石油地政学史⑥ - 1963年エリゼ条約 - ド・ゴールによる欧州復興とユーロドルの蓄積
更新日:石油を支配すれば、諸国を支配できる。ヘンリー・キッシンジャー
第5回では、第二次世界大戦後に英米が帝国主義から「非公式帝国」という支配スタイルに転換したことを述べた。
- ブレトンウッズ体制で米ドル本位制をスタートし、
- マーシャル計画では欧州復興の名目でNY金融資本が大いに潤うシステムを築いたのだ。
第6回目となる本稿のテーマは「戦後の欧州復興とユーロダラーの蓄積」。
- 仏大統領ド・ゴールの夢「英米から独立した強い欧州」が、英米によりくじかれた。
- 一方、NYから欧州に蓄積されたユーロ・ダラーが大西洋のバランスを逆転させつつあった。
- 本稿の前提となる地政学「ハートランド」については別項をご覧頂きたい。
- 本シリーズでは、ハートランドを巡る近現代史をウィリアム・イングドール氏著書*の助けを借りて早足で振り返ってみた。
- 本シリーズの一貫したキーワードは「石油」「金融」「ハートランド」
*ウィリアム・イングドール氏の著書 - 「ロックフェラーの完全支配 石油・戦争編」。中国で大学の教科書に採用。
強い欧州への挑戦 - ナショナリスト仏ド・ゴールの指導力
1950年代にはイタリア国営石油会社社長エンリコ・マッテイや、フランスのド・ゴール大統領の手腕もあり、欧州経済は大いに復興。
西ドイツのアデナウアー政権では、「奇跡の経済復興」を達成していた。
仏大統領ド・ゴール、独首相アデナウアーの協調
1958年にフランス政界へ大統領として復帰したシャルル・ド・ゴールは、欧州復活に勢いをもたらした。
独首相アデナウアーを私的な別荘に招くことで、仏独の歴史的和解も演出。フランスと西ドイツ両国が手を取り合い、欧州を復興させる取り組みがスタートした。
エリゼ条約 - 英米より成長した欧州
1963年 エリゼ条約(仏独友好条約)では、かつての対戦国同士が経済的協力関係を深化。
条約締結の翌日には、フランスが英国のECC参加申請拒否も発表。英米を不信する仏ド・ゴールが 西独首相アデナウアーと協力することで、英米からの欧州独立を目指したのだ。
これは地政学上、ハートランドに近い大陸国家の団結を意味する。シーパワー国家英米にとっては大変危険な兆候であった。
「強い欧州」 - リアリストであるド・ゴールの夢
ド・ゴールの夢は「強い欧州」。かつて英国に「自由フランス」亡命政権を築いた 軍人上がりのド・ゴールは海千山千。
チャーチルと渡り合い、仏ロスチャイルド家当主ギー・ロスチャイルドとも付き合いつつ、フランスの国家主権を守り抜く決意にあふれた政治家だ。
ド・ゴール主義と評されるフランスの国家主義者は、英米の新秩序に幻想を抱いてなどいなかった。
フランスの NATO脱退
ド・ゴールは英米主導のNATO軍からフランス軍を脱退せてもいる。ド・ゴールのフランスは我が道を行くのみであった。
ド・ゴールと英米指導者の関係
英首相チャーチル、米大統領ルーズベルトとは衝突を繰り返した。しかしチャーチル英首相の夫人はド・ゴールのファンであったという。
「欧州の夢」というロマンチックな情熱と 確信に基づく強いリーダーシップは、魅力的な人物として多くの人々に映ったはずだ。
ケネディとの信頼関係
若き米大統領ケネディはパリで、ベトナム戦争の意義についてド・ゴールと相談している。
しかし私は、彼ののぞみ通りに同意するのではなく、あなたは間違った道を選ぼうとしていると大統領に話した。この地域に入り込めば、終わりのない泥沼にはまるだろう。ド・ゴール
世界の裏側を知っているド・ゴールには、若いアメリカ大統領にとって耳が痛くとも有意義なアドバイスを送ることができたことが想像できる。
ド・ゴールは 国際金融資本の存在に気付き、彼らの計画を察知してはずだ。そして彼らとどう折り合いを付けて、どう付き合うべきかも。
ケネディは私に耳を傾けていた。ド・ゴール
