石油地政学史⑤「非公式帝国」- 英米による新世界秩序 - ブレトンウッズ体制・マーシャル計画
更新日:石油を支配すれば、諸国を支配できる。ヘンリー・キッシンジャー
第4回では、ランドパワー 独ソがラパッロ条約で接近。独ソ連携を恐れたシーパワー 英米が、石油市場での対立関係を停止。再度 協力関係を取り戻したことがわかった。
第5回目となる本稿のテーマは「第二次世界大戦後の 英米による世界新秩序『非公式帝国』」。
- ブレトンウッズ体制で英米傘下の国際機関を設立し、米ドル本位制をスタート。
- マーシャル計画で英米石油金融資本がパワーを拡大した。
- 本稿の前提となる地政学「ハートランド」については別項をご覧頂きたい。
- 本シリーズでは、ハートランドを巡る近現代史をウィリアム・イングドール氏著書*の助けを借りて早足で振り返ってみた。
- 本シリーズの一貫したキーワードは「石油」「金融」「ハートランド」
*ウィリアム・イングドール氏の著書 - 「ロックフェラーの完全支配 石油・戦争編」。中国で大学の教科書に採用。
非公式帝国 -「政治的独立 + 経済的支配」
1939年からの6年間で、約5,500万人が死亡した地球規模の大戦争。各国の経済・産業も甚大な被害に。
世界が大きく変化したことで、同じく疲弊した大英帝国も分解へ向かった。インドでの反乱をはじめ、各植民地は短期間で次々と独立。
旧態依然たる帝国システムでの支配は、もはや戦争で荒廃した英国のパワーが及ばなくなっていた。
1955年バンドン会議「第三世界」
1955年第一回アジア・アフリカ会議(バンドン会議*)では、東西両陣営に属さないアジア・アフリカ諸国という「第三世界」の存在が高らかに宣言。
- 反帝国主義
- 反植民地主義
- 民族自決主義
* 余談だが、招待された日本はアジア・アフリカ諸国から歓迎された。日本が大東亜共栄圏を目指し犠牲を払ったからこそ、自分たちの国は独立できたとの感謝であったという。
非公式帝国とは
そこで英国は、 非公式帝国システム*という新たな植民地支配システムを選択。
公式には各植民地の独立を認め、主権を持たせる。一方、政治・経済的には 英国の強い影響力下においたままという絶妙な状態の維持。
*非公式帝国 - イングドール氏の説明では、「独立国」の装いを保ったまま「自由貿易」や「民主主義」といった耳触りの良い概念を都合よく振りかざすことで、安上がりに実効支配する帝国のこと。
非公式帝国 = 自由貿易帝国主義
世間体も悪くないし、各植民地はさも自分たちが 独立した主権国家であると 錯覚してくれる。
清国を支配したシステム
非公式帝国は、かつて大英帝国が清国に適用した支配システムが先例。
- 本格的な植民地支配はしない
- 英国に有利な条件下(不平等条約)で自由貿易
この結果、清国の工業化は阻害され、清国のマーケットは大英帝国が支配した。
非公式帝国に必要な条件
- 自由貿易で他国を圧倒する経済力
- 航行安全保障と、相手国に自由貿易を強制できる軍事力
ブリテン島から遠隔地に 行政人材や大規模軍事力を派遣するよりも、各植民地の首脳部にこっそり代理人を立てて管理させる手口は、コスト面で絶大なパフォーマンスを発揮。
米国も非公式帝国システムを継承
この手法は日本、西ドイツという両輪を 従順な属国とした アメリカにも取り入れられた。
ただし、アメリカ型の非公式帝国システムは 少し進化している。
というのは、米国の場合だと「軍事産業=国家産業」なので、世界各地に軍隊と兵器を送り続けることも、金融資本家(米国支配層)たちの利益にかなっているのだ。
鉄のカーテン - 英米一体化と米ソ分離
東西冷戦の象徴となったベルリンのブランデンブルグ門
戦後、アメリカの支援に依存することになった英国は、アメリカとの「特殊な関係」を深め支えることで、間接的に世界への影響力を行使する戦略をとった。
前述のパリ講和会議で誕生した王立国際問題研究所とCFRは、その下準備。
米外交はロンドンと緊密な関係下
アメリカもまた、英国の培ってきたノウハウを必要としていた。例えば米CIAは、ロンドンのMI6が育成したことが今日ではよく知られている。
