【台風21号の被害】関西国際空港に閉じ込められた1泊2日間の体験談
更新日:台風21号の被害により閉鎖された関西国際空港で一夜を明かした、とある家族の体験談をご紹介します。
2018年9月4日に日本上陸した「台風21号」は、観測史上最大の瞬間風速を記録。「25年ぶりの大型台風」と呼ばれ、死者9人・負傷者450人越えという大きな傷跡を残しました。
大阪は特に被害が甚大で、関西国際空港では大規模停電と共に、空港が閉鎖されるという事態に…。
その混乱の中で、幼い子供や高齢者を連れた一家は、どんな経験をしたのでしょうか?
情報提供者:韓国に住む日本人女性(夫、3人の子供、義理の両親と日本旅行を終えて出国する際に、台風に遭遇)
台風21号に遭遇した関西国際空港
9月4日。
私たち家族は4日間の日本旅行を終えて、関西国際空港(以下、関空)から仁川国際空港(韓国)へ出国する予定でした。
飛行機のフライト時刻は午後9時でしたが、台風の影響も考え、早めに関空へと向かいました。
雨は午前中から降り始め、あっという間に大降りに。私たちが関空に着いた午前11時半頃には、風も吹き始めていました。
レンタカーを返却した後、エアロプラザ(関空第1ターミナル向かい側のホテルと食堂街)の廊下にひとまずは座って、飛行機の時間を待っていました。
関西国際空港のエアロプラザ天井ガラスが割れる
そして、正午過ぎ・・・。
暴風と共に、エアロプラザの天井ガラスが突然割れ、そのまま破片が3階から1階へ真っ逆さまに落ちてきました。
幸い真下の1階ホールに人はいませんでしたが、その場は一時騒然となりました。
↑ 窓ガラスの割れたエアロプラザの天井
私は、とっさに3人の子供達(7歳・5歳・1歳半)の居場所を確認し、安否を確かめましたが、その瞬間は足の震えが止まりませんでした。
↑ 午後1時~2時頃の関西国際空港の様子
あまりにも風が強くて成人でも吹き飛ばされそうでした。「絶対に外には出ないように」と言うアナウンスが、空港内で流れていました。
こんな暴風が大体1~2時間ほど続いて、午後3時過ぎに外に出てみると、関空はとんでもない状況になっていました。
台風21号の爪痕 - 浸水・破損した関西国際空港
↑ 道路まで浸水した関西国際空港
↑ 台風21号の影響で窓ガラスが粉々に割れてしまった車
↑ 暴風で飛ばされた車の部品
飛ばされたガードレールの一部が転がっていたのには驚きました。
外に出ていたらきっとこういう重い物体が飛んできて一発で死んでいただろうね・・・と夫と話しながら、第1ターミナルへ入ってみました。
停電中の関西国際空港ターミナル内の様子
↑停電のためエアコン停止、トイレも閉鎖された関西国際空港 第1ターミナル
停電のためエアコンが効かず、電気を使うためトイレも一カ所を残し全て閉鎖。もちろん、エレベーターやエスカレーターも止まっているので、重いトランクを階段を使って運ぶしかありませんでした。
↑ローソンに並ぶ長蛇の列
午後から真夜中まで唯一開いていたのは、エアロプラザのローソンのみ。食料を確保できる場所がここしかないため、お店は買い物客で長蛇の列。
我が家は、子供を含めた7人分の食料が必要でしたので、この状況にはかなり焦りました。
さすがに、この長蛇の列に並ぶのは気が引け、第2ターミナルまで移動し開いていたコンビニで食料を買いました。
台風21号で、一生忘れられない誕生日に
↑コンビニのケーキで誕生日をお祝い
実はこの日、たまたま長男の5歳の誕生日でした。
日本へ家族旅行しながらの誕生日だったので、美味しいチョコレートケーキを食べようねと前から約束していました。
それがまさか・・・新聞紙の上でコンビニのミニケーキでお祝いすることになるとは、夢にも思わなかったです。
ちょっと不満気な長男を家族でなだめながら、「一生忘れることのない5歳の誕生日」をお祝いしました。
