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脱北者「李ヒョンスン」インタビュー② 北朝鮮エリート高官が明かす金正恩の粛清と人権侵害問題

更新日:脱北者「李ヒョンスン」インタビュー② 北朝鮮エリート高官が明かす金正恩の粛清と人権侵害問題

脱北者「李ヒョンスン」氏のインタビュー全文(書き起こし)その2。

前回 その1では「亡命した北朝鮮エリート高官の経歴」について お伝えしました。


今回は

  • そんなエリート高官の家族が、なぜ脱北を決意したのか?
  • 国家保衛省
  • 金正恩による粛清
  • 北朝鮮の人権侵害問題

に関する内容です。

目次
脱北者「李ヒョンスン」インタビュー② 北朝鮮エリート高官が明かす金正恩の粛清と人権侵害問題
北朝鮮エリート高官の家族が、脱北(亡命)を決意するまでの道のり

脱北者「李炫昇/リヒョンスン/李ヒョンスン」氏


まず、私の家族が亡命した背景と動機についてお話しします。

2014年10月、私たちの家族は、一生に一度の非常に重要な決定をしました。名誉、権力、富、これまで築き上げてきた全てのものを捨て、北朝鮮を離れ亡命する道を選んだのです。

容易ではない決断でしたが、私の家族は、私たちが成そうとする夢を抱き、自由を求めて北朝鮮を去りました。

幸いなことに 父が北朝鮮で特別な地位にあり、家族が中国に居住していたため、亡命の決断や亡命の過程(ルート)が 多少自由でした。

李ヒョンスン氏の父親は、金正日から勲章を授与されるほど

私の父は 約30年間、北朝鮮の朝鮮労働党39号室で上級職経済官僚として勤務していました。 30年間勤務しながら、北朝鮮の国営大企業CEO、取締役会理事長など、前北朝鮮指導者である金正日からの直接任命により、次官級に匹敵する地位を二回ほど務めました

国に献身した功労で、北朝鮮 最高の栄誉である「努力英雄」の勲章とメダルも授与されました。

父は90年代末から2000年初頭まで、金正日から松茸貿易の独占的権利を与えられ、松茸と 北朝鮮産 水産物の、日本との貿易責任者へ就任。それ以降は、北朝鮮の経済発展政策を作り、中国における活動では、北朝鮮への大々的な投資を引き出しました。

入閣目前だった、李ヒョンスン氏の父親

私の父の経歴を紹介する理由は、父は 国のために献身したことで、北朝鮮エリート層から多くの信頼と尊敬を受けていたのです。亡命前には、北朝鮮政権は父を閣僚の席に任命しようとさえしました。

このような父だったので、彼が亡命しようと提案したとき、私の家族でさえ正直なところ非常に驚きました。今でも「北朝鮮の中では、なぜ私たちの家族が亡命したのか 不思議に思っている方々が多い」と聞いています。

金正恩の残虐非道な粛清

私の家族が亡命を決めたのは、金正恩の残虐非道な処刑と粛清が理由でした。金正恩は叔父の張成沢を処刑すると共に、約500名にも及ぶ人々を粛清しました。

政治犯収容所に送られた彼らの家族や親戚まで合わせれば、1万名を超える人々が処罰を受けています。

高射砲・戦車・火炎放射器による処刑

張成沢部長の側近であった リ・ヨンハジャン・スギル は、張成沢と数十人の党/軍幹部が見守る中で高射砲で銃殺。

「この者たちは、この地に埋葬される資格すらない」と言われ、戦車で残った体を敷かれて粉砕、火炎放射器で焼かれました。

その処刑場に参列した2人の高官が 私の家族に直接説明してくれた処刑の様子です。北朝鮮のすべての幹部が その処刑を見て驚きを隠すことができませんでした。

金正恩の粛清により、多くの知人・友人を失う

私の父も多くの知人を失いました。私も友人2人を失いました。そのうちの1人は、彼の義父と一緒に粛清されたのです。粛清の理由は「彼の義父が、張成沢部長の最側近であるジャン・スギル副部長だったから」というものでした。

また、非常に親しい友人の一人は、彼の祖父が金敬姫(=金正恩の叔母)の最側近として 長い間 働いていました。「彼の祖父が金敬姫の側近」というだけの理由で、家族・親戚全体が一晩の間に 政治犯収容所へ送られました。

私が2014年9月 平壌へ行きましたが、この友人が生きているか 死んだのかさえも確認できませんでした。

国家保衛省に連行された人々は、消息不明

また 私の妹は、中国留学していた北朝鮮学生のルームメイトが 目の前で、北朝鮮の国家保衛省*員たちに連行されるのを目撃しました。その友人が連行されながら、最後に私の妹へお願いしたことは「自分の持ち物を平壌の自分の家に送ってほしい」という文字のメッセージでした。

* 国家保衛省:北朝鮮の秘密警察、情報機関


私の妹がその友人の持ち物を整理し、平壌へ送ろうとしましたが、最後に文字メッセージをやり取りした後、その友人を どこにも見つけることはできませんでした。

また、妹の別の友人であるマレーシア大使の息子たちも、「張成沢と親戚だ」という理由で 北朝鮮へ連行されました。

金正恩の人権侵害には、我慢ならない! 脱北(亡命)を決意

その後も金正恩の粛清は1年近く続きました。北朝鮮における全機関のエリートたちが粛清対象となり、被害を受けました。

金正恩が執権している6年間に殺された多くのエリートたちは、金正恩が生まれる ずっと以前から、北朝鮮という国に献身して功績がある人々だったのです。

北朝鮮という国と人民のために軍服務や労働を一度もしていない幼い人間が、多くの人々を高射砲で無惨に殺すことは、私と私の家族にとって容認することができないことでした。

何より、人が人を殺すことに対して 何の感情も感じないのは、単純に殺人鬼が行うことと同じです。

自国民を簡単に殺害する指導者に絶望

金正恩は、人々を殺す命令をすることに、少しのためらいや考慮もありませんでした。一国の指導者が自国民を銃刀で殺害することは、彼が指導者の資格はもとより、一人の人間としての資格もないと考えました。

それでも私たちの父と家族が長い間「北朝鮮」という社会に生きることができたのは、北朝鮮という国家への信仰と希望があったからでした。本当に北朝鮮という国が、国民のための社会だと信じていたのです。

しかし 非人間的な処刑を見ながら、そのような信仰が粉々に崩れ、希望もなくなり、すべてを放棄して亡命を選びました。