横軸のナショナリズム = 思いやりの哲学? - 「共同体」で生きる日本人
更新日:日本のメディアでは通常、「ナショナリズム」という言葉には否定的な響きを持たせていることが多い。
各国のナショナリストとされる政治家たちは「極右・ナチス・ポピュリズム・ファシズム」などと紹介されるのがお約束だ。
しかし、ナショナリズムとは母国が好きということではないのか?
オリンピックで勝利を祈る日本国民や、表彰台で日の丸に涙を流す選手たちは「極右」「ファシスト」なのだろうか?
- ナショナリズムとは、本当に悪なのだろうか?
- ナショナリズムの本質とは、一体何なのだろうか?
本稿では、「横軸のナショナリズム」という観点からナショナリズムの本質を探る。
「横軸のナショナリズム」とは「思いやりの思想」である。
縦・横 - 二つのナショナリズム
ナショナリズムには縦と横、二つの方向がある。
縦軸のナショナリズム
まず「縦軸のナショナリズム(縦軸の哲学)」を簡単に紹介しておくと、「過去・現在・未来」の繋がりを大切にする考えや思いのことだ。
歴史・伝統・血統という縦のつながりに価値を置いている。ゆえに日本のナショナリズムでは、皇室をとても大切に思う。
「縦軸のナショナリズム」とは、祖先を敬い その御恩を未来の子孫へ継承する生き様とも言えるだろう。
横軸のナショナリズム
一方、本稿で取り扱うのは「横軸のナショナリズム」。
縦軸が時間軸である一方、横軸とは空間的概念だ。
「横軸のナショナリズム」は、家庭・地域・国家という「共同体」を大切にする。
ナショナリズム vs グローバリズム
ブログ「新世紀のビッグブラザーへ」より
ナショナリズムと対極に位置するのが グローバリズム。
グローバリズム とは「ヒト・モノ・カネ」が自由に国境を超えて移動する世界を実現しようという考えだ。新自由主義とも呼ばれる。
グローバリズムは、共同体を非効率的だと否定する。
家庭・地域・国家を撤廃し、すべてフラット化、自由化、解放しろという主張だ。
横軸のナショナリズム = 共同体、国民同士の思いやり
国民同士の助け合いこそ、ナショナリズムの本質である。三橋貴明
災害大国日本
地震、火山、台風。災害大国 日本では、災害の度に助け合いの「思い」が全国に拡がる。2011年東日本大震災では「絆」という言葉が日本中を駆け巡った。
この助け合いの思いや、絆こそが「ナショナリズム(国民意識)」である。
災害と思いやり
日本人の感性では、東北の被災者を「自己責任」だと切り捨てない。
「災害に遭われた同じ日本国民を助けたい」という気持ちでいた方が、ほとんどだったのではないだろうか。
実際、全国から名もなきボランティアが手弁当で駆けつけ、救援物資を送り届けた。
未曾有の災害の中、せめてもの救いがあったとするならば、日本にもまだ人情が生きていたことを、日本国民同士が感じあえたことではないだろうか。
横軸のナショナリズム で成立する年金・保険制度
横軸のナショナリズムは、国家インフラ整備の前提でもある。
国家を我が家と思うからこそ、インフラを大切に維持管理する気持ちが湧くのだ。
ナショナリズムと保険制度
例えば 保険制度というインフラは、ナショナリズムで成り立っている。つまり、 思いやりなしで保険制度は成立しない。
我が国が誇る 国民皆保険制度には、ほとんどの方々がお世話になってきたことだろう。
あの時 私たちは、誰かの思いやりで助けられたのだ。
困った時はお互いさま
自分たちから負担したお金で 同じ日本国民の誰かが助かっていることに、私たちは不満がない。「困った時は、お互いさま」である。
私たちは相互を助け合うことで、生きて来た。この共同体意識(思いやり)が前提でない限り、国民皆保険など成立しない。
相互扶助 - 国家の共同体意識が前提
現在の問題は、家族だけでなく 地域社会や国家全体においても、共同性が欠落していることだ。八木秀次
年金制度もまた、相互扶助の前提なしに成立しえない。
福祉国家を作りたいという方々は、共同性や絆なしで福祉が成立するとお考えだろうか?