ド・ゴールのケネディ評
ケネディはパリを去った。若さと筋の通った志に、とても大きな希望を感じさせる男だった。大きな鳥が、まさに空高く飛び立とうとしている瞬間にいるように思えた。ド・ゴール
ケネディのド・ゴール評
将来に向けた賢明な相談相手であり、実体験に基づく歴史の良き案内人だった。 (略) 彼ほど信頼できる人物はいない。ジョン・F・ケネディ
1963年ケネディ暗殺
ケネディとの信頼関係は 新たな米仏関係を期待させた。が、英米の金融支配層には面白くなかったことだろう。1963年ケネディは暗殺*。
暗殺直前のケネディは、東南アジアにおけるCIA軍事作戦について、段階的に縮小する決断をしていたという。ド・ゴールのアドバイスに基づいていたのかもしれない。
ちなみに後任のリンドン・ジョンソン副大統領は、ベトナム軍事予算を大幅に増額している。
* ケネディの暗殺については、通貨発行権を含め理由がいくつかあるはずだ。
ジョンソン大統領は怯えていた - 目撃証言
1963年11月22日ケネディが暗殺され、直ちに副大統領だったジョンソンが大統領専用機内で大統領職を継承した。
その際、エアフォースワン内のトイレで「これは陰謀だ。みんな殺される」と喚いているところを、大統領専用機の運用責任者マクヒュー空軍准将が目撃している。
古き良きアメリカの終わり
アメリカ国民が幸福の絶頂を味わっていたケネディ政権下が終わり、ジョンソン大統領治下でアメリカの荒廃が表面化し始めた。
- 兄ジョンの志を受け継いだ 弟のロバート・ケネディ元司法長官、南部の労働組合運動の起爆剤になりかけたキング牧師も暗殺。
- ベトナム戦争はド・ゴールの忠告通り泥沼化。
- カウンターカルチャー、ドラッグ、ウーマンリブで米国白人中流層の家庭は崩壊。
- 人種戦争も過熱化。
世界最強国家アメリカは病に陥り、1%の金融資本が牛耳りやすい構造に変化した。
英米による独仏接近妨害工作
話をエリゼ条約(仏独友好条約)に戻す。英米は独仏接近の妨害工作を画策。
NYの支配者たちは アメリカ製品の効率的な輸出先としての意味で、欧州共同市場を望んではいたが、政治・経済的に独立した欧州大陸を望んではいない。
西ドイツ - 政界へ圧力
ドイツ政界は米国大使館からの圧力もあり分裂した。
アデナウアー独首相は ドイツ経済の奇跡的な大復活を導いた実力者だったはずが、ドイツ議会で仏独協力条約が審議される直前に辞任。
禅譲されたエアハルト副首相は、親英米の立場だった。
フランス - ド・ゴール暗殺未遂31回
フランスではド・ゴールが31回もの暗殺未遂に遭遇。
四人組の暗殺者が同時に機関銃を乱射した際には、いつも胸に携えていた次女アンヌの遺影の額縁が 銃弾から身を守ってくれたという。
「四人がかりで一人も射殺できないとは、銃の扱いが下手な奴らだ」
本物の戦場で指揮官を務め、亡命政府まで指導した元将軍のメンタルはタフだった。
ド・ゴール退陣
やがて英米の投資会社が 仏フランのパニックを仕掛けると、フランスの金が大量に流出。学生を中心とした暴動が全国に拡大。
欧州独立を主張したド・ゴールは退任に追い込まれ、フランスの発言力は大幅に小さくなった。
ド・ゴールの俺流は一定の爪痕を残したものの、今回も英米シーパワーが、仏独ランドパワーの団結解体に勝利。
ユーロ・ドルの蓄積
経済の話に戻る。
この時代には、フォードのような産業基盤を大切に育成するアメリカ伝統の経営哲学が、英国流のマネー主義に 取って代わりつつあった。
シカゴ学派、新自由主義 経済学者ミルトン・フリードマンたちの台頭である。
「倫理・道徳・奉仕などよりも、金が儲かれば良い」という唯物主義的な発想が、キリスト教圏であるはずの西側、英米で発達した。
戦後欧州の立場
前回記事にあった通り、二次にわたる世界大戦で欧州の産業基盤は崩壊。深刻な資本不足であったところに、米国NYから大量の投資が行われた。
