『内乱憲法 / 共産主義者らの目的は皇室の抹殺』 - 安部孝一氏(元第百七師団長)の言葉まとめ③
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元、大日本帝国陸軍の第107師団長である安部孝一氏。
国を愛し、自由を愛し、日本の未来を憂う安部氏のことばを、HOTNEWSでは全4回のシリーズで紹介している。
前回の「教育」に引き続き、第3回目の本稿では「現行“内乱”憲法について」をお届けする。
※ なお安倍氏は、昭和52年(1977年)に84歳で他界された。本シリーズの内容を理解するには、そうした時代背景も念頭に置く必要がある。
現行憲法は、諸悪の根源
敗戦後わが政府は、ひたすら経済復興に没頭し、今日のような物質的成果を達成したが、その反面、精神的の対策に関しては、有効適切な手を怠った。
その当然の結果として国の秩序は乱れ安寧は脅かされ、道義は荒廃して、ほとんど収捨すべからざる事態に陥らんとしている。
これが原因はなにか。ズバリいって、それは現行憲法の所為である。
内乱憲法
思えば、敗戦当時の日本人は、いわゆる“敗戦ボケ”で健全な判断力を失い、戦争放棄、軍備撤廃の条項に跳びついた。戦争に懲りごりした人々は、これで永久に戦争の苦しさから解放されるものと信じたのだった。そしてその他の条項の欠陥には気づかなかった。
だがこの憲法が施行されてから28年、わが国民は、果たしてどれだけ幸福になったか。
現行憲法は極端に自由を強調している。デモや集会の自由、思想や表現の自由等々。これが民主主義の名のもとに、ほとんど無制限に放任されている。
国家転覆のため集合しても、政府は事前にこれを取締ることはできず、鉄パイプや角材を準備携行しても戦闘行為に移るまでは、単なる建築材料なるがゆえに、兇器と断定できないし、兇器準備集合罪を適用しようとしても、行動発起の瞬間までは、検挙さえできない。
これでは暴れ得で、違反者に箔がつくだけ。恐るべき自由過剰、野放し自由万歳だ。
列車は一定の駅から、一定の時刻に発車する。かかる制約があればこそ、人々は自由に旅行の計画が立てられる。この制約がなかったら、世の中は全く不自由極まるものとなろう。
自己の自由を主張するなら、同様に他人の自由をも尊重せねばなるまい。かれら暴徒の自由は一方的、野放図の自由である。
旧憲法の言論や結社や信仰等の自由には「安寧秩序を乱さざる限り」とか、「法律の定るところにより」といった制約条項を設けているのは 極めて当然であり、これを除外した現行憲法は、決して「平和憲法」ではなく、むしろ「内乱憲法」である。
共産主義の浸透
健康な身体には病毒に対する抵抗力があるが、しからざる場合、病毒は忽ち全身に蔓り、ついに生命を奪う。
日本人が敗戦ボケで呆然自失、物資とくに食糧欠乏に苦しんでいるとき、これに乗じて共産主義病が猛烈な勢で侵入して来た。そして自由過剰の現行憲法の虚を衝いて、巧みな赤色政策を展開し、忽ちのうちに各界に潜入した。
かくて労働者、教育者、官公吏、学者、法曹界、マスコミ等 あらゆる分野に浸透した。
病根は核心に
支那5,000年の興亡の歴史を見るに、国民が質実剛健、道徳が確立している時代はその国が興隆し、太平久しくして国民が文弱に流れ、武備を怠り、享楽に耽るとき、北方より剽悍なる民族が中原に侵入してその国を征服し、覇を唱える。
そして同様の治乱興亡を繰返して今日に及び、目下共産勢力の支配下にある。
幸いわが国は、一民族として同じ言語により統制され、一系の天皇のもとに結束した。しかし、この古今無比の国体は現行憲法により否定された。けれども多くの国民は、今なお皇室を尊崇敬愛し、熱烈なる支持を寄せている。
共産主義者は、わが国に天皇の存在するかぎり共産革命は成功しないことをよく知っている。それゆえにこそ、かれらは手を変え品を易え、皇室に対する攻撃を次第に強化しつつある。かれらの目的は皇室の抹殺である。