結果、アメリカの防衛戦略は、英国の諜報機関との軍事機密共有で成立。以後、英米は「特別な関係」「世界で最も重要な二国間関係」と互いを認識しあった。
英チャーチルが 米国で鉄のカーテン演説をした意味
また チャーチルが英首相退任後の1946年、すぐに訪米。トルーマンを手懐け、英米関係の深化を促進。
同時に 鉄のカーテン演説*をわざわざ米国ですることで、英米とソ連を切り離すことに成功。
*鉄のカーテン - ソ連の閉鎖的姿勢への非難。戦後の「英米 vs ソ連」構図が決定付けられた。
ブレトンウッズ体制 - 米ドル本位制
1944年 米国ブレトンウッズで、新たな世界支配システムについて英米間の合意が形成。
石油と金融をセットにした新秩序だ。
ブレトンウッズ体制の3本柱
名称 | 建前 | 正体 |
---|---|---|
IMF(国際通貨基金) | 参加国の通貨危機に備える | 債務国恫喝機関 |
世界銀行 | 参加国の戦後復興計画を支える | 途上国恫喝機関 |
GATT(後のWTO) | 自由貿易への誘導 | 参加国の市場搾取機関 |
IMF、世界銀行の意思決定は事実上、英米のコントロール下。
国際機関で各国をコントロール
これら国際機関という仮面を使い、英米は各国の主権・経済に口を挟むことができるようになった。グローバリストのやり方だ。
この手口は、21世紀に至るまで有効 かつ重要なので、記憶しておいてほしい。
*例えば今でもIMFが日本政府へ 消費税を20%に引き上げるよう「指導」している。
米ドル本位制
ブレトンウッズ体制で重要な点は「ドル本位制」が決定したこと。
戦前の各国は戦時国債を発行するため、金との兌換を停止。
為替を自由にコントロールできる反面、貿易を有利にしようと通貨切り下げ競争も発生。戦争原因の一つとなっていたのである。
これはブレトンウッズ体制で、米ドルを世界基軸通貨にする良い口実となった。
アメリカには 世界中の金が蓄積されていた
二次の世界戦争を通じて、米国には大量の金が蓄積。米ドルが世界最強通貨であるためには、その金との交換をできる裏付けがあることが必須条件。
「潤沢な金塊との兌換性を裏付けとする米ドル」が基軸通貨となることで、世界には安定した固定相場制が提供されることになった。
石油ドル本位制 - 「石油決済は米ドル」が定着
何より戦後のアメリカは世界最強国家。疲弊した世界各国は、安定した経済活動を再開するための米ドル基軸に反対することはなかった。
以後、世界の貿易、特に「石油の売買で、米ドルが使用されること」が英米による世界覇権の重要な構成要素に。
マーシャル計画 - 大西洋環流マネー
1947年にスタートした欧州復興計画「マーシャル・プラン」。
アメリカからの大規模援助で、欧州を復興する計画。米国務長官マーシャルが、欧州復興のリーダーシップを発揮した。
戦後のアメリカは、圧倒的に優位な立場にいたのだ。
- 大量の金
- 打出の小槌 FRB
- 欧州への巨額債権
マーシャル計画の起源
政治評論家ユースタス・マリンズ氏によると、1947年にD.ロックフェラーがCFR(外交問題評議会)で作成した特別研究「西ヨーロッパの再建」が、「マーシャル・プラン」と名前を付け替えられたという。
マーシャル計画の結果 - ビジネス編
マーシャルプランの結果、「国際銀行家たちが好きなだけ金儲けができる環境が整った」という点が重要。
秘密・非課税・訴訟免除。やりたい放題だ。
- 通貨制度の公記録は秘密 - 株式配当は非課税
- 通貨制度に関係する役人は法的訴訟から免除
- 経済復興した西欧は共産化を免れ、米国製品の購買者に
しかも英米国際銀行家たちは、FRB株主でもあったため、米ドルの通貨発行権さえ所有していたのだ。
マーシャル計画が、どれだけ史上空前のセクシーなビジネスであったかお分かりだろうか。
マーシャル計画の結果 - 国際政治編
- ソ連からの圧力で マーシャルプランを拒否することになった東欧とは 分断加速
→ 冷戦本格化
欧州復興計画で米金融が大儲け
マーシャル計画により、米国の資本が西欧に投入。確かに西欧は一定の復興に成功できた。
ただし、マーシャル計画でアメリカが援助したお金の使途には「制限」があった点が味噌。