避難所で家族全員の寝場所を確保
午後9時。
私たちが乗る予定だった飛行機は、当然ながら滑走路の浸水により全便欠航。
ネットも電気もダウンし、雨漏りしている第1ターミナルは、飛行機を飛ばすどころではありませんでした。
この日の夜は、エアロプラザに隣接する日航ホテルのロビーと宴会会場が避難所となったため、いち早く寝場所と毛布を確保し、何とか家族7人がエアコンの効いた場所で睡眠をとることができました。
しかし、第1ターミナルでは停電したまま夜を迎えたため、多くの乗客が段ボールの上で蒸し暑さに耐えながら、一夜を過ごしたようです…。
関西国際空港から神戸港へのフェリーが開通
↑フェリーを待つ長蛇の列
9月5日。
台風21号が関空を去った翌日、神戸港行きのフェリーが午前6時から開通したとの情報を受け、列に並ぼうと夫と向かいました。
しかし・・・、すでにフェリー待ちは長蛇の列。
午前6時半ごろ最後尾に並んだ時には、すでに私たちの前に2000人程いるとのことでした。
ここから、「関西国際空港 脱出作戦」のための長い一日が始まりました。
関西国際空港からの脱出劇
同行していた義理の両親と子供達3人は、昨夜の日航ホテルロビーで待機してもらいながら、夫はフェリーの順番待ち。私は、チェジュ航空のカウンターへ代替便を調べに向かいました。
ネットが繋がらず、停電により空港内の放送設備が機能しない状況のため、自分の足で情報収集するしかありません。とにかく一刻も早く韓国へ帰国するために、空港内を走り回りました。
多くの航空会社がコンピュータ・システムダウンを理由に代替便の受付をしていない中、チェジュ航空は一番端っこのカウンターで、来訪した乗客へ先着順に 臨時便の案内をしていました。
手書きと電話でコツコツと乗客対応をしている中、「とにかく一刻も早くこの関空を出て、名古屋の中部国際空港まで行けば、午後7時50分の臨時便に乗れます。」と、嬉しい知らせを聞くことができました。
この朗報を胸に、何とか帰国への希望を持ちつつフェリーの順番を待ちました。
中国大使館の対応力
昼過ぎになると突然、大勢の中国人たちがフェリー待ち行列の横に、別の列を作り始めました。
これには驚いてしまい、係員に尋ねると「空港の案内とは関係なく、中国大使館が独自に、中国人客を脱出させるためにバスを送った。」と困惑顔。
何とも羨ましい行動力を見せてくれる中国大使館の対応に、他国の乗客は何ともいえない表情でただ見つめていました。
ようやくフェリー乗り場行きのバスに乗車
午前6時半から並び始めた長蛇の列でしたが、午後2時半になり、やっとフェリー乗り場行きのバスに乗ることができました。
本来なら5分程度で着く距離なのに、道路は30分も掛かるほどの大渋滞。
タンカーがぶつかり故障した連絡橋は、一部のバスや施設管理のための車両のみが走れるようになっていたのですが、実際は一般の車両もずいぶん進入していたようです。
被災者をネタにするマスコミに怒りが…
バスの中から道路を見ると、いかにも観光客といった家族連れが、自家用車を走らせていました。
また、取材のために関西国際空港を訪れていたマスコミ関係者たちが、タクシーに乗っていました。
マスコミの腕章をしたまま口を開けて居眠りしている記者の姿を見た瞬間は、さすがに怒りを覚えましたね。
関空を脱出するために、今も数千名が列を作って待ちくたびれているというのに…。
たった一人でタクシーに乗って悠々と帰宅しているマスコミ記者の姿を見ながら、「彼らにとっては私たち被災者の恐怖感や不安に満ちた脱出劇は、一つの記事のネタでしかないのか」・・・という虚脱感すら感じられました。
もちろん大勢の乗客がいる中で、一部の人だけをタクシーや自家用車に乗せてあげることは難しいと思います。
