大学入試改革(教育改革2020)の目的は「大企業ビジネスマンと政治家のため」なのか!?
大学入試改革が目前まで迫っています。
教育改革2020には「大きな変化」の予想がある一方で、本来の狙いとは違う方向に進むことも懸念されています。
大きな変化がある時には、常にその変化を願う「大衆の声」が挙がるもの。
しかし筆者の周りでは、そんな変化を願う中高生・親たちの声はほとんど聞かれません。
世間を賑わしている今回の大学入試改革は、誰がその変化を一番願っているのでしょうか?
それは、グローバルなビジネス環境に直面している「大企業のビジネスリーダー」と「大企業と繋がりのある政治家」たちです。
本稿では「誰のための教育改革なのか」という視点から、戦後日本の大学が担ってきた役割と、教育改革2020の是非を考えてみたいと思います。
教育改革を望んでいるのは、財界リーダーだけ?
昨今の中学・高校の入試動向をみると、大学入試改革に対する世間の反応は 改革への期待よりも不安の方が大きいように感じます。
例えば、入試改革移行期の混乱を避けようと、大学へのエスカレータ入学(内部進学)が可能な大学付属高校の人気が高まっているとか。
こういった行動は変化を無理やりに押し付けられた大衆の防衛反応の一つ。
今回の教育改革は、グローバルなビジネス環境で闘わざるを得ない財界のリーダーたちや、財界と深い関わりがある政治家が旗振り役だといえるでしょう。
なぜそう考えられるのか ー
その理由を述べる前に、まず戦後日本の大学が担ってきた役割についてご説明します。
戦後の日本では「学歴フィルター」が有効だった
昭和の高度成長期に大学が担った大きな役割は「スクリーニング機能」。
スクリーニング機能とは、「東大・京大を頂点とした大学・高校・中学のピラミッド構造」により、日本社会の経済発展に必要な人材を、国や企業が効率的に選別できるシステム。
いわゆる「学歴フィルター」のことです。
企業が人材を採用する際には 当然コストが掛かりますが、「学歴フィルター」は人材採用を効率的に行うシステムを提供していました。
昨今は「学歴不問・人物重視」という言葉が聞かれるようになったとは言え、現代もやはり「学歴フィルター」があると筆者はみています。
現在の大学生の就職活動は インターネットからのエントリーが一般的。
企業の採用担当者は何千人もの応募者の中から、予定採用数に見合う面接候補を選び出す必要があります。
膨大なリストを前にして、それほど差異のないエントリー情報を丁寧に見る時間があるでしょうか?
それは ありえません! 選定にはコスト(時間と労力)が掛かっているのです。
これまでの自社の採用実績に鑑みて、より効率的な人材採用(選定)の方法が企業には求められています。
コストの掛かる人材採用プロセスには「学歴フィルター」が合理的かつ効率的。
採用する企業は「学歴」に価値を見いだしており、大学で何を学んだのかという「学習歴」はさほど重要ではない。
つまり、大学入学までにたどり着いた能力に価値があるということ。
以上の内容が、大学が戦後担ってきた「スクリーニング機能」の実態です。
大学にのみ突き付けられた「時代の要求」
それではなぜ、今まで機能していた優秀なシステムを変更する必要があるのか?
大きな理由として、教育改革2020で叫ばれている「先行き不透明な時代」に大企業が対応せざるを得ないからです。
端的に言えば
新卒者の成長を待っている暇はないから、入社した時点でグローバルなビジネス環境で仕事ができる状態になっていてくれ、ということ。
そして「そのための教育を大学でやってくれ」と、企業は大学に要求し始めたのです。
上述の通り、これまで企業は「あくまで『学歴』に価値がある」と見ていました。
大学での「学習歴」はそれほど重要ではなく、人材教育は企業に入社してからの「手厚い新入社員教育」で、というスタンスです。
しかし今後は、大学時代に学んだ グローバルな人材になるための「学習歴」もみるようにするからね、ということ。
これまで日本企業では、新入社員一括採用・年功序列・終身雇用というシステムが安定的に機能していました。
現代では この安定システムが機能しなくなり始め、目まぐるしく変化するビジネス環境に対応する必要が発生。
入社した時点で、ある程度の「即戦力」をグローバル企業が大学に求めるようになったわけです。
いわば 新入社員教育の「前倒し」と「教育コスト」を大学へ押し付けるということ。
この要求に関しては「グローバル人材を輩出できる大学」と「そうでない大学」という区別さえつけられているという現実。
「弊社は学歴フィルターで区別していますよ」と正直に言ってくれれば、混乱は少ないと思うのですが…。
日本は何でも一律平等主義があるので、大きな変化を必要としない人までも、時代の変化に巻き込まれる可能性があります。
大学というのは、日本では もはや社会システムの一部。全体設計を変更しない「部分的な変更」では、むしろ全体の不調和を生む原因になりかねません。
「部分的な変更」とは今回の大学入試改革のことです。
筆者は、それが「格差の拡大」というかたちで現れることを危惧しています。
社会全体のシステム変更なしに、教育改革は成功しない
「日本社会全体のシステム変更」を未だ耳にしない中で、教育改革ばかりが先行しているのではないでしょうか?
教育が重要なことは間違いありません。しかし、教育至上主義は学校教育を過信している人の発想です。
「教育すれば問題が解決される」ほど、日本の社会システムは単純ではないでしょう。
詳細は次回以降に載せますが、大学が自由な場所ではなくなってきている現実があります。
大学が自由に使える予算は年々削減され、その代わりに政府の目標達成のために紐づけられた予算枠が増加。これが一つの証拠です。
大学は政府の管理下で研究教育活動をすることになり、各大学が独自に研究教育活動を行うことが難しくなっているのです。
大学とは本来、民主主義の国においては「民主主義の成熟度を高めるために存在している」機関。
大学は 国家権力や経済論理の下に置かれるべき機関ではありません。
時には、大学へ資金援助をしている「国」や「大企業」にとって都合の悪い事実に対して、警鐘を鳴らす役割すら期待されているのです。
大衆の意見を軽視し、経済論理をかざしながら強引に進める今回の大学入試改革。
教育改革2020が格差社会を推進する可能性がある、ということを強調しておきましょう。
たとえ時間が掛かっても、「大学改革による民主主義の成熟」と「大衆視点の社会システムへ変更」されることを願います。
この記事のまとめ
大学入試改革(教育改革2020)の目的は「大企業ビジネスマンと政治家のため」なのか!?戦後日本の大学が担ってきた役割と現状を踏まえ、大学入試改革は「大企業のリーダー」と「財界と関わりのある政治家」が望んでいる改革である、と結論付けました。
教育改革は間違いなく実施されますが、その結果に対しては知恵をもって対処していきましょう!