古来、日本国民は天皇に苦しめられた記憶を持たない。むしろ、天皇を仁慈の化身として敬慕した。民の飢饉を知って三年間租税を免ぜられた仁徳天皇、寒夜衣を脱いて民の苦寒を察せられた後醍醐天皇のことなど、国民に深い感銘を与えている。
第百五十代後奈良天皇の時代、国内は戦乱のため麻のごとく紊れ、皇室の衰微その極に達し、皇居のみあかしが三条の橋から眺められ、紫宸殿の右近の橘のそばに町の茶店が開かれ、色紙に金銭を添えて回廊に置くと親筆が得られたという。
時恰も国内に疫病が蔓延し多数の死者が続出したが、天皇は「われ民の父となりて救う能わず、われ深くこれを悼む」と仰せられ、紺紙に金泥をもって経文を写して諸所の寺社に奉納され、ひたすら平癒を祈願されたという。
私は寡聞にして古今東西の王者-尭、舜、烏、蕩(いずれも古代支那の名君)をも含めて―にしてかかる例を知らない。
現代の国民はこのような史実を知らない。それは教えられていないからだ。反対に左翼インテリたちは、公々然として皇室蔑視のキャンペーンを展開している。
例えば、革命の元兇小田実のごとき、天皇を「途方もない税金の浪費者で、あんなヤツがいる限り、日本は少しもよくならない。同様に考えている人々はあまたいる」と書いている。
また兄弟の歴史学教授、革命の鼓吹者井上清はその著者に「天皇は僧侶、乞食、淫売と並び称せられ、本質的に同じ部類に属する社会の寄生虫である」と断定している。
最近天皇の新聞記者会見に関し、共産党のアカハタ紙は、戦争責任、原爆に対する天皇の発言について、一斉に攻撃を展開して追及にのり出した。
敗戦直後、天皇は親ら(みずから)マッカーサーを訪ねられて「責任は全部自分にある。自分の身はどうなってもよいから他の者の責は問わないように」と仰せられ、皇室財産の書類を全部差出され「飢えつつある国民を救ってもらいたい」と頼まれた。
天皇親ら敵将の前に、ご自身で身をもって全責任を負う旨をはっきり申されたことは、マッカーサーの手記で明らかであり、かれをしていたく感動させたという事実がある。
天皇の責任問題に関して、これで十分ではないか。これ以上いまさら、なにを聞きたいというのか。
また、原爆投下に関し「戦時中止むを得ない」と申されたのにも同様に反発しているが、陛下は原爆の奇襲攻撃を受けて「これ以上抵抗しても無駄であり、ほかにどんな手段があるのか、全く仕方がなかった」という考えを率直に述べられたのであって、記者たちが現在および将来における核に対する陛下の意見を知りたかったらしいが、これは全く次元の異なる別個の問題である。
かくて、今後この会見を突破口として、皇室軽視の思想をあおり、その威信を失墜させて国民との間を離間させ、勢の赴くところ、エチオピアに見るごとき最悪の事態にも立ち到り兼ねない。
むすび
日本の現状は病的である。しかも次第に悪化しつつある。共産主義者の究極の目的は革命にあるが、日本人は革命の真の姿を知らない。フランス革命をはじめ、ソ連の革命、中国の革命 等、その悲惨さは戦争以上である。
いまの憲法は革命の布石的要素を持っている。戦争は通常外敵との間に行われるので、これを否定するのは結構であるけれど、革命は国内において、同民族が血で血を洗い、互に訴い合い、密告、裏切り等あらゆる悪徳が横行して、人々は最早だれをも信じられなくなる。世の中にこんな不幸なことがあろうか。
そして結局プロレタリア独裁の世となり、庶民の自由は極度に奪われる。われわれはこんなことにならないよう、よりよい後継者を育成すべく、一大決意をなさねばならない。
昭和50年1月
元第百七師団長 陸軍中将
安部孝一
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