脱北者「李ヒョンスン」インタビュー③ 北朝鮮の洗脳教育と飢餓状態、朝鮮人民軍・金正恩の真実
更新日:脱北者「李ヒョンスン」氏のインタビュー全文(書き起こし)その3。
前回 その2では「エリート高官の家族が なぜ脱北を決意したのか」について お伝えしました。
今回は
- 超格差社会である北朝鮮の現状
- 朝鮮人民軍の腐敗と悲惨さ
- 金正恩の無能さ
- 北朝鮮の飢餓状態
に関する内容です。
次は、私が北朝鮮エリートの一人として生きてきた背景と経験をお話しします。
私は1985年に原山(ウォンサン)という海沿いの都市で生まれました。非常に美しい都市で、金正恩も幼少期のほとんどを原山で過ごしました。ですので 彼は現在、原山を世界的な観光都市にしようと、国家のすべてのリソースを投資しています。
私の知る限りでは、金正恩も原山で暮らしながら「万景峰92号」や「三池淵号」旅客船に乗って、日本へ よく遊びに行っていました。
北朝鮮 最高幹部の子供たちが通うエリート学校に、李氏も通っていた
私は原山で5歳まで過ごし、父が中央党39号室へ昇級した際に 平壌へ引っ越し。その後は、北朝鮮学生として最高のエリートコースを歩みました。
小学校も、北朝鮮では 最高のアーティストやミュージシャンを養成する金星学院に通い、中高等学校も、最高級の平壌外国語学院で英語を学習。
これら二つの学校が北朝鮮トップの教育機関だ ということに異論を唱える人は、おそらく誰もいないと思います。金正恩の妻である李雪主も金星学院で歌を学びました。
そして私の知る限りでは、平壌外国語学院には 北朝鮮最高幹部の子供たちが、ほぼすべて集まっていたのです。
私の同期だけをみても、金日成家系の子供たちを始めとし、党・軍・経済・外交部の官僚たちの子女が集まっていました。いまだに私の友人、同期の両親や親戚が 金正恩の周囲で上級職に就いています。名前だけ聞いても分かる高官の方々も多いです。
北朝鮮は、生まれつきの超格差社会
私が北朝鮮のエリート学校と私の同期たちについて紹介する理由は、北朝鮮は「社会的正義と平等」「人民大衆のための社会」という理念で作られた国であるにもかかわらず、このように生まれつき(または、初等教育機関から)根本的な区別のある格差社会だ ということをお伝えしたい為です。
そして、彼らが「外国に向かって宣伝する北朝鮮」と「実際の北朝鮮」は、全く違う ということもお伝えしたいのです。
このような いくつかのエリート特殊学校の生徒は、北朝鮮男性が憲法上定められている「軍服務の義務」も免除されます。つまり この学校に通った男子学生は、軍隊に行かなくても良いのです。
朝鮮人民軍の真実 - 酷いいじめ、劣悪な環境
私も平壌外国語学院を卒業し、軍服務免除を受けました。しかし 私は両親と相談をし、17歳で軍へ入隊。 3年3カ月間の軍での経験は、私にとって非常に特別なものとなりました。
私は未だに 入隊した最初の夜を忘れることができません。私が夜、病室に新入兵士と共に入ったのですが、病室には すでに9人の兵士がいました。彼らは除隊の直前だったのですが、彼らの右手は2本の指が切り取られていたのです。
自ら指を切り落とした朝鮮人民軍の兵士
私は何があったのか と聞いたのですが、彼らは単純に事故だと答えました。後で他の兵士が話していたのですが、その兵士たちは軍生活がとても大変で、自分の指を "自ら" 2本切り落としてしまったそうです。
北朝鮮軍では「指が2本以上ない場合は 自動的に除隊となる」と言う規定がありました。これは推測に過ぎないのですが、彼らは空腹、関係者によるいじめ、つらい労働と訓練、劣悪な環境に 耐えられなかったのだと思います。
まだ彼らの手が、私の記憶の中で鮮明に残っています。なぜならば、そのような光景を見たのは、私は生まれて初めてだったからです。
たとえどれほど苦しかったとしても、自分の指を自ら切ることができる人が どれほどいるでしょうか?
