーチルの計らいだ*。
- 米国からの戦争物資調達を任せる単独代理店
- 米国の金融機関から戦争負債を借りる際の代理店
英国はロシア・フランス・イタリアの軍需物資や戦費調達の保証人にもなった。地球規模となった金融ピラミッドの頂点に、一介の私企業にすぎないモルガンが君臨。
*後にチャーチルは資産運用に失敗したが、モルガン系の銀行家であるバーナード・バルークが補填。首相も歴任したチャーチルは父親の代からロスチャイルド家と通じてもいた。
モルガンの巨大権力
英国を中心とする連合国側の全物資調達を独占したモルガン。当然ながら巨大なパワーが集中。米国の工業製品・食糧輸出を誰が受注できるかを モルガンが決定。
化学薬品会社デュポン・ケミカル社、武器会社レミントン社は モルガンのお気に入りだった。
国際法よりビジネス
交戦国(英国)が中立国(米国)内に物資供給基地を築くのは国際法違反。それにも関わらず、ウィルソン大統領まで抱き込んだ国際金融資本は 強引にビジネス継続を強行。
ただし、さすがに戦後モルガンやデュポンたちは、 ナイ委員会で 合衆国議員たちから死の商人ではないかとの追及を受けてはいる。
1917年 ロシア革命 - アメリカ参戦へ
1917年にはロシア革命もあり、戦争活動に消耗したロシアが退却。三国協商の旗色が悪くなった。
英国を中心とする三国協商が破れることになれば、NYのJPモルガンは破綻してしまう。
そこで英国諜報機関とJPモルガンはプロパガンダを開始。アメリカが英国側から参戦するように世論を操作した。
米国民は参戦に反対
銀行家たちにとっての問題は、米国民の87%が参戦反対であったこと。
- 米国の基本方針は孤立主義
- 米国民のルーツの半分近くがドイツ
プロパガンダ→「PR」の発明
ウィルソン米大統領は広報委員会を設立。責任者の一人エドワード・バーネイズ*は「プロパガンダ」という言葉を避け、広報(PR : Public Relations)という言葉を作り出した。
米広報委員会は、ドイツ軍が子供や夫人を虐殺したとの残虐行為を捏造。日本を南京大虐殺報道で貶めたのと同じ手口である。
米国が戦争を始めたい時には、敵国の残虐行為を捏造し、米国民を強引に納得させるプロパガンダを発動させる。いわゆる偽旗作戦だ。
当初は米国内の良心的な指摘も存在はしたが、押し流された。
*エドワード・バーネイズ - 広報の父と称されるプロパガンダ専門家。心理学者フロイトの甥。
米国の参戦決定
同じ英語圏のロンドンからは、ロスチャイルド系の「タイムズ誌」がプロパガンダをアメリカ向けに発信。大衆はそれを信じた。
やがてドイツの無制限潜水艦作戦*を口実に、アメリカの参戦が決定。
*無制限潜水艦作戦 - 英国の海上封鎖作戦に対抗し、ドイツ軍は北海、地中海域の艦船を無警告で撃沈すると宣言した。
FRBが戦債発行
1917年2月 | ドイツ無制限潜水艦作戦を宣言 |
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1917年4月 | 米国議会がドイツに宣戦布告 |
1917年8月 | FRBリバティ債発行 |
FRBが戦時国債(リバティ債)を発行。つまり、アメリカ国民の貯蓄から短期間で200億ドル以上を戦費として調達することに成功した。
モルガンの手にした手数料たるや 半端ないことに。
1919年 パリ講和会議 - 連合国勝利 → NY資本へのパワーシフト
1919年パリ講和会議で超大国として君臨した大英帝国。
ただし、その栄光はJPモルガンからの借金で成立。英国の領土的勝利は、米国の経済的勝利でもあったわけだ。
英国は勝利の陰で、米国JPモルガンの植民地になりかけていた。
- 英国の米国に対する戦時債務は47億ドル
- 1913〜18年 英国債務は9倍に拡大
- 英国産業基盤は破壊され、物価は4倍
英国覇権の三本柱 - 米国の脅威に直面
ベルサイユ体制下の1920年代には、大英帝国の世界覇権 三本柱すべてが、新興国家アメリカの脅威に直面。
- 海運
- 金融
- 戦略資源
「米国の国際主義者」たちは親英であり、古くからロンドンの支配と教育を受けて来たが、もはや新しい秩序への野心を抱き始めていた。
大英帝国の選択肢は二つ
- 自ら育てた新興国アメリカを 叩き潰すか?
- 大西洋同盟に持ち込んで 有効活用するか?
