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「死者の民主主義」とは? - 保守主義・伝統と日本人の死生観

更新日:「死者の民主主義」とは? - 保守主義・伝統と日本人の死生観

前回までの内容で、保守主義思想には「縦軸の哲学」という考えがあることを学んだ。

「縦軸の哲学」とは「国家は過去・現在・未来からなる三世代の国民による共同事業である」という発想である。

保守主義を理解する上で もう一つ挙げられるのが「死者の民主主義」という発想。「死者の民主主義」を知ることで、伝統・縦軸の繋がりの大切さがとてもよくわかる。

目次
「死者の民主主義」とは? - 保守主義・伝統と日本人の死生観

「死者の民主主義」とは?

G.K.チェスタトン、死者の民主主義
wikipediaより

ユーラシア大陸を挟んで西側の島国である英国は、東側の日本と同じく、伝統を大切にしてきた国柄が誇り。その英国の保守主義思想家G・K・チェスタトン*が説いたのが「死者の民主主義」。

チェスタトンが「死者の民主主義」で伝えたかったのは「伝統」の尊重である。

祖先たちが血と汗と涙を積み重ね、子孫のために より良きものを と後世へ残してくれた結晶こそが伝統だ。

その伝統を、今日生きている私たち一代でないがしろにするのは、傲慢でしかないというのがチェスタトンの主張である。

*G・K・チェスタトン - 英国の保守主義者。推理作家としてブラウン神父シリーズを執筆。

「正統とは何か」

縦横の民主主義概念図

民主主義は、どういうわけか伝統と対立すると人は言う。どこからそんな考えが出てきたのか、それが私にはどうしても理解できぬのだ。伝統とは、民主主義を時間の軸にそって昔に押し広げたものに他ならぬものではないか。 (中略) つまり、伝統とは選挙権の時間的拡大と定義してよろしいのである。伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。 単にたまたま生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈服することは許されない。 (中略) われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシャ人は石で投票したというが、死者には墓石で投票して貰わねばならない。これは少しも異例でも略式でもない。なぜなら、ほとんどの墓石には、ほとんどの投票用紙と同様、十字の印がついているからである。G・K・チェスタトン

死者の支配する国 - ハーンが見た日本

死者の支配する国、ハーン

八木秀次麗澤大学教授は、著書「国民の思想」でラフカディオ・ハーン*の視線から見た日本人の死生観を紹介している。

…日本人は、亡くなった祖先は近くの山の向こうにいて、この世と同じように暮らしているものと思っている。そして、時々この世に帰って来るという近い関係にある。 そのため、日本人は祖先をあたかも生きているかのように遇し、祖先と接しながら、祖先に見守られて暮らしている。そうした日本をハーンは”死者の支配する国”だと感じ、次のように書いている。 八木秀次
『国民の思想』より

日本人の死者に対する愛情は、どこまでも感謝と尊敬の愛情である。おそらくそれは日本人の感情の中でもいちばん深く、強いものであるらしく、国民生活を指導し、国民性を形成しているのも、この感情であるらしい。小泉八雲
『心』より

*ラフカディオ・ハーン - 日本への帰化名は小泉八雲。ギリシャに誕生した新聞記者であり、明治の日本で没した民俗学者。著作に小説「怪談」、論文「祖先崇拝の思想」がある。

神とともに生きて来た - 古き良き西洋

古き良き西洋ーキリスト教会

キリスト教文明からやって来たハーンが当時の日本に感動し、共感できたのはなぜか?