朝鮮人民軍の悲惨な食事
もう一つ軍生活で忘れられないのが、軍部隊の食事です。
毎日 定められた食事は
- 「トウモロコシ7:白米3」の割合で混ざったご飯一杯
- 塩味の汁一杯
- 塩漬けになった大根一切れ
- 大根の炒め一切れ
- キムチ一切れ
- 味噌ひとさじ分
でした。
私はこの食事を、1年半の間、平壌近くの部隊に移るまで毎日食べていました。
ご飯に入っていた白米は、もみ殻が多すぎて食べることができませんでした。食事の栄養価などは少しもなく、部隊のほぼすべての兵士が栄養失調に苦しんでいました。おそらく皆さんがその食べ物を食べると、すぐに嘔吐してしまうかもしれません。
私は幸いなことに、両親から送ってもらった資金で、ほぼ毎日 外で買って食べました。もしそうしなかったならば、私も栄養失調で複数回 病院へ運ばれたことでしょう。
北朝鮮国民は飢餓状態
ところが、ここでさらに衝撃的なのは「ほとんどの兵士たちがその食事を食べることで満足していた」と言うことです。
彼らによると、家では 一日三食を食べることさえもできないが、軍では一日三食はご飯を食べることができる。軍生活のほうがマシと言うことでした。
私はその話に大変なショックを受け、北朝鮮の国民たちが 本当に悲惨な飢餓状態で生きているのだと言うことを学びました。
北朝鮮では、将官と一般兵の配給は 天地の差
参考までに、後に平壌近くの総参謀部直属の特殊部隊へ派遣されたのですが、この部隊の食事は将官級の配給でした。毎日ではないにせよ、定期的に牛の焼肉、鶏肉、バター、パン、麺、様々な野菜や水産物などを まんべんなく食べることができたのです。
おそらく一般的な兵士たちは想像もできない食べ物だったことでしょう。いわば将官と兵士の食事供給は、天と地の差です。
軍への服務と軍隊生活が、私にとって非常に大きな学びと 社会の真実を経験できる 良い機会となりました。
朝鮮労働党への入党が、北朝鮮では名誉なこと
軍を除隊した後は、朝鮮労働党へ入党。北朝鮮で党へ入党することは、最も普遍的な栄誉だと考えられています。私は20歳の時に入党しました。
しかしながら、一般国民が20歳で入党するためには、必死の覚悟があってこそ可能となります。それだけ入党の敷居が高いのです。若い頃 死にものぐるいで国家と社会へ献身した者に与えられるのが、党員としての栄誉です。
朝鮮労働党へ入党できない者は、社会的に捨てられる
北朝鮮では、「党員になること = 社会的な地位を築くことができる 基本的な権利を有すること」を意味します。
もし党員でなければ、社会的に捨てられたり、存在そのものすら無視されてしまうでしょう。
北朝鮮の若者が歩むべきエリートコースを、全て制覇した李氏
3年3ヶ月の軍服務を終えて党員になった私は、平壌外国語大学へ進学しました。大学に入学して3ヶ月後、中国へ派遣された両親についていき、中国へ留学。
私は20歳までに、北朝鮮の若者として成すことのできる全てを成し遂げた といっても過言ではありません。最高の学校と軍服務、入党、中国留学に至るまで、北朝鮮という社会において超高速で昇進できる条件を、すべて持っていました。
中国に留学し北朝鮮の洗脳が解けるまでに、3年かかった
しかし、中国での生活は、私に多くの認識の変化をもたらしました。
事実、中国での最初の3年間、私は 北朝鮮が中国より劣っているとは考えていませんでした。目の前で、中国が日々発展をしているのをみても、自分が育った北朝鮮という国に対する誇りと、北朝鮮も発展できるという信仰、そして最も重要なことは、おそらく 北朝鮮政権から洗脳された情報と教育とが、私の認識と判断を曇らせていたようです。
中国の人々に、中国が北朝鮮よりも優れているものが何かを尋ねられたとき、私はただ「電気とタクシーが多いこと、自由に映画を見ることができるくらいだ」と答えていました。今考えると非常に愚かな答えでした。
北朝鮮の人々は、自らの自由と人権が侵害されていることに気づいていない
その当時の私は「自由と人権」「資本と市場」の概念すら持っていませんでした。
恥ずかしい話なのですが、私は人類の普遍的価値についても、米国に来て初めて知るようになったのです。なぜなら、北朝鮮ではそのような概念について 触れる機会がありませんでした。
また、見て学ぶことができる資料すら北朝鮮にはありません。
北朝鮮の全ての人々は
- 自分たちの自由と人権が侵害されていること