ベルサイユ体制 - ランドパワー封印
パリ講和会議で締結されたベルサイユ条約。ベルサイユ体制とは大陸国家のランドパワーを封じ込める取り決めであったと見ることができる。
英米支配(アングロ=アメリカ体制)による世界秩序を狙う両国は、戦後処理の美味しい場面でソ連を締め出してもいる。
対ドイツ | 天文学的な賠償金 植民地没収 軍備制限 |
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対ソ連 | 反共産主義陣営の結束 |
対オスマン帝国 | 分割、統治委任領 (事実上の国家解体) |
ドイツへの怨念がこもった賠償請求は、後にその反動でヒトラーを生み出す遠因になったと多くの人が今でも考えるほど 法外であった。
賠償金はNYへ - 欧州も復活できない
しかし、そのドイツ賠償金の恩恵は、戦後のヨーロッパ復興には回らない。戦場にならなかったNY金融業社への債務返済に充てられた。
欧州はアメリカに借りた金で、アメリカの石油を買っていたのだ。
天文学的債務で途方にくれるドイツだけでなく、ハシゴを外された戦勝国たちもまた 狐に騙されたようなもの。
パリ講和会議には 米国の銀行家たちが乗り込んだ
パリ講和会議において、ウィルソン米大統領は 米国議員を一人も同席させていない。
新しい世界秩序を決定する会議に 米国から参加したのは、国際銀行家たちばかりであった。
- ジェイコブ・シフ
- クーン・ローブ商会頭取、独フランクフルト出身のユダヤ人 - ポール・ウォーバーグ
- クーン・ローブ商会 パートナー、FRB初代副議長、独ハンブルク出身のユダヤ人 - バーナード・バルーク
- NY出身のユダヤ人投資家 - トーマス・ラモント
- JPモルガン パートナー
国家は債務で繁栄し、債務で滅んで来た
ここで読者の多くは、馬渕睦夫元ウクライナ大使がよく引用する ジャック・アタリ著「国家債務危機」を思い出したのではないだろうか。
まさに「国家は債務で繁栄し、債務で滅んで来た」典型的なモデル。英国をはじめとする戦勝国はその後、戦争の借金で衰亡してしまうのだ。
世界覇権が英国ロンドンから大西洋を超え、米国NYへ移ろうとしていた。
米国流 新「パワー・オブ・バランス」
英国がロンドンから欧州大陸を操ったように、米国はNY・ワシントンから欧州・ユーラシア大陸を眺めていた。
英・独・欧州が崩壊する一方、第一次世界大戦で漁夫の利を得たのは無傷のアメリカ。
英米の競争が始まった
第一次世界大戦終了~第二次世界大戦開戦までは、英米が世界覇権を巡りツバ競り合いを演じることになった。
王立国際問題研究所とCFR
パリ講和会議で締結されたベルサイユ条約を元に、世界平和を維持するとの名目で国際連盟が創設。世界覇権をさらに強化するための組織も 次々と設立されている。
1918年 | ドイツ降伏 |
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1919年 | パリ講和会議 (ベルサイユ条約調印) |
1920年 | 国際連盟発足 |
1920年 | 王立国際問題研究所設立 |
1921年 | CFR設立 |
英米の協議機関
パリ講和会議では、英米が戦略問題で協力するための 姉妹機関を創設することが話し合われた。
- 英国 - チャタムハウス(王立国際問題研究所)がトーマス・ラモント(JPモルガン商会共同経営者)の寄付もあり設立。
- 米国 - CFR(外交問題評議会)がその姉妹機関として設立。設立メンバーのほとんどがモルガン関係者。
熾烈な英米石油戦争
王立国際問題研究所とCFRは、英米の世界覇権体制の調整を担うことになる。
しかし当初は その使命を十分に果たせてはいなかった。前述通り、1920年代の英米間競争が激しかったのだ。
英国シェル石油と 米国スタンダード石油を筆頭に、両者は中東、中南米で利害がことごとく衝突。
「私企業」の暗躍
一方、英国の諜報機関は「私企業」という体裁で石油戦争に暗躍した。政府という立場でなし得ないことも、私企業ならば国境を超えて可能なのだ。
- ロイヤル・ダッチ石油社
- シェル運輸・通商会社
- アングロペルシャ石油社
- ダーシー開拓社
- BCO(英国管理油田会社)
この手口も今日では米国が踏襲。CIAという公的機関が表立ってできないことも、民間企業ならば可能なことは多い。
諜報活動や、他国の政権を転覆させる工作、戦争代行業などがそれだ。
1922年 ラパッロ条約 - 独露接近 → 英米が再び協力関係へ
この英米対立を終わらせたのは、やはりユーラシア大陸。具体的にはドイツとロシアの接近。
すなわち、次稿(石油地政学史 第4回)のテーマとなる ラパッロ条約であった。
この記事のまとめ
石油地政学史③ FRB創設〜1919年ベルサイユ体制 - 英米対立と共同統治システム- 第一次世界大戦で連合国を勝利に導いたのは、英国金融街とNYモルガンとの特別な関係。
- FRB創設は世界大戦への資金準備であった
- 民間銀行であるFRB(中央銀行)を創設することで、銀行家たちが通貨発行権を私有できた。
- モルガンが窓口となり、巨大なパワーを手中にした。
- ベルサイユ体制とは、ランドパワー大陸国家ドイツ、ソ連、トルコを封じ込める体制でもあった。
- 第一次大戦戦勝国の英国は、米国モルガンからの債務により植民地になりかけていた。
- 第一次世界大戦後の英米は競争関係になっていたが、独露の接近(ラパッロ条約)によ理、再び協力関係に回帰。