キリスト教圏における民主制は、人々が神とともに生きることを前提として完成する。良識ある人々が統治するなら善政となるが、そうでなければただの衆愚政治。

神の喪失と滅びゆく西洋

革命、理性

革命、共産主義、ファシズム、個人主義などの波がヨーロッパ大陸を席巻した近代。つまり、理性が神に取って代わり人々の信仰を集めた合理主義の時代。

理性が統治すれば世界はあるべき姿になるはずだった。しかし 理性はヨーロッパ人を幸福にするどころか、むしろ不幸にした側面は否定できない。

理性には限界があった

ざっくり言ってしまうと、理性至上主義とは、現代人の思いつきだけで統治するという考え。先人たちの伝統や叡智を不要とする。

これでは 反抗期を迎えた少年が、良識ある大人の愛ある言葉を軽んじるようなものだ。

巨人の肩

私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。アイザック・ニュートン

興味深いことに、理性を重視すると思われる偉大な科学者ほど、先人たちの積み上げてくれた功績(研究成果)を重んじていたようだ。

西洋人の遺書

理性至上主義は、ヨーロッパの古き良き価値観を破壊。倫理・道徳の根拠である神を忘れた生き方は、ヨーロッパの道徳水準を引き下げてしまった。

歴代の共和党大統領の相談役であった米国保守界 重鎮、パトリック・ブキャナン氏。ベストセラーとなった著書の序文にて、滅びゆく西洋文明の遺書として書いたものだと告白している。

孤独な西洋人

そもそも西洋人だって、死者とともに生きて来た文化があったからこそ チェスタトンや、バーク、オルテガ のような伝統を大切にすべきだという思想が誕生したのだ。

死んだ祖先とともに生きる姿は、明治の日本に訪れた西洋人からは神秘的であると同時に、郷愁を感じさせたのかもしれない。

すぐ隣に生きている死者もなく、ヨーロッパ人は孤独である。オルテガ*
『大衆の反逆』より

*オルテガ・イ・ガセット - スペインの哲学者。著書「大衆の反逆」は日本の思想家 西部邁にも影響を与えた。

祖先とともに生きて来た - 古き良き日本

祖先神、イザナギとイザナミ

日本国は初代神武天皇が約2600年前に建国。その以前には、神代の時代が存在した。

日本人の祖先は神

そもそも日本人の祖先崇拝自体が、何代も辿り続けるとやがて神話へと行き着く。

天照大神、イザナギ・イザナミはもちろん、究極的には 天地開闢の原点である 天之御中主神まで私たち日本人の祖先なのだ。

源平藤橘の祖先は いずれも神

例えば、日本人の多くが 源平藤橘*の4姓いずれかの後裔である。

このうち源平橘の3姓はいずれも天皇家の分家。藤原氏については中臣氏を祖とし、中臣氏の始祖は天孫降臨で天皇家の祖とともに地上へ舞い降りた神。

*源平藤橘- 最も繁栄したとされる日本の代表的な一族である源氏、平氏、藤原氏、橘氏の総称。

究極の祖先は神

日本人は 死んだ祖先を神として畏敬し、ともに生きて来た。

日本は神の国であり、私たち日本人はみな神の子である。それは何も特定の信仰ではなく、私たち日本人が生まれながらの血でわかることなのだ。

私たち子孫も死ねば神になる

神の子孫である私たちも、死ねばみんな神。そして子孫たちの信仰の対象となる。なんとも背筋の正される話だ。

死んだ祖先はそばにいる

死者の民主主義民主

筆者が死んだら おそらく子供たちの側にいると思う。そして子供たちを守護し続けるだろう。筆者の祖先たちも同じ思いでいるはずだ。

祖父が逝去してからの一年間は、特に強くそうした体験をした。筆者は霊感が強くはない。しかし、たしかに祖父の存在を感じながら生活し、祖父の名を汚さぬよう努めて生活していた。

誇り高き日本人の秘密

老若男女や身分の貴賎を問わず、全国民が「神(高貴なる祖先)」とともに生きているのだから、日本国民の生き様は美しい。

かの宣教師ルイス・フロイスが、当時の日本人を「まるで宮廷で育ったかのようだ」と評したわけだ。

国難の正体 - 戦後分断された死者との絆

戦後分断された死者との絆

私たちの世代は、祖父母世代よりも ご先祖様を大切にしているだろうか? 祖先を身近に感じる生活をしているだろうか?

