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自由・人権の本来の意味 - イエスキリストの生き様と教え - なぜ彼の誕生は世界中からお祝いされるのか?

更新日:自由・人権の本来の意味 - イエスキリストの生き様と教え - なぜ彼の誕生は世界中からお祝いされるのか?

12月25日といえば「クリスマス」。多くの家庭ではクリスマスツリーを飾って、一家団らんのひと時を過ごすのではないでしょうか?

子供たちはサンタさんからのプレゼントをワクワクしながら待っていることでしょう。

キリスト教国家ではない日本でも、その影響力は絶大です。(ビジネス的な側面が強いかもしれませんが… ^^)


クリスマスの語源は「Christ + Mass」(キリストのミサ)。ミサとは典礼の礼拝を意味するため「クリスマス = キリストの誕生を祝う日」にほかなりません。

敬虔な思いで聖夜に祈りを捧げる… とまではいかずとも、クリスマスに合わせ、キリストの生涯にスポットライトを当ててみては如何でしょうか?

たった一人の青年「イエス」の30数年の生涯が 後世の歴史にもたらした影響は、計り知れないものがありました。

目次
自由・人権の本来の意味 - イエスキリストの生き様と教え - なぜ彼の誕生は世界中からお祝いされるのか?

イエスキリストによって示された「人権」と「自由」

昨今しきりに騒がれるようになった「人権」という言葉。実は キリストの教えが始まりだといいます。

そもそも「進化論」からは「全ての人が ―老いも若きも、強者も弱者も、富める者も貧しい者も― 生まれながらにして自由で等しく平等」という発想は出てきません。

「人は皆、創造主(神)によって等しくつくられた」という一点に、人権思想の出発がある訳です。

ヒトは「神の子」であり、神の前に等しく平等

しかもキリストは当時、人々が 神とヒトとを「主人と僕(しもべ)」の関係で捉えていたのに対し、神を「父」と呼び、人類を「神の子」と教えました。

この概念は当時の人々にとって革命的なものでした。その流れから出てきたのが「人権」という概念なのです。

人権とは、ヒトは神によって創造された「神の子」であるため、すべてのヒトは神の前に等しく平等であり、等しく尊い存在であることを意味しています。イエスキリストの誕生は、まさしく歴史が大きく転換された出来事だったといえるでしょう。

このような思想が 現代の民主主義の根幹となっていることは言うまでもありません。

神の子であるヒトの自由は、神によって付与されている

また「自由」も、この「人権」とセットになっている概念です。

自由には、「神の子であるヒトは、神によって生まれながらにして人権を与えられているため、如何なる権力者もヒトを支配することはできない」という意味が含まれています。

これが「ヒトは如何なる権力者からも支配(圧政)されるべきではない」という思想の背景です。

特にキリスト教国家であるアメリカの根底には このような思想・信念があるため、例えば共産主義の圧政に苦しむ人々の解放のために戦うことが「正義」であり「勇気」となるのです。


※ 昨今の日本で騒がれている「人権・自由」は、イエスキリストが本来 意図した内容とは大きくかけ離れています。共産主義者たちに 言葉だけが悪用されている状況です…。

「博愛」と「赦し(ゆるし)」

世界のほとんどの人々は 平和を望んでいることでしょう。「神を親とし、全ての人類は兄弟姉妹」という精神も イエスキリストの教えが始まりです。

隣人を愛する「博愛」こそ、平和を築くためにもっとも必要なもの。当時は 血統(血筋・家柄)や民族を重視する思想が主流だったため、博愛の精神は それを超えて人類を愛するという非常に高尚なものでした。


「困っている人には手を差し伸べる」という今となっては当たり前の行為は、イエス誕生以前には存在していませんでした。

また「自分を憎む人までも赦し(ゆるし)愛そう」と語り、そのように生きた人物です。


イエスキリストの最期はご存知のとおり 十字架による死でした。普通ならば「死んでも恨んでやる」「復讐してやる」となってもおかしくありません。

しかし彼は恨むどころか「彼らは何も知らないのです。彼らを救ってください。」と神に祈ったといいます。

そのとき、イエスは言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
ルカによる福音書23章34節


「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典的な考え方が一般的だった当時、イエスキリストの生き様が人々にどれほどの衝撃を与えたかは 容易に想像できます。

「敵をも赦し愛しなさい」という教えは、後のキリスト教徒たちの模範的な生き方となりました。これはキリスト教文化の一つともいえるでしょう。

当然、この思想は少なからず日本にも影響を及ぼしました。それまで「敵討ち」こそが正義だと信じていた武士たちは、キリスト教の「赦し」の概念に触れ 感銘を受けたとあります。

同時に「敵討ち」以上に 高尚な愛の行動としての「赦し」を受け入れた者も多くいたようです。


「赦す」ことは一見すると逃げや弱さのように感じるられるかもしれません。

しかし「赦す」行為こそ、時に最も勇気を必要とし、より大きな平和へ向かっていく強さになり得るのではないかと感じます。

宗教を超えた「キリスト教的精神」

私たちはいつの間にか「宗教」と聞くと嫌悪感を抱くようになってしまいました。その原因はおそらく「自己の欲望のために宗教を利用した人々」のせいかもしれません。

ヒトは弱さゆえに、常に腐敗と隣り合わせにある存在です。そのためヒトのつくった「宗教組織」だけをみれば 失望してしまうこともあるでしょう…。


しかし根本的な教えに立ち返るならば、多くの宗教は普遍的な倫理道徳を説き、人生をより「意義深く、価値あるもの」として歩むための道を示してくれるもの。

今回紹介した「イエスキリストの精神と生き様」は、キリスト教徒でなくとも 私たちへ多くのメッセージを伝えてくれるはずです。


最後に筆者からオススメを。

100年後の日本人たちにも読ませたい良書です。

彼らもまた 高尚な生涯により、後世へ影響を与えた人物たちです。