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無条件の愛とは? チームホイト父ディックが息子に贈った愛の名言

更新日:無条件の愛とは? チームホイト父ディックが息子に贈った愛の名言

皆さんは、無条件の愛を貫いた「チームホイト(Team Hoyt)」の話をご存知でしょうか?

手も足も動かせない、話す事もできない脳性小児麻痺の息子リックと父ディックが、トライアスロンに挑戦し続けた感動ストーリーです。


障害は必ずしも限界ではない」彼らが成し遂げた偉業は、父ディックの深い愛情無しには成し得なかったでしょう。

なぜ二人は障害に屈することなく、果敢に挑戦し続ける事ができたのでしょうか?

それぞれが語った言葉(愛の名言)と共に、チームホイトが伝えたかったものをご紹介します。

目次
無条件の愛とは? チームホイト父ディックが息子に贈った愛の名言

脳性小児麻痺で生まれた息子「リック」

1962年、ディックホイトとジュディホイトのもとに初めての子として生まれた「リック」。しかし、誕生時にへその緒が首にからまり 脳への酸素供給が不足した事が原因で、重い障害を負う事に。

自らの意志で体を動かすことも、話すこともできない「脳性小児麻痺」。

リックが生後8か月になった頃、医者から告げられたのは衝撃的な言葉でした。

「あなた達夫婦はまだ若いんだから、この子を施設へ送ってその存在を忘れて生きていきなさい。植物人間としてしか生きていけない子です。」

※1960年代のアメリカの障害児施設は、養護施設でなく監獄以下の劣悪な環境


愛する息子を「一生、植物人間」と断言された絶望感は 如何ばかりだったでしょうか。しかしリックの両親は決して諦めませんでした。

後に生まれた二人の弟と共に、同じ家族の一員として 心から愛情を注ぎ彼を育てたのです。


意思疎通ができずとも、リックは利口で明るい少年へと成長していきました。

※ 後にコンピュータ キーボード入力をしながら対話ができるようになります。

チーム・ホイトの結成

父ディックが38歳の時。16歳になったリックはパソコンを使って「お父さんと一緒に走りたい」と語りかけました。

自分に似て競争心が強く 各種運動競技が大好きだった息子のため、父ディックは一大決心。障害を持った息子リックを 車いすに乗せて走ることにしたのです。

当時小太りだったディックと 重度障害者であるその息子がアスリートを目指すのは、無謀そのもの。周囲の人々はホイト親子を嘲笑し、疑心の視線を送りました。

「絶対に不可能だ、狂ってる。そんなことをして その子が怪我をしたらどうするんだ」と。

不可能を可能にし続けたチームホイト

8キロマラソンに挑戦することから始まったチーム・ホイトの歩み。彼らの挑戦はどんどん加速していきました。

27年間ボストンマラソン大会へ参加し続けたチーム・ホイトは、後に世界中で行われるトライアスロンレース(水泳、自転車、長距離マラソン)にも挑戦。

トライアスロン鉄人3種レースでは、40歳まで泳ぐことすらできなかった父ディックが、腰にベルトを撒いて息子を載せたゴムボートと共に 3.9キロを泳ぎ切りました。

その後、さらに大きな世界を息子に見せようと、46日間一日も休まずにリックを乗せた自転車でアメリカ横断を完遂。

息子リックも父と共に暑さや寒さに耐え、転倒による大ケガを負いながらも27年間で大小1000回のレースに出場。

そんなチームホイトの姿は 見守る人々へ大きな希望と感動を与え、全米で有名になっていきました。

すべては息子のために

1982年、名門ボストンマラソンへの2度目の出場を果たしたチーム・ホイト。2時間50分で完走という快挙を成し遂げた際、父ディックに大会関係者がある質問をしました。

あなたが一人で走れば世界最高水準の記録を出せるだろうに。

・・・そう思ったことはないですか?

息子に関する質問に、ディックはハッキリとこう答えたのです。

一人で走るなんて一度も考えたことがない。

リックがいなかったら私が走ることに何の意味があるだろう。

私はただ、息子に私の手足を貸してあげるために存在するだけなんだ。


血のにじむような訓練を重ねて走り続ける父ディック。しかし彼がレースに臨む理由はただ一つ。

私はあの子の父親だから


当たり前の話ですが、どんなに高い能力を持ち莫大な財産を持っていたとしても、人は決して一人で(独りで)生きていくことはできません。

幸福も成功も「共に分かち合う家族」がいてこそ真の価値があるということを、父ディックの名言は教えてくれます。


父である自分は、息子がいてこそ存在する。

夫である自分は、妻がいてこそ存在する。

その役割に応じた責任を果たすことが、私たち人間の生きる道なのではないでしょうか。

父ディックが貫いた無条件の愛

お父さんと走っているときだけは障害を感じないんだ」と語る息子リック。

その一言を胸に、父と息子はより難しいレースへと挑戦し続けました。


父ディックは人々から称賛を受ける度に、こう言います。

全てのことは息子のおかげだった。息子はいつでも私の大切なパートナーだった。息子と一緒にレースをしていると思えば、内側から自然と力が溢れ出て走ることができた。

その力はきっと息子リックの体から私に伝わってくるものだ。その力のおかげで私たちはついにトライアスロン選手として「鉄人(アイアンマン)」という栄光を手に入れた。

リックとは違って、最初 私は利己的な動機で走り始めた。ただ自分の息子のことだけを考えていたんだ。

息子は走ることが好きで、喜ぶ息子を見るたびに私は幸せだった。訓練を重ね、時間が経つごとにスリルや やりがいを感じるようになり、息子と共にする時間が本当に楽しかった。だからどんな困難も乗り越えることができたんだ。

