天才児を育てる英才教育! 我が子の才能を引き出した「手塚治虫」の母親エピソード
天才児を育てる英才教育の方法を学べる、育児のおもしろエピソードをご紹介します。
「偉大なる人物の背後には『偉大なる母親(もしくは、偉大なる妻)』の存在がある」ということは、昔から言われてきました。
例:発明王エジソン、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー、坂本龍馬、etc...。
「漫画の神様」と称される手塚治虫も、そんな「我が子の才能を引き出す親」のもとで育ち、偉人として世に名を馳せることができた一人です。
本稿では、その手塚治虫を育てたお母さんのエピソードをご紹介します。子育て中の親御さんたちは、ぜひ参考にしてみてください ^^)
手塚治虫の母「文子」ってどんな人?
手塚治虫の母親は、旧名「服部 文子」という女性です。
陸軍中将を務めていた服部英男(手塚治虫からみたら祖父)の娘として生まれた文子は、厳しい躾のもとで育ちました。
手塚 粲(てづか ゆたか:手塚治虫の父)と結婚した後に、長男の「治*」、次男の「浩」、長女の「美奈子」の、2男1女を出産。
※ 手塚治虫の本名は、治(おさむ)です。
幸せの絶頂だった文子ですが、いつしか戦争が始まり、夫が戦争に召集されてしまいます。
夫が居ない間は、必死になって生活費の捻出のために奮闘し、また、畑仕事から隣組の役員まで務める働き者。
一方 家庭においては、幼少期の治たちに子守唄として絵本や漫画を読み聞かせたりなど、優しく愛情溢れた母親でした。
登場人物ごとに声音を使い分け、感情を込める 文子の読み聞かせによって、幼き日の治少年は 物語や漫画の世界に、どんどん引き込まれて行ったといいます。
天才児「手塚治虫」の母親の育児エピソード(小学校時代編)
さて、治(手塚治虫)は "池田師範付属小学校" という、エリートが集まる名門の進学校に通っていました。
しかし、当時から漫画が大好きだった治は、授業中に先生の話を聞かず、一生懸命ノートに漫画を描いていることが多かったようです。
そんなある日、事件は起こりました。
いつものように授業そっちのけで漫画を描いている姿を、先生に見つかってしまったのです。
※ この時代は、今のように漫画が社会に認められておらず、漫画に対する世間からの風当たりは相当なものでした。
先生は大激怒。「授業中に漫画なんぞ描いているとは何事だ!」と、母親の文子も学校に呼び出されました。
さて、治の学習態度について学校から呼び出しを受けた文子でしたが、学校から帰って来るなり、治にこう尋ねました。
「治ちゃん、今日学校から呼び出されて先生に言われたんだけど、授業中に漫画を描いていたんですって?」
「うん、描いていたよ」
「どんな漫画を描いていたのか、ちょっと見せてちょうだい」
「いいよ」
そして、治が持ってきた漫画を、文子は何も言わずに1ページ目から読み始めます。
漫画を終わりまで読んだ後、文子はニコニコ顔でこう言いました。
治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。 これからお母さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてくださいね。手塚文子
これが、後に「漫画の神様」と称される天才「手塚治虫」が誕生した瞬間だったのです!
参考文献:小林正観 淡々と生きる 風雲舎
子供の才能を見抜き、既存の価値観にとらわれない教育
・・・さて、いかがでしょうか。
わざわざ名門進学校に入学させた我が子が、授業中に漫画を描いており、さらにその件で学校に呼び出されたとあっては、大抵の親は叱り飛ばしてしてしまうのではないでしょうか?
しかし、手塚治虫の母である文子は違ったようです。
社会の常識に子供を無理やり当てはめるのではなく、我が子の才能を見抜き、その才能を伸ばすアドバイスを行いました。
もしも学校から呼び出された文子が、少年時代の治を叱り飛ばしていたならば、漫画の神様「手塚治虫」は誕生しなかったでしょう。
そう考えると、子供の才能を潰さない教育が如何に重要であるかを再確認させられます。
天才児「手塚治虫」の母親の育児エピソード(大学時代編)
さて、治(手塚治虫)と文子のエピソードはもう一つあります。
治は医者への道を志し、現在の "大阪大学 医学部" に進学、その後は医師免許や医学博士号を取得しました。
その合間に漫画を描き続けていたわけですが、忙しくなるにつれ、次第に医学と漫画の両立に悩むようになっていきます。
そしてある時、治は文子にこう相談しました。「僕は、漫画家と医者のどちらの道を進むべきかな?」と。
その時文子は「あなたは漫画と医学のどちらが好きなの?」と、逆に治に尋ねました。
母文子の言葉に「漫画です」と治は即答。それを受けた文子は「では漫画家になりなさい」と即答。
これがきっかけとなり吹っ切れた治は、漫画家「治虫」としての道をより本格的に歩み始めました。
ここでも文子は、漫画の神様「手塚治虫」の誕生に一役買っていたというわけです。
放任(無責任)ではなく、子供の才能を信じる教育
上記の繰り返しになりますが、当時の漫画に対する世間のイメージは、あまり良いものではありませんでした。
医者という輝かしい未来を放棄し、漫画の道に走るということは、並大抵の決断ではありません。文子のアドバイスには、ただただ驚くばかりです!
親は子供の将来を考える際、「安定」を重視する傾向にありますが、子供の才能を信じることが 何より大切なのだと思い知らされます。
親から与えられる愛情と価値観で、子供の才能が開花するかが決まる
「鳶(とんび)が鷹(たか)を生む」(意味:鳶のような平凡な親から、鷹のような立派な子供が生まれる)」という諺がありますが、それは あくまで、家庭環境の上辺だけを見て判断した結果。
親の「収入・能力」だけではなく、親の「子供に対する愛情・教育・価値観」にまで焦点を当ててみると、大抵の場合「この親にして この子あり」が当てはまるそうです。
「私の子供なんだから、どうせ大したことないわ」ではなく、子供の無限の可能性を信じてあげること。それこそが、子供を輝かせ、天才にする秘訣なのだと、手塚治虫のお母さんが教えてくれた気がします。