【吉野家の聖地】築地一号店が閉店へ…幻の限定メニューや会計時の裏話
「吉野家 築地市場一号店」の閉店に伴い、ファンに愛された「裏メニュー」や会計時の裏話などを、吉野家の歴史と共に振り返ってみようと思う。
日本で暮らすならば 老若男女を問わず、一度は食べたことがあるであろう「吉野家の牛丼」。
その一号店が 築地市場から豊洲新市場への移転に伴い、2018年10月6日午後1時をもって閉店する。
今回 筆者は「吉野家の聖地」と呼ばれる「築地一号店」に出向き、その歴史を胸に刻むことにした。
吉野家イズムの原点といわれる「築地一号店」。
吉野家のオレンジ色をした「のれん」は、とにかく印象的だ。
キン肉マンも愛した吉野家の牛丼
筆者世代では「キン肉マンの大好物」として記憶に刻まれている、吉野家の牛丼。キン肉マンが牛丼音頭を歌いながらほおばる牛丼の美味しそうなこと。
「 牛丼一筋300年♪ うまいの、はやいの、やっすーいのー♪ 」
牛丼の歴史は明治時代からのハズ。なぜ300年かは、大人になった今でも分からない…。
残念ながら、その後 "キン肉マン作者" と "吉野家" 間で確執があったことは、一部ファンのみが知るところ。
しかし、この度の築地一号店 閉店は、キン肉スグル君も惜しんでくれているのではないだろうか。
時には「一杯280円から」という激安価格にもかかわらず、その安定した旨さ。キン肉マンならずとも「青春時代の忘れられない味」という方も多いことだろう。
クオリティ高い牛丼が驚きの価格で気軽に食べられることから、日本人にはとても馴染み深い店となった。吉野家が日本経済に残したインパクトは計り知れない。
築地一号店といえば
築地一号店を訪れた吉野家ファンならば、きっと注文するであろう「アタマの大盛」。
今では吉野家の定番メニューになったが、元々はこの築地一号店だけの裏メニューだった。
なんと築地一号店の「アタマの大盛」だけは、丼が緑色で登場する。
ファンの間では これを「幻の緑の丼」と言う。
なぜ築地店だけ 丼ぶりの色が違うのか ・・・それは築地一号店が非常に忙しく、いちいち伝票を扱っている暇が無い為。
つまり、店側は丼の色を見て会計をするのだ。
築地一号店では、有名な裏メニューがたくさん
実は 築地一号店には「裏メニュー」がたくさんある。
「ツユダク」くらいは吉野家の他店舗でも対応しているが、本記事でご紹介するのは、あくまで「築地一号店の限定メニュー」。その点をご注意願いたい。
吉野家 築地一号店「裏メニュー」
- ツユダク ツユ増量
- ツユダクダク ツユさらに増量
- ツユダクダクダク ツユ入れすぎ
- ツユヌキ ツユをいれない
- ネギダク タマネギ増量
- ネギヌキ タマネギをいれない
- トロダク 脂身の多い肉を増量
- トロヌキ 脂身の多い肉をいれない
- ツメシロ 冷めたご飯に具材をのせる
- アツシロ レンジでさらにアツアツにしたご飯に具材をのせる
- ニクシタ 具材の上にご飯をのせる
- 半シャリ ご飯半分
- 冷汁 さました味噌汁を牛丼にかける
- 芯だけ お新香白菜の芯だけを提供
ちなみに、忙しい常連客の注文にいたっては、顔を見て会計をすることも。
すなわち、店側で常連客 約600名分の注文メニューをしっかり把握しているというのだ。
時には 常連客が無言で席につくこともあるが、その前には 既に牛丼が出されている事も・・・。
す、すごいぜ築地一号店!
築地一号店の歴史
吉野家創業は、1899年「日本橋」の魚市場。
それが関東大震災に伴う1926年の築地市場移転と同時に、吉野家一号店も移動した。
吉野家の歴史は いつの時代も 東京の卸売市場と共にあった。
徹底的な効率化を図ることで、消費者へのサービスを展開する吉野家。その原点は築地一号店にある。
築地一号店の店内
築地一号店は 築地市場の稼働時刻に合わせて開店し、朝5時から13時までフル回転・・・。
無骨で無口な男たちが黙々と食事を済ませ、足早に去って行く。築地の朝は 一分一秒が惜しいのだ。
たった15席しかない狭い店内の壁には、立食い客用のために箸入れが設置されている。
オーダー、品出し、会計、作業全般を効率化するために、メニューは牛丼一本。
吉野家牛丼の聖地であり、アイデンティティ
築地に移転してから 創業者の松田氏は、常連客が当時まだ高級だった「牛肉」を食べに来ていることに気づき、具材から豆腐やシメジを抜いたという。
牛肉のパートナーは その味を引き立たせる為「タマネギ」のみ。
現在の吉野家牛丼の原型である。
その後 狂牛病問題が発生した際も、全国で唯一この築地一号店だけは 牛丼を提供し続けた。
いわば 吉野家牛丼の聖地であり、アイデンティティなのだ。
この築地で培ったメニューと 創意工夫のサービスは、やがて全国展開する吉野家ホールディングスの原動力になったことは言うまでもない。
今や日本の「GYUDON」として 海外進出も果たしている。
・・・その吉野家築地一号店が、築地市場 移転と共に 2019年10月6日を持って、その長い歴史に幕を閉じる。
吉野家記念碑が奉納されている波除神社
築地入口にある波除神社。
ここには吉野家記念碑が奉納された。隣には活魚塚、海老塚、玉子塚、はては昆布塚まである。(※ 塚とは無論 お墓のことである。)
吉野家ホールディングスとしても名残惜しい限りだろう。現在の経営陣の何人かは、ここでアルバイトから入社した。
豊洲新市場店
築地では「市場内で働く方々のためのお店」という位置付けが色濃かったが、移転先の豊洲ではどうなるのだろうか。
実際に店舗予定地に行くと、すでに綺麗な外観ができあがっていた。
豊洲新市場では、一般的客と市場関係者のエリアは明確に分けられており、吉野家をはじめとする飲食店は 一般客エリアに位置している。
こうなると、築地で 5〜13時だった営業時間も変わるのだろうか…。
今後、日本の食文化を代表することになる豊洲新市場。
市場では 魚と野菜の取り扱いがほとんどだ。そこで毎朝働く人々が育てた牛丼文化 ・・・なんとも感慨深い。
豊洲新市場が 2020年の東京五輪開催を目前に控え、いよいよオープンする。新しい市場ではどんな食文化が発信されるのだろうか。
古き良き伝統と新しい発想が出会う。「吉野家 築地一号店」改め「豊洲新市場店」が、これからも日本の食文化を盛り上げてくれることを、期待してやまない。