しかし周りを見渡せば、車いす使用者や高齢者、妊婦さんも多く見かけました。そういう交通弱者を一人でもいいから同乗させてあげる精神を、記者として持っていただけたらな、と心から思う光景でした。
フェリー乗り場を経由して、中部国際空港へ
何とかフェリー乗り場に着いて、青い海を見た途端に、涙が溢れてきました。
まるで戦地から避難して故郷へ戻ったような安堵感・達成感。その後 高速フェリーは、あっという間に私たち家族を陸地まで運んでくれました。
生まれて初めて神戸の地を踏み、新神戸駅へと移動。そこから名古屋駅までは新幹線で移動。
ラッシュアワーの名古屋駅を子供と荷物を抱えて走り、中部国際空港へ到着したのが午後7時ジャストでした。
関空が閉鎖されたため、中部国際空港からの臨時便で出国
幸いにも、臨時便の乗客を航空会社がギリギリまで待ってくれていたため、7時20分にチェックインが完了。
搭乗券を手にした時は、丸一日ほとんど食べずに走り続けた疲れが、一気に吹っ飛んだ瞬間でした。
その後、無事に飛行機が出発し、仁川国際空港へ到着した時の感動は忘れられません! ・・・約18時間の脱出劇がやっと終わった瞬間でした。
関西国際空港で過ごした1泊2日間は、実際の時間にすれば 大したことが無いのかも知れません。
しかし、この先どうなるかが全く分からない不安な状況下では、時間が何倍にも長く感じられました。
まるで長い夢を見ていたような気分です…。
やっとネットが繋がる環境に移動し、日本と韓国の家族・友人たちへ 安全に帰宅した旨を伝えながら、私たち夫婦がTVニュースに出ていた事を伝え聞きました。
「台風21号のお陰でTVデビューしたね〜」と笑いながら帰路につきました。
自然災害に遭遇し、「謙虚さ」と「感謝」を学んだ日
↑台風が去った後の夕方の空
天災を避けることは誰にもできません。ましてや、普段は韓国に住んでいる私たち家族が、たまたま日本旅行へ来た日に "25年ぶりの大型台風" に遭遇するとは、想像もしていませんでした。
私たち家族は今回の体験を通して、「大自然の前では、人間がいかに無力な存在であるか」を痛感。と同時に「謙虚さ」も学ぶことができました。
一日に数十台の飛行機を飛ばせるほどの施設や技術があっても、こんなにもあっけなく全てが麻痺してしまう状況を見ながら、人間って本当にちっぽけな存在なんだと改めて思いました。
天災が起きれば、誰かを恨むこともできません。人間は大自然の一部にしか過ぎず、「生かしてもらっている」という現実や「平和な日常に対する感謝」に気づかされた二日間でした。
そして、「家族」の存在があったからこそ、困難な状況下でも勇気を持って行動することができたと思っています。
また、普段当たり前に使用している、電気、水、食料、インターネット、公共施設(空港施設)、職務を全うしてくれる人々、etc...、その日常は決して「当たり前」ではないということ。
いつもの「当たり前」は、大勢の努力によって成り立っているということに気づき、それに感謝できるようになったのは、とても貴重な経験だったと思います。
我が子たちには、起きてしまった状況に対して不平不満を持つよりも、「謙虚さ」と「感謝」を持つことで、この状況を学びの機会へ転換していこうと話しました。
これからの人生において、とても役立つ大切な教訓を与えてもらったなぁ・・・と、数日経った現在は感じています。
台風21号や、それに引き続くように発生した北海道の地震による被害は、未だ完全には復興していません。
お亡くなりになった方もいらっしゃると聞き、心が苦しいです。被災された方々の生活や 被害にあった建築物の、一刻も早い復興を心よりお祈りいたします。
そして願わくば、自然災害に遭遇したという「恨み」ではなく、非日常における「貴重な学び」だと、被災された方々が 前向きに意識を転換していけたらと思います。
つたない文章ですが、私たち家族の体験談をお読みいただき、ありがとうございました。