日本共産化の危機『自国に誇りを持て / 日教組は癌である』 - 安部孝一氏(元第百七師団長)の言葉まとめ②
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元、大日本帝国陸軍の第107師団長である安部孝一氏。
国を愛し、自由を愛し、日本の未来を憂う安部氏のことばを、HOTNEWSでは全4回のシリーズで紹介している。
前回の「自由」に引き続き、第2回目の本稿では「教育」に関する内容をお届けする。
※ なお安倍氏は、昭和52年(1977年)に84歳で他界された。本シリーズの内容を理解するには、そうした時代背景も念頭に置く必要がある。
一世の指導者出でよ
一世をリードする有能な為政者がおれば、一国の針路を誤らしめることなく、国家百年の計を立てることは可能であろう。
管氏に曰く「一年の計は穀物をつくることにあり。十年の計は樹木を植えるにあり。百年の計は人を教育することにあり」と。
わが国の悩みは真の“人物”の欠乏である。明治維新の大業は廟堂に済々たる多士がいたからであり、大東亜戦の失敗はわれに偉大な政治家がいなかったからである。
「その民族の魂を奪わんと欲すればその史を断て」というとおり、戦後連合軍が真先にやった日本弱体化の方針は、昭和20年12月30日、国家神道の排除、日本歴史・地理教育の停止であった。
次いで翌21年10月総司令部から、歴史教育再開の許可が出て与えられたのが“くにのあゆみ”上・下2巻だったが、当時外人記者でさえ「この教科書には日本人自身の誇りがなく夢がない。日本人はもはや先祖への誇りも子孫への希望ももたなくなった驢馬(馬鹿)に似たものになろう」と評した。それから二十数年、その評は的中した。
わが先覚者はいかにして国歩艱難の危機を突破したか、いかに乱麻のごとき時態を収拾したか等々、これを学びとることが何よりの教訓であり、心神修養の資料であるのに、現在の教科書には、日露戦争の記述に乃木大将も東郷元帥すらでてこない。これにはアメリカの大学教授が不思議がったそうである。
いわゆる家永教科書の記述は徹頭徹尾、日本の「断罪史観」である。いくら裁判所でこれを合意だと判決したとて国民の愛国心の向上にはむしろマイナスである。
現在日本の国民教育の癌は日教組(日本教職員組合)である。戦後間もなく結成されたこの組合は、組合会員五十万と称しているが、小・中・高校の教職を牛耳っている。
そしてこれを支持しているのがいわゆる進歩的文化人と称する日本の社会革命家たちから成る“日教組講師団”であり、そのイデオロギーの形成や理論的武装に大きな役割りを果たしており、これらの協力により昭和二十七年六月決定したのが、十項目から成る“教師の倫理綱領”であった。
その第八項に「教員は労働者である」と規定している。鉢巻姿で赤旗を振るのはここから来ている。
これらの先生方に教育された子供らは将来どんな人間に育つであろうか。青・少年の非行が年ごとに量的に多くなり、質的に悪化するのも当然である。
現在の大学紛争の激化も戦後二十八年にわたる誤れる教育の結果である。そして大学当局もこれに対して断固たる処置を取り得ない。
戦前の大学生の六割は相当の資産家の子弟であるのに、今ではその日暮らしのアルバイト学生が多くなっている。しかも一旦入学してしまえば、金のあるものは遊びほうけ、金のないものは ややもすれば悪に走り、これに革命を企図する団体が働きかけると暴力学生が発生、お互い派閥を作って暴れまわり、学校を拠点として、なんの関わりもない他の学生まで闘争に捲き込む。
中共だったらこんな連中は辺境の農場に追いやり、ソ連だったら“強制労働収容所”に入れて勤労の貴さをみっちり味わわせる。韓国ではこんな学生を徴兵に取ったそうだが、まさに大英断である。
列国の歴史教育に学べ
私がソ連抑留中、その小・中学校の教科書を調べた。