- 自分たちの労働力が搾取されていること
すら、知らずにいるのです。
北朝鮮では「国家指導者が全てを決める」と洗脳されている
中国への大学留学時代、最初に印象に残ったのは「学生が自分の学びたい科目を選択することができる」と言うことでした。なぜなら、北朝鮮では想像すらできないことだからです。
北朝鮮の教育は、すべてが国が定めた資料と教材で授業が行われるため、自分の自由意志で科目を選択するということは、私にとって大きなサプライズでした。
北朝鮮の人々は、他国の国家システムを誤解している
ほとんどの北朝鮮の人々は、世界のすべての国が資本市場を除いて、北朝鮮がとっているような国家システムだと思っています。
三権分立の概念がなく、国家指導者が決定するどんな命令でも従わなければならず、あらゆることにおいて「選択ができる」という考えを持つこと自体ありません。
私もそのような人間の1人だったので、自由に授業を選択できることに 少なからず驚きました。
朝鮮労働党員としての自覚と、恐怖政治(粛清)への怖れ
中国でニュースや多くの情報に接しながら3年が過ぎ、私の認識に変化が訪れました。
- 北朝鮮政権の宣伝が虚偽であるということ
- 世界で一番住みやすい国ではなく、世界に遅れをとった三流国家であること
が徐々に分かってきたのです。
しかしながら、「党員」という自覚と「私の言動により 家族が被害を被る」という思いから、北朝鮮政権に対して批判的な思想を抱くことはしませんでした。
改革開放(資本主義の導入)を拒み、北朝鮮経済を破滅させる金正恩
中国の大学を卒業(経済学の学士を取得)した後は、大学院に通いながら、中朝貿易に関与。石炭・鉄鉱石を始めとした天然資源と船舶の運営を3年間しながら、北朝鮮と中国の地方を多く周りました。
私がビジネスをしながら 中国の人々から最も多く聞いた言葉は、「なぜ北朝鮮は改革開放*をしないのか」でした。
* 改革開放:市場経済の開放、外国資本の導入
そのたびに、私は答えることができませんでした。私も なぜ改革開放しないかを知らなかった為です。
改革開放論者を粛清する北朝鮮政府
改革開放をすれば、住民が経済的自由を享受して 生活が豊かになる。しかし なぜ北朝鮮政府は市場開放しないのか、理解できませんでした。そのような質問に答えてくれる所は、北朝鮮にはありませんでした。
北朝鮮は未だに「資本主義は社会不正と不平等を育てる社会システムだ」とだけ教育しており、「資本・市場・改革」の声だけ出ても反党反革命分子と規定して処罰します。
金正恩と張成沢
中朝貿易が活性化し、北朝鮮も経済発展政策を進めていたにも関わらず、金正恩がすべてを水の泡にしてしまったのです。開放政策を広げた張成沢と 多くの人々を殺しながら、北朝鮮の希望を消してしまいました。
一部の人々は「金正恩政権下で北朝鮮経済がとても良くなった」と言っていますが、金正恩政権以前から経済開放政策を主導した人が まさに張成沢です。
金正恩が国政運営に成功したから良くなったのではなく、金正恩が執権する前から すでに良い政策がたくさん出ていました。今ではその多くの市場開放政策を 金正恩が全て撤廃。
金正恩の経済政策
金正恩は正式な教育を受けておらず、経済の知識がまったくありません。お金を使うことだけは知っているものの、作り出すことは知りません。
彼が新たに出した経済政策を見ると、過去の金日成政策の言葉だけを変えて真似ただけです。
金正恩の御用学者
金正恩も執権初期には「世界で最も優れた経済システムを作れ」と、政策研究チームを設け、ドイツ、シンガポール、中国、ベトナムなどに人を派遣していました。
私の友人もドイツへ行って勉強してきましたが、学者たちは(北朝鮮の)経済政策の理論を作ることができなかったのです。
彼らは「市場経済」こそが最も成功した経済システムであることを知っていました。しかし金正恩が必要とする経済システムは「党の独裁体制を保証するシステム」。すなわち「自分(金正恩)の言葉通りに動く経済システム」だったのです。
結局 学者たちは「北朝鮮の計画経済が最も良いシステムだ」というレポートのみを提出。彼らも生きるためには、そうする他ありませんでした。
私たちは、このような状況と 非人道的な蛮行を見ながら、一人の指導者が国民を豊かにすることもできるし、国民を地獄へ落とすこともできる と言うことをひしひしと感じました。