これは欧州が、高額な利子を米NYに支払い続けたことも意味している。
米国内より欧州に投資した方が儲かる
マネー主義者であるNYの大銀行にしてみれば、米国内で投資するよりも、欧州に投資する方が遥かに大儲けできた仕組みだ。
貸し付けるのは欧州の国家。国家への貸し付けは 取りっぱぐれることがないため、NYの金融資本家たちは安心して大儲けできた。
米国内の経済基盤が衰退
ただし、米国内への投資がされないということは、肝心の自国経済の衰退を招く。それでもNYの金融資本家を敵に回したくない米政府はこれを黙認。
米国の対欧州 年間純資本輸出
1957年 | 250億ドル未満 |
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1965年 | 470億ドル以上 |
やがて米国に流入するマネーよりも、流出するマネーが大きくなった。
ユーロダラーの蓄積 - ブレトンウッズ体制崩壊の兆し
欧州経済が大きな復興を果たしたことにより、世界経済のバランスも大きく変化。NYに集中していたマネーが、欧州に蓄積されていたのだ。
米国を離れ、欧州に蓄積された米ドルのことを「ユーロダラー(ユーロドル)」と呼ぶ。
米国からドルが流出し 欧州にユーロドルが蓄積されることが、後にブレトンウッズ体制の崩壊を導くことになった。
今だけ 金だけ 自分だけ
- NYの国際銀行家たちが、欧州で稼いだマネーを米国内のインフラ整備、工場設備更新、技術発展に投資していたならば、1960年代のアメリカはもっと幸せだったろう。
- NYの国際銀行家たちが、第三世界に投資していれば、彼らがアメリカ製品を輸入してくれるほど成長していたかもしれない。
NYの国際銀行家たちは、みんなが幸せになれるチャンスを無駄にした。
ベトナム戦争景気でごまかした
この後、米国は泥沼のベトナム戦争*で巨大なマネーを支出。戦争は巨大なマーケットを強引に作り出すビジネスでもある。
欧州の成長と対照的に、米国の産業基盤が衰退している事実をごまかすには都合がよかった。実際、ジョンソン大統領はそうした。
*ベトナム戦争への米国介入は1965〜73年。
軍産複合体の強大化
軍事ビジネスを国家事業にすることで、アメリカはNYの「金融」と「石油」企業の利益を荒稼ぎ。
イングドール氏はこの姿を「20世紀の反共主義の衣を着た 19世紀の大英帝国の再来」と評している。
戦争特需には終わりがある
ベトナム戦争により膨大な財政赤字が発生したが、防衛産業の雇用があることで、米政府は労働者たちを黙らせた。
しかし、泥沼化したベトナム戦争といえどもいつかは終わる。この歪な経済構造がいつまでも続くはずがない。
ブレトンウッズ体制の崩壊 - 次の新世界秩序へ
これらの矛盾は次回記事にある通り、ブレトンウッズ体制の崩壊、「金本位制」終了(ニクソンショック)に現れることになった。
金の欧州流出でその裏付けを喪失した米国ドルに、金本位制を継続する支配力は失われていたのだ。
英米の金融資本は次の新秩序を求めることになった。そのための舞台装置が 次回 石油地政学史7 にて取り扱う「石油ショック」である。
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この記事のまとめ
石油地政学史⑥ - 1963年エリゼ条約 - ド・ゴールによる欧州復興とユーロドルの蓄積- ド・ゴール仏大統領はアデナウアー独首相とエリゼ条約(仏独協力条約)を締結。強い欧州を目指した。
- ド・ゴールはケネディ米大統領とも個人的な信頼関係を築けそうであったが、その矢先にケネディは暗殺。
- ドイツではアデナウアーが事実上の失脚。フランスでもド・ゴールが退陣に追い込まれ、仏独協力条約は強い欧州の復活にまでは発展しなかった。
- 一方、マーシャル計画の結果、欧州には「ユーロダラー」が蓄積。ブレトンウッズ体制の崩壊が近づいていた(ニクソンショック)。