リックは最初のレース(将来有望なスポーツ選手が競技中の怪我で下半身麻痺を患い、その治療費を工面するための慈善マラソン大会)の時から、自身の持っているものを他者と喜んで分かちあおうとしていた。

息子は失意と絶望に陥った人々へ希望のメッセージを伝え、「障害は必ずしも限界ではない」ということを、自分の姿で見せたかったんだ。

99%を父が成したとしても最後の1%を息子に譲ることで、「息子自身が勝ち得た栄光」として褒め称えたディック。

自身より優れた立派な息子になることを願い、その姿に喜ぶ無条件の深い愛情を感じざるえません。

息子リックから父へ贈る言葉

息子リックもまた、父ディックに対して感謝の言葉を残しています。

父のおかげで私の人生は美しい思い出でいっぱいになりました。父は私の夢を実現させてくれました。父は私が羽ばたけるように支えてくれたのです。

私たち父子の話を聴いてくれる全ての人々に伝えたいことがあります。それは

『 Yes, You can !! 』

この言葉です。


困難な人生を生きていく際に、この言葉がどれだけ大きな力になってくれたでしょうか。この言葉を教えてくれただけでも父は私に全てを与えてくれたのです。それは生きる秘訣でした。

父はただ単に私の手足の代わりをする人ではありません。父は私のインスピレーションの源泉であり、私が人生を豊かに生きていけるように、他の人もまたそのような人生を生きていけるように導いてくれた人です。

脳性小児麻痺として誕生したリックは、紆余曲折を経て12歳で公立小学校に入学。

※ 特に母親ジュディは、数年に及ぶ努力の末に1972年マサチューセッツ州で初めて 障害児童の普通公立学校入学を許可する法案を可決させた。


その後ボストン大学へ進み、特殊教育分野でコンピュータを専攻。9年の歳月をかけ自力で学士を取得しました。

現在は両親の下を離れて独立し、障害児のための意思疎通装置を開発する仕事に携わっています。

不可能を可能にした『親の愛』

父と共にアスリートとして過ごした期間、自らの力で自立し生きていく術を勝ち取ったリック。

「一生 植物人間」だと断言した医者の言葉に、決して屈しなかった両親の深い信頼と愛情が勝利したのです!

リックが私の人生に来てくれたこと、それはどんなにありがたいことだろうか。

初めて息子と一つのチームになって走ったあの時を、私は一瞬も忘れたことがない。

それ以降 私たちは止まることなく、走り続け、そしてこれからも走り続けるんだ。


親が子どもに与えられることは何でしょうか?

「経済的に困難だから」「そういう環境では無いから」「私が子どもに与えられるものは何もない」と思う人もいるかもしれません。

しかし本当に子どもにとって必要なものは、「物質的なモノ」でなく「親の生き様」ではないでしょうか。

想像もつかない絶望的な状況でもポジティブな心で挑戦し続け、互いを理解し愛し合うチーム・ホイト。私達は、この家族のストーリーから多くの気付きを得ることができます。

父親・母親という 新たなアイデンティティ

筆者の住む韓国では、子供が生まれると子供の名前の後にオンマ(ママ)アッパ(パパ)を付けて呼ぶのが一般的。日本で例えるなら「○○ちゃんのママ」といった感じです。

しかし この呼び方が日本よりも厳格で、親になると夫からも周りからも 必ず「○○オンマ(○○ちゃんママ)」と呼ばれます。

つまり「自分の名前」で呼ばれる事は ほぼ無くなるんです。


そんな文化を「自分のアイデンティティが誰かの母親でしかなくなったみたいで悲しくなる」と話す韓国人も。

しかし外国人である私には、その呼び名が新鮮で 不思議と嫌な感じはしませんでした。


「子を持ち、親になること」それは娘として生きてきた第1ステージが幕を閉じ、人生の第2ステージの幕開け。子どもがいなかった頃のことをもう思い出せない程、世界観も生活自体もガラッと変わってしまいます。

「ユナママ」という私の新しいアイデンティティが与えられ、それは大きな喜びと同時に父母としてのチャレンジが始まったのです。


この記事を書きながら、第1子を初めてこの腕に抱いた時のことを思い出しました。

この子のためなら死んでもいい、私の人生は この子の存在ゆえに完璧になった。

内側から湧いてくる言葉に表す事ができない程の感謝と感動。そして子どもに対する深い愛情が、新米ママの私には不思議で仕方がありませんでした。

これがきっと、全ての親が共通して感じる「無条件の愛」というものなのでしょう。


今夜は チームホイトの父ディックのように

私の人生に来てくれてありがとう!
私にママとしての人生をプレゼントしてくれてありがとう!

そう子ども達へ伝えようと思います。