天才『マラドーナの歴史』聖地マップリスト - メッシ“マラドーナ追悼”
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天才『マラドーナ』の ゆかりの地(観光名所・聖地マップリスト)をご紹介いたします。
サッカー界スーパースターの歴史・偉業とは?
マラドーナ(Diego Armando Maradona / ディエゴ・アルマンド・マラドーナ)は、1960年10月30日 ブエノスアイレス南部のLanús(ラヌース) に、貧しい家庭の子として生まれました。
少年マラドーナの「夢」
Mis sueños son dos: mi primer sueño es jugar en el mundial y el segundo es salir campeón.
夢は2つあります。最初の夢はワールドカップに出場することで、つぎの夢は優勝することです。
マラドーナは少年の頃に、2つの夢である「ワールドカップ出場」と「チャンピオンになること」を語り、その夢を見事に実現しています。
AAアルヘンティノス・ジュニアーズ
9歳の時にAAアルヘンティノス・ジュニアーズの少年チームである Los Cebollitas(セボリータス)へ加入。
※ セボリータスとは「小さな玉葱」という意味
1974年にAAアルヘンティノス・ジュニアーズのトップチームに昇格。1980年に得点王。
1979〜1981年にアルゼンチン年間最優秀選手賞、1979年〜1980年に南米年間最優秀選手賞を受賞。
スタジアム名はマラドーナの名前になっています。
新国立競技場
1979年、日本で開催された FIFAワールドユース選手権にて アルゼンチンが優勝。マラドーナはゴールデンボール賞(MVP)に選出。
※ 旧「国立競技場」は、東京2020オリンピックを機に「新国立競技場(オリンピックスタジアム)」へと名称変更。
ボカ・ジュニアーズ
1981年、ボカ・ジュニアーズへレンタル移籍。マラドーナは幼少期からボカの熱狂的なファン。
1995年、14年ぶりにボカ・ジュニアーズへ復帰。
1997年10月30日に現役引退を発表。
スペイン・FCバルセロナ
1982年、スペインのFCバルセロナに移籍。
※ カンプノウは98,000人収容可能なFCバルセロナのスタジアム
イタリア・SSCナポリ
1984年、イタリア・セリエAのSSCナポリへ移籍。1986-87シーズンはクラブ史上初のセリエA優勝。コッパ・イタリアとの2冠達成。
代表でのワールドカップMVPの活躍と合わせて世界最優秀選手賞を受賞。
1987-88シーズンには15得点を決めて、アルゼンチン人として初のセリエA得点王に。
FIFAワールドカップメキシコ大会
1986年、FIFAワールドカップメキシコ大会では準々決勝 アルゼンチン対イングランド戦で「神の手」と「ドリブル5人抜き」で有名に。決勝は西ドイツに勝ちアルゼンチンが優勝。
アルゼンチンへ:ニューウェルズ・オールドボーイズ
1993年、アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズに移籍
監督時代
2011年、UAEリーグのアル・ワスルFCの監督に就任。
2017年、UAE2部のアル・フジャイラSCの監督に就任。
2018年、メキシコ2部のドラドス・デ・シナロアの監督に就任
歌になるほどのスター「La Mano de Dios」(神の手)
スーパースターが持つ「ハングリー精神」
マラドーナは貧しい家庭の子として生まれ、160cm台という小柄な身長でも夢を叶え、人々に希望と感動を与えたサッカー界のスーパースターです。
また、仏サッカー界のスーパースターであるジダン選手も、アルジェリア移民2世のカビル人。マルセイユ北部郊外ラ・カステラン地区の 貧困層が多く住む地域で育ち、ストリートサッカーでスキルを磨きました。
アルゼンチンのメッシも貧しい家庭で誕生。身長が伸びない難病の治療費を払えず、治療費を出してくれるスペインのバルセロナに13歳で加入。そして、今日の活躍があります。
スキルも大切ですが、特にサッカー界でスーパースターとなるためには、「大きな夢」と 挫折があっても成功するまでやり続ける「不屈の闘志」を養うことが重要だと感じます。
もしかすると 逆境こそが、メンタルを養う最も最良な環境なのかも知れません。
ハンディキャップを乗り越え、夢が叶うまでやり遂げたスーパースターたちの生き様を、ぜひ真似していきたいですね!
メッシ、マラドーナ追悼
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