共同体意識もなく「形だけ」の年金制度を築けば、自分がいくらもらえるのか? という話にしかならない。
相互扶助という年金の理念は、国家の共同性が前提でなければ成り立たない。八木秀次
横軸のナショナリズム で成立する国防
思いやりで成立するインフラの最たる例は、国防だろう。
自衛官は時に「生命を投げ出してでも祖国(私たち国民)を防衛する覚悟」がなければ務まらない。
それゆえ、一般的に軍人は社会の尊敬を受けるものだ(日本以外では)。
国防に敬意を
では、我が国政府が自衛官に手厚く報いているのか? 祖国防衛に生命をかける自衛官よりも、反日を疑われるNHK職員の方が高給という指摘がある。
なんとも理不尽極まりない。誠実なNHK職員まで悪く言うつもりはないが、もやもやするのが正直な感想だろう。
ここでは、自衛官一人一人の思いやりなくして、我が国の安全保障が決して成立して来なかったことを強く強調しておきたい。
横軸のナショナリズム と「経世済民」
国民生活を守護するインフラを整備するために投入する公共投資ならば、大変 意味があることだ。
経世済民とは?
「経済*」の語源である「経世済民」とは、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」の意。
公益こそが、経済活動の本来あるべき姿勢であることがわかる。
経済活動とは、「国民が安心で豊かな生活ができることを目指す活動」が原点なのだ。
1%が99%を搾取し支配する 利己的なマネー主義(グローバリズム)など、経世済民とは真逆の言葉である。
※「economy」の語源を辿ると、ギリシャ語で「eco」は「oicos(家庭)」、「nomy」は「nomos(秩序)」。
「横軸のナショナリズム」は非効率的?
横軸のナショナリズムは、共同体を大切に思う心にこそ根ざしている。
ここで注意すべきは、経世済民は常に効率主義ではないという点。
効率主義のグローバリズム
マネー至上主義(グローバリズム)ならば、経世済民的な思いやりを棄て、効率を徹底的に追求し、利益を得ることだろう。
ウォルマートの例 - 焼畑商業
例えば、米国の大手小売チェーンであるウォルマートは、とある田舎町に進出し 市場を独占したことがある。
その結果、地元の商店は全滅。地元商店の元経営者や従業員たちは、ウォルマートで就業することになった。
それでもウォルマートは、期待した以上の利益が見込めないとなると、躊躇なく撤退したという。その田舎町には もう商店街はないにもかかわらずだ。
社会的責任、道義などお構いなしである。
グローバル企業は地元に貢献しない
wikipediaより(CC BY 2.0)
田舎町の個人商店を倒産させた武器は、大量生産した中国製品による価格攻勢。
米国内で製造していないため、米国民の雇用にも貢献しない。
ガチョウと黄金の卵
地域で唯一の雇用主であるため、賃金はウォルマートが決める。もちろん低賃金だ。
「従業員 = 消費者」の購買力がなくなることで、結局ウォルマート自体の経済活動も縮小し、撤退。
買い物難民、食の砂漠、シャッター通りを繰り返し発生させたため、米国の地方では ウォルマート進出時に地元の反対が相次ぐという。
マネー主義が共同体を破壊
赤字ゆえ撤退することは、マネーゲームとしてなら正しいとも言える。
しかしマネーゲームの恩恵は、99%の共同体が受けることはなく、1%の株主のものにすぎない。
場合によっては、1%の株主を守るために 共同体の資産が利用される。いや、共同体ごと消滅することさえある。
リーマンショックの狂気
2008年リーマンショックでは、実際に米国民の莫大な血税が、1%の銀行家に注がれた*。
世界中に恐慌をばらまいた経営者は「責任を取り」、一人で数百億円の退職金を手に辞職。
良心が残っていれば、恥ずかしくて国民の血税から数百億円も受け取れないが、マネー至上主義のグローバリストに道徳は通用しない。
ウォルマートにナショナリズムがあったならば、地域に貢献し続け、田舎町の共同体は持続していたことだろう。
*2008年10月、ブッシュ米大統領が7000億ドルの公的資金投入に署名。これは本稿執筆の2022年11月レートに換算すると103兆円に相当。
経世済民 - 民営化と再公営化
経世済民も 効率を一切無視するわけではないが、共同体の幸福が出発であり、目的である。
効率より公益のナショナリズム - 国防