西欧諸国はアメリカからの援助金で、アメリカ産農産物や製品を購入。これで米国の金融支配層がさらに潤うシステムだったのだ。
大西洋環流マネー、再び
これは第一次世界大戦後のドイツや欧州に使った手口と瓜二つ。つまり、またしても米ドルは大西洋を還流したのだ。
西欧を援助する名目で、アメリカの銀行家が潤った。
特に、マーシャル計画で西欧が支出する最大の単独項目が 米国産石油であったことも特記すべきだろう。
マーシャルプランの正体 = 大西洋環流マネー
- 米国民の税金で、
- 欧州が米国産石油を買い、
- 英米の石油メジャーと金融機関が儲ける仕組み。
ノーベル平和賞 贈呈
1953年、ジョージ・マーシャル将軍はノーベル平和賞を受賞。理由はもちろんマーシャルプラン。
英米石油帝国の拡大
英米セブンシスターズは、この絶好のチャンスに大きな利益をのせて石油を販売。
セブンシスターズにとって、西側世界は仕入れも、販売先も、競争相手が存在しない独占市場ブルーオーシャン。
1947年時点の石油事情
- 英米が南北米大陸、中東の油田を支配
- ロシア・東欧の石油は「鉄のカーテン」で西側には届かない
支配下にある中東から 激安コストで仕入れた原油を、米国に言いなりの欧州・アジアへ販売。
こうして米国と、それを指導・協力する英国が、石油と金融を用いて 非公式帝国を着々と完成させていった。
アメリカの帝国主義化
「技術革新・産業発展」こそ米国の伝統スタイルであったはず。
それがかつての英国スタイルに変化を遂げた。すなわち、「金融・資源・貿易条件の支配」だ。
広大な領土を直接統治する旧式の帝国システムでなく、戦略資源を支配することで 非公式帝国システムは はるかに効率よく儲けることができた。
かつては自身が植民地として誕生したアメリカ。今度は自身がグローバリズムの推進者に変化して行ったのだ。
英米新世界秩序 - 抵抗者は次々と消された
この非公式帝国の支配に歯向かう 各国のナショナリスト(愛国者)たちは、次々と暗殺・失脚。
特に、ハートランド(ソ連)と石油で結びつこうものなら、共産主義者と汚名を着せて葬った。
被告名 | 国名 | 罪状/刑罰 |
---|---|---|
モサッデク | イラン | 英政府が関与するアングロ・イラニアン石油の国有化 → 1953年クーデターで失脚逮捕 |
エンリコ・マッテイ | イタリア | イタリア経済を自立させ、ソ連・イランと石油・ガスパイプライン提携 → 1962年墜落死 |
ド・ゴール | フランス | 仏独連携で「強い欧州」を目指した → 1968年学生暴動で失脚。31回の暗殺未遂 |
欧州復興と「ユーロ・ダラー」
マーシャル計画(大西洋環流マネー)が一定の役割を果たすことで、西ドイツが奇跡の経済復活を果たすなど、やがて欧州は復興に成功。
ただし、それはヨーロッパに米国発の米ドルが蓄積して行ったことも意味した。「ユーロ・ダラー」である。
米国の銀行家たちは、米国自身に投資するよりも、欧州へ投資することで大儲けできることに夢中となり 歯止めが効かなくなっていたのだ。
これらの構造が、やがてブレトンウッズ体制そのものを崩壊させることになる。
欧州独立の夢
また、フランスのド・ゴール大統領や、ドイツのアデナウアー首相など、欧州の指導者たちに「欧州独立」の夢を見させる隙を与えてしまった。
次回、石油地政学史第6回は「1950年代 欧州復興とユーロドルの蓄積 - エリゼ条約」について述べる。
この記事のまとめ
石油地政学史⑤「非公式帝国」- 英米による新世界秩序 - ブレトンウッズ体制・マーシャル計画- 戦後の英国による植民地支配システムは、非公式帝国主義(政治的独立+経済的支配)へ転換。
- 英米による新世界秩序はブレトンウッズ体制、マーシャル計画で確立。
- ブレトンウッズ体制では国際機関 IMF、世界銀行、GATTが誕生。英米は国際機関を通じて諸国を指導した。
- マーシャル計画はヨーロッパ復興の名目で、米国の銀行家が大儲けするシステム(大西洋環流マネー)だった。
- 戦争で大量の金を蓄積したこともあり、米ドル = 世界基軸通貨として定着。石油決済も米ドルで行われることになった。