もちろん国是とする共産主義の教育に重点を置いているのは当然だが、道徳心の向上、規律節制、師長に対する敬愛、なかんずく歴史上の人物は帝政時代の帝王、軍人、学者、芸術家に至るまでこれを讃美している。
侵略者たる帝王ピョートル大帝、エカテリナ女帝の記述も歴史上には燦然たる光を放っている。
その他の国の教科書についての文献を見ても、家永教科書のごとく自国を誹謗しているものは一つもない。外国ではどこの国でも、みな自国の立場で歴史を書き、自国の歴史を誇りとし、これを大切にして傷つけないように努めている。
戦争についても共通した点は、自国が戦争にふみ切ったやむを得ない事情や正当な理由を強く主張して、自国の立場を明らかにし弁護している。また戦争の経過を詳述し、勇敢なる将士の名をあげて祖国愛を鼓吹している。
日本の教科書とくに歴史の教科書は相手国には寛大で、自らを責めることが非情なまでに厳しく、家永教科書は祖国日本を帝国主義者、侵略主義者呼ばわりすることを科学的な新しい歴史の見方だと錯覚しているらしい。
戦後二十八年 日本の歴史を屈辱の歴史から、万人の納得のいく基準に新しく編成しかえる必要があろう。
どこの国でも歴史を遡ると神話に辿りつく。外国の神話の神は直接その国のどの支配者とも無関係であるのに、わが国おいては神代の神と現代の統治者との間に血の繋がりがあると考えられているのが特徴である。
戦後占領軍は神話を天皇が日本の支配を正当づけるためにつくり上げたものだとの独断偏見により、教科書には神話をタブーとし、考古学や、魏志倭人伝、後漢書の倭伝など支那の文献で記述されることになり、古事記や日本書紀は全く顧みられなくなった。
かくてわが歴史教科書は血の通わないロマンスに欠けたものとなった。
われらは誰一人神話を史実そのものとは考えてはいない。しかし、そこには わが祖先の美しい夢、輝かしい伝統、物の考え方が、幾千年後の今日まで大きな感激となって脈々とわれわれの胸に伝わってくる。これを実際の歴史と関連させて教育することが実際の国民教育であり、養成でもある。
自国に誇りを持て
日本人はアジヤ人に対して優越感を持っているのに、欧米人に対しては卑屈な一面を持っている。そのいずれも妥当ではない。国家や国旗を軽視することわが国のごときは世界のどこにもない。なかんずく、第二次大戦後に発生した新興国では、祖国の象徴として国旗や国歌をたいせつにしている。
長い間外国の支配下に呻吟し、朝夕頭上にひるがえる外国国旗に屈辱感を懐いてきたかれらには、自国の旗を掲げ、自国の歌を歌うことによって、独立と解放の喜びを実感している。
それに比べて戦後二十八年、日本では君が代が国家であるか、日の丸が国旗であるかさえとかくの議論がなされている。君が代を大相撲の歌だと思い込んでる若者の話など笑いにもならない。
日本には誇るべきものが沢山にある。近年これが次第に見直されてブームになっているのは喜ぶべきことだ。
われわれの最も誇りたいものは日本人自身、とくに青年である。ビスマルクは曰く「われに汝の国の青年を示せ。われ汝の国の将来を卜せん」と。
青年こその国の希望である。かれらが立派な教養を身につけ、肉体的にも、精神的にも世界に優越する日こそ日本の前途は明るくなる。それは教育の力に待たねばならぬが、わが国の現況では至難のわざである。
だからといってこれを諦めてはならぬ。わが為政者は深く思いをここに致し、思い切った施策を打ち出し教育の振興刷新を断行せねばならない。
吉田松陰の塾から多数の明治の人材が輩出した。現在の公私立学校も上級学校入学のために不充分だとして、子供らは学習塾に通う。もし今の学校が人間作りに余り役に立たぬとすれば、誰か立派な人の経営する人間つくりの私塾があってもよいではないか。識者の一考を煩わしたいものである。
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