遅咲きの天才たちが、成功者となる人生を歩み始めた年齢・キッカケ - 学ぶのに遅すぎることはない!
更新日:学ぶのに遅いということはありません。遅咲きの天才(遅咲きの成功者)というのは、歴史を学んでみると案外多くいるものです。
30代、40代、あるいはもっと年齢を重ねていたとしても、新しいことを始めるために勇気を出して第一歩を踏み出したならば、そこから偉人として名を馳せることは充分に可能。
もちろん、「何かを極めるのにおいて、学習のスタートが早いほど有利(歳が若いほど有利)」という話はよく耳にします。
さらに、忙しい日々に身も心も疲れ果てているビジネスマンでは、「今さら自分が新しいことを始めるなんて無謀だよな〜」と、挑戦せずして夢を諦めてしまいがち…。
一体なぜ、他人や社会からの評価で夢を諦めてしまうのでしょうか?
人生を大逆転させ、見返してやろうという、熱い思いは湧いてこないのでしょうか?
ここでは、そんな諦めモードなアナタへ "喝!" を入れるべく、遅咲きの天才・遅咲きの成功者たちが「新しいことを学び始めた年齢」と「社会から認められた年齢」の一覧をご紹介します。
出典:Funders and Founders
下記 円グラフの見方
円グラフが寿命(=人生)を表しています。
- 緑色部分:
「成功に繋がる内容を学ぶ前までの期間」 - 紫色部分:
「学び始め〜成功するまでの下積み期間」 - オレンジ色部分:
「成功し社会的に認められている期間」
ジョゼフ・コンラッドの人生(イギリスの小説家)
父・母ともに、ジョゼフが幼少期の頃に死亡。
20歳まで英語を全く話せなかったジョゼフは、20歳から英語を必死になって習得。
その後、社会的に認められる英文学作家となりました。
ポール・セザンヌの人生(フランスの画家)
ポールはもともと法学を勉強しており、20歳まで絵を描いたことすらありませんでした。
晩年、特に死後になってポールの画家としての名声は一層高まり、後世の画家たちに大きな影響を与えることとなります。
(ポールの展覧会を訪れた画家の中には、かの有名なパブロ・ピカソもいたそうです。)
ロッキー・マルシアノの人生(無敗のボクシング世界ヘビー級チャンピオン)
もともと野球少年だったロッキーは、20歳まではボクシング経験ゼロ。
しかし、兵役中にボクシングと出会いボクシングに熱狂。世界ヘビー級チャンピオンにまで上り詰めました。
当時のヘビー級では小柄な体格でありながら、49試合49勝(43KO)。つまり「引き分け・負け無し」という圧倒的な記録を打ち立て、「ブロックトンの高性能爆弾」と異名を取るほどまでになりました。
J・K・ローリングの人生(ハリーポッターを執筆したイギリスの小説家)
23歳までは、自身が望まない教師の仕事をしていたローリング。
母の死、長女の出産、離婚、貧困、うつ病、出版社とのトラブル、etc...を乗り越え、処女作「ハリー・ポッターと賢者の石」を世に送り出しました。
その後ハリー・ポッターシリーズは大ベストセラーとなり、ローリングは「歴史上最も多くの報酬を得た作家」と呼ばれるまでになりました。
シルヴェスター・スタローンの人生(映画俳優)
出産時の産科医のミスにより顔左側の神経が傷つけられ、生まれつきの言語障害を患うようになったスタローン。
少年時代に両親が離婚し、24歳まではポルノ男優として生計を立てました。
その後は、自身が脚本・主演をつとめた「ロッキー」がアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、一躍ハリウッドのトップスターへ!
ゴッホの人生(オランダの画家)
聖職者を目指そうと神学部の受験勉強を始めたものの、挫折。
37歳で自殺し、死後60年以上を経過してから作品が世に認められ、後世の画家たちに多大なる影響を与えました。
アラン・リックマンの人生(イギリスの映画俳優)
元々グラフィックデザイナーであり、28歳までは映画に出演したことはありませんでした。
後に「ダイ・ハード」や「ハリー・ポッター」などに出演し、ゴールデングローブ男優賞・英国アカデミー賞助演男優賞などに輝きます。
リード・ホフマンの人生(アメリカの起業家)
30歳から起業し、LinkedInなどを立ち上げました。
ジュリア・チャイルドの人生(アメリカのフランス料理シェフ)
30歳まではフランス料理など全く知らなかったジュリア・チャイルド。
その後は、アメリカで料理に興味がある人ならば大抵は知っているほどの、有名なフランス料理シェフになりました。
マーサ・スチュワートの人生(アメリカの室内装飾師)
35歳まで室内装飾など全く知らなかったマーサ・スチュワート。
今では、アメリカで成功している室内装飾師(ホーム・デコレーター)の一人となりました。
ヴェラ・ウォンの人生(アメリカのファッションデザイナー)
39歳まではファッション誌のライターなどをしていたヴェラ・ウォン。
今では、ファッション界における有名デザイナーの一人となりました。(特にドレスのデザインが有名です。)
デーブ・マクルーアの人生(アメリカの起業家・投資家)
40歳までは投資など全く行わなかったデーブ・マクルーア。
その後、投資ベンチャーキャピタル「500Startups」を創設しました。
安藤百福の人生(日清食品株式会社の創始者)
塩を売ったせいでGHQ(敗戦下の日本を統治していたアメリカ軍)から脱税容疑を掛けられ、48歳までは刑務所生活などを送った安藤百福(あんどうももふく)氏。
その後、世界で初めてインスタントラーメン・カップラーメンを開発し、世界の食文化を一変させ、災害時に大勢の人々を餓死から救うことに貢献しました。
百福氏が亡くなった際、米ニューヨークタイムズは社説にて「ミスターヌードルに感謝」という見出しを掲げ、「安藤氏は人類の進歩の殿堂に不滅の地位を占めた」と絶賛したそうです。
グランマ・モーゼスの人生(アメリカで有名な国民的画家)
本格的に絵を描くようになったのは、75歳とも78歳とも言われるアンナ・モーゼス。
リュウマチで手が動かなくなってからリハビリをかねて油絵を描き始め、アメリカ人ならば誰もが知っている"国民的画家"にまで登りつめた人物です。
グランマ・モーゼス(モーゼスお婆ちゃん)の愛称で親しまれ、101歳で亡くなるまでに約1600点の作品を世に生み出しました。
ファウジャ・シンの人生(Fauja Singh:101歳のマラソンランナー)
89歳で長距離を走り始め、101歳で引退するまでの間に、世界中で開催されている9つのフルマラソンを完走。
「ターバンを巻いた魚雷」の愛称を持つマラソンお爺ちゃんです。
遅咲きの天才・成功者たちの年齢と人生 - まとめ
まさしく、学ぶのに遅いということはない!
情熱を持って努力すれば、三十路・四十路どころか中年〜老年期になってから新しいことを始めても、充分に成功するチャンスがあるんですね!
(特に、48歳から10年以上の歳月をかけてインスタントラーメンを開発した百福氏には、頭が上がりません…)
諦め癖のついている人は、ぜひこれを読んで奮い立ち、夢の実現へ向けた第一歩を踏み出してはいかがでしょうか?
何らかのお役に立てましたら幸いです ^^)