縦横の絆 - 日本人の生き方

かつての日本人は、ハーンが感じたように縦軸では先祖とつながり、横軸では家族や地域とつながって生きていた。 (中略) 夏目漱石が書いたように、日本の神は西洋のように天上にいるのではなく、家の中や近所のあちこちにいたのである。そうした感覚が、人間同士のつながりを維持させていた。八木秀次

縦横の断絶が国難の正体

縦軸の絆喪失

ところが、戦後の「神なき個人主義」は、個人の意思や欲望を追求することが最善だとし、そのためには縦横の絆を断ち切ってもよいとした。八木秀次

「個人の尊重」だの、「個性の重視」だのと言い募って、祖先をないがしろにし、子孫の存在を顧みないできたことが今日の腐敗を招いた一因ではないだろうか。八木秀次


祖先との絆が断ち切られた戦後。死者を忘れたことで、私たちの世代は、わが国本来の高貴なあり方を見失ってはいないだろうか。

聖化された祖先の面前にあるよう生きる

十八世紀英国の保守主義の思想家エドマンド・バークは、神ならぬ人間の主張する「自由」はそれだけでは無秩序に陥り、人間が「なりあがりの高慢」な態度を示すようになるのはほとんど不可避だとした。
そしてそれを避け、『高貴な自由』すなわち秩序と両立する自由であるためには、『常に聖化された祖先の面前にあるように行動する』ことが重要であると…(略)

  • 神なき自由
    - 無秩序、個人主義、利己的、なりあがりの傲慢
  • 高貴な自由
    - 秩序と両立する自由、聖化された祖先の面前にあるように行動する

日本人の道徳性が高い理由

聖化された祖先とともに生きる日本人

祖先とともに暮らすことが、日本人を世界でもまれな 道徳性の高い民族に育て上げてきたのである。

  • ご先祖様に申し訳がたたない。
  • 名を穢してはいけない。
  • お天道様が見ている。


こうした感覚には多くの日本人が共感するのではないだろうか。敬愛する祖先が私たちとともに暮らしていることで、私たちの生活に品格が生まれる。

元駐日フランス大使の願い

元駐日フランス大使ポール・クローデル
wikipediaより


1943年、パリで催された晩餐会のスピーチ。敵国日本をこう評したフランスの外交官がいた。

私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にない。 (中略) 彼らは貧しい。しかし高貴である。ポール・クローデル

*ポール・クローデル - 大正~昭和期の元駐日フランス大使。劇作家・詩人。作家ロマン・ロランの同級生。

「死者の民主主義」こそ日本復活の鍵

復古、死者の民主主義

かのジョン・F・ケネディ大統領が、最も尊敬する日本の政治家と評した 米沢藩の名君 上杉鷹山。日本をはじめ、各国の指導者に拝読していただきたい至言を残している。

国家は、先祖より子孫へ伝へ候
国家にして、我れ私すべき物にはこれ無く候
上杉鷹山

国難の時にこそ復古

馬渕睦夫 元ウクライナ大使は、国難の時にこそ「復古」が鍵であることを強調された。復古とは伝統に立ち返ること。伝統とは、わが国の祖先たちが愛する子孫たちへ遺した叡知・遺産のことだ。

私たちの国の死者は私たちのそばにいつもいる。そして私たちを見守っている。そのことを思い返したとき、日本はあるべき姿に戻り始めるであろう。八木秀次

今こそ「死者の民主主義」である。伝統の力が必要な時だ。私たちは祖先を会議に招かねばならない。


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この記事のまとめ

「死者の民主主義」とは? - 保守主義・伝統と日本人の死生観
  • 「死者の民主主義」とは、伝統を尊重すること。
  • 死者とともに生きる明治日本人の美しさには西洋人が感嘆した。
  • 聖化された祖先とともに生きる祖先崇拝が、日本人の生き様を美しくして来た。
  • 日本人の祖先は神であり、私たちも死ねば神となる。
  • 死者との関係が分断された現代日本は国難に直面している。
  • 死者との関係を取り戻す「死者の民主主義」を復活させよう。
ルーク18
ルーク18

三世代家族推進運動の提唱者
「幸せな家庭こそ、最強の国防」が持論。
家庭を幸せに導くアプローチを、様々な観点から世に問う。

環太平洋諸国を巡った青春時代
各国で訪れた孤児院が人生の転機

夢は 世界平和!