例えば 先述通り、国防そのものはマネーを生まない。むしろ軍隊の維持は大変なコストだ。
広大な訓練施設・兵器・人件費。国防費が少ないと指摘される日本でも、国防予算は年間5兆円をかけている。
この投資はビジネスではないため、消費する一方で マネーを稼がない。
それでも国防が機能しているからこそ、我々民間人は安心して経済活動に勤しむことができるのである。
インフラは赤字でも撤退しないことが必須
マネー主義なら、危険な時にこそ逃げるべきだとなる。ミサイルがいつ街や基地を焼き尽くすかわからないのに、資本を投下してもリスクが高いだけだ。
経世済民は、そのような緊急事態でも撤退できない。むしろそのような事態にこそ本領発揮が願われる。
「世」も「民」も、グローバリストにとっては使い捨てにすぎないが、ナショナリストにとってはかけがえのないものだ。
「民営化」「自由化」は失敗する宿命
しかし営利企業が利益を追求するのをやめろというのも酷だ。だからこそ「民営化」してはいけない分野がある。
国家安全保障や農業・水道などのインフラがそうだ。
水道民営化は失敗している
水道民営化をした国もあるが、水道インフラの独占を良いことに、暴利を要求する傾向があることは問題だ。
貧民への水シェアを禁じたり、雨水にまで所有権を主張するなど、マネー主義グローバリズム企業の信じられない暴走も報告されている。
水を買えなくなった国民が死亡したり、怒ったことで、再び水道を公営化に戻す傾向があるという。もちろん、再公営化のコストは 国民の負担。
民間事業と公営事業
赤字でも撤退せず サービス提供を維持するためには、公営である方が自然だ。
民間と公営にはそれぞれの役割、馴染む分野がある。民間事業と公営事業は 互いを補完する関係なのだ。すべてを民営化する必要などない。
経営者のナショナリズム
百歩譲って民営化したとしても、経営者がナショナリストであることが大前提だ。
その点、昭和の経営者たちにはナショナリズムがあった。マネーよりも 天下国家のためという気骨、誇りがあったのだ。
家庭 - 縦横ナショナリズムの根幹
日本の保守主義は、家族の価値をその中心に据えるべきである。 (中略) 家族と地域は 保守派の守るべき最高の価値である。八木秀次
縦横問わず、ナショナリズムの核は家庭だ。
独仏の研究
ドイツやフランスでの研究でも、経済活動が家族に支えられている面が強いことが明らかになっているという。
ということは、家庭を解体し 女性の社会進出を必要以上に促すことは、経済活動の基盤を損なう行為にあたる。
家庭より仕事 - スウェーデンの失敗
経済成長期に安い労働力を求め、スウェーデン経済界は女性を社会進出させ、利用した。
たしかに 人件費を抑えられた企業は、一時的に潤ったのかもしれない。しかしその結果、スウェーデンの家族関係が以前より希薄化し 少年犯罪は急増。
スウェーデンのママたちは、子供たちのために働いていたのではなかったのか? 本末転倒である。
日本(共同体)を取り戻そう
日本という共同体も日々、攻撃を受けている。家庭崩壊・学級崩壊は今や日常。治安の悪化も急速に進行中だ。
ナショナリズム = 思いやり
「横軸のナショナリズム」とは、思いやりのことである。
思いやりのない家庭が幸福であり続けられるだろうか。思いやりなしで、私たちの日本社会が安全・健全であり続けられるだろうか。
ナショナリズムが私たちを守る
「横軸のナショナリズム」は 私たちが生きていく上で欠かせない。家庭・地域・国家というゆりかごが 私たちを育み、守って来てくれた。
筆者は自分の家族が大好きだし、自分の所属する共同体を愛している。日本人に生まれて心から良かったと感謝している。
次の世代にもこの愛すべき共同体を残して行きたい。
日本社会に恩返し
大人になった今、今度は自分が家族を守り、社会に貢献し、日本を元気にしたいと思う。
日本を取り戻す。
この記事のまとめ
横軸のナショナリズム = 思いやりの哲学? - 「共同体」で生きる日本人- 「横軸のナショナリズム」とは、思いやりの思想。
- 共同体(家庭・地域・国家)への思いやりこそが、ナショナリズム。
- 共同体への思いやりなしに、保険年金制度・国防・電気水道などのインフラは成立しない。
- 「経世済民」とは、世を経(おさ)め、民を済(すく)うの意。
- 家庭や国という共同体よりも経済を優先することで、スウェーデンやドイツは大失敗した。
- 共同体を大切にする「横軸のナショナリズム」で、日本を取り戻そう。