結婚生活を通して、二人は互いのことを知り合いました。―が、“知ること”と“理解すること”とは違います。
むしろ、知れば知るほど、“理解できない~!!”という世界も広がることでしょう。
「なんでそう思うの?」
「どうしてそう言うの?」
「何がどうしてそうなる訳?」
愛を育む第二のステップ、それは「理解のステップ」にほかなりません。
夫婦間における深刻な衝突や離婚問題は、実はこの段階で起こっているのです!!
二人の間に芽生えた“愛”が、人生の日照りや暴風に耐え、立派に成長していくには、“相互理解”が必要でしょう。
さて、今回はこの“理解”をテーマに話を進めてみたいと思います。
今日のコンテンツ
★夫婦が理解し合えない理由
★見ている世界が違う!?
★相手を理解するには
★夫婦の理解を深める方法
★夫婦の間の小さな溝
★みんな理解してもらいたい
夫婦が理解し合えない理由
なぜ夫婦は理解し合えないのか―。それは、二人の生きてきた世界が“違う”からです
生活習慣も違えば、価値観も違う。だからこそ、“歩み寄り”が必要なのでしょう。
多くの夫婦が「愛しているなら理解してくれるはず!!」と考えますが、その“幻想”が数々の葛藤を生み出しているに違いありません。
私を理解してくれない!(分かってない!!)
=私に関心をもっていない!
(どうでもいいと思ってる!!)
=私を愛していない!
(きっと気持ちがないんだ!!)
気持ちは分かります…が、発想が“逆”なのです。
愛は育むもの―。“愛がないから理解できない!!”ではなく、“理解することを通して愛が育まれるのだ”と考えてください。
生活を共にしながら、“理解できなかったこと”が一つずつ“理解できる”ようになっていく時、「ああ、愛が育ってきているのだ」と気付かされるのです。
見ている世界が違う!?
以前、お笑いコンビ『アンジャッシュ』(→不倫騒動で触れにくくなりましたが…汗)のネタで、小児科の医師と小学校の教師が、互いを“同僚”だと勘違いして対話を交わすという“すれ違いコント”がありました。
こんなやり取りです。
教師: 先日、手のつけられないくらい悪い子がいたんですよ。
医師: それは大変でしたね、どう対処したんですか?
教師: 廊下に立たせてやりましたよ。
医師: は~? 何やってんスか!
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医師: 先日、24時間勤務だったんですよ。
教師: えっ? 何のために24時間も泊り込むんですか?
医師: まぁ、たまにですけどね。夜中、もの凄い悪い子がヘリに乗ってやって来たりするんですよ。
教師: えーっ!? ヘリで!? それ、メチャメチャ悪いじゃないっスか!
冗談はさておき(笑)、こうしたすれ違い、夫婦間でもないでしょうか? 同じ言葉を使っているのに、伝わる意味は全く違うのです(!!)
心理学をベースにコミュニケーションを教える『NLP(神経言語プログラム)』では、「人はそれぞれ“異なったマップ”を持っている」と説明しています。
人は皆、「なんでそう思うの? 絶対違うでしょ~」と、互いに“相手が間違っている!!”と思い込みます。が、実際は“違ったマップ”を見ている訳ですから、話が食い違うのも当然でしょう。(汗)
“理解”(understand)とは、自らへり下り(=under)、相手の立場に共に立って(=Stand)見つめることを言うのです。
相手を理解しようとすれば
まずは、相互間の理解を妨げている下記の“障害”から取り除きましょう。
その1.理解していると思い込む
父親がこう言ったとしましょう。「息子のことは私がよく分かっています。だから、私の言うことさえ聞けばうまく行くんですよ!!」
カウンセラーでなくとも、この父親が息子を全く理解していないし、理解しようともしていないことに気付くでしょう。
「もう分かっている」「理解できている」と思っていると、それ以上、“理解しよう”としなくなるのです。夫婦でも同じでしょう。(汗)
その2.理解する前に決めつける
カウンセラーがあなたの話をよく聞きもせず、こう切り出したとします。「あ~、簡単な話ですね、前にも似たような相談がありましたから」
恐らくあなたはもう二度と、この人に相談したいとは思わないでしょう。どんなに良い助言でも、人は自分のことを理解しようともしない人の話を聞きたいとは思わないからです。
「また愚痴?」「単なる自慢話でしょ」「また人を馬鹿にして…」「それはあなたが問題だからでしょ」…。
判断をするのは最後の最後(!!) まずは相手の話を終わりまで聞きましょう(!!)
その3.全てを理解しようとする
相手のことを“すべて理解する”などできません。「なんでそう思うの?」と追及し続けてしまうと、深刻な意見衝突になり得るでしょう。
肝心なことは、“自分が納得できるか”ではなく、“相手の気持ちを汲み取ること”。
“理解できていること”が愛なのではなくて、“理解しようと努めること”、また“理解できなくても尊重すること”、それが“愛”だと思うのです。
夫婦の理解を深める方法
さらに、夫婦の理解を深める方法について見てみましょう。(生活習慣や趣味の違い、価値観や男女の違いなど、項目別のアドバイスについては別を参照)
その1.他愛のない会話をする
相手の話も聞かずに、相手を理解するなどできません。すごい話やロマンチックな会話などではなく、「今日は何があった」「どんなことを感じた」といった“他愛のない会話”を大事にしましょう。
また、毎日寝る前に数分間、「今日一日あったこと」について話し合うという“ステキな習慣”をもっている夫婦もいます。参考にしてみてください。
その2.一緒に何かをする
時には、場所を変え、環境を変えて、“夫婦の時間”をとること、って大事です。ドライブをする、美味しい食事を食べる、ちょっと足をのばして自然の良いところへ行く…など、時には、“対話(言葉)を必要としない交流”も試みましょう。
その3.相手の輪の中に入る
二人で向き合っているだけでは、見えてこない世界があります。相手を理解するには、相手の“背景”を知る必要があるからです。
例えば、互いの家族の輪の中、または友人関係の中に飛び込んでみる―。すると、相手の意外な一面が見えたり、また、相手の生まれ故郷に足を運んでみることなんかも、互いを理解する上で大きな助けになるでしょう。
その4.相手の人生体験を知る
よくセミナーで行いましたが、夫婦で互いの人生(特に絶頂期と逆境での体験)を共有し合うことなども、夫婦の相互理解にとても役立ちます。
また、互いのアルバム(幼少期~)を引っ張り出して話を交わし合ったり、思い出の詰まった“アイテム”等を紹介し合ったりするのも、互いへの理解を深めるでしょう。
その5.子どもを通して発見する
子どもの姿を通して、知らなかった“互いの過去の姿”を垣間見ることもあります。子は親に似るからです。
我が家でも、時々「あなたも昔、こうだったわけ?」と、子どもへのイライラの矛先が“こちら”に向けられることもありますし(汗)、子どもは子どもで、母親から叱られたことを、「仕方ないだろ、パパに似たんだから」と責任転嫁してくることもありますが(汗)、これもきっと、互いを理解するためのプロセスなのかもしれません…。
夫婦の間の小さな溝から…
さて、多くの夫婦が“互いの理解”を培っていく、この第2ステップ上にあるに違いありません。ちょっとした誤解や不信感が生じ易いのもこの段階であり、“溝”が生じ易いのもこのステップなのです。
ここでは深入りはしませんが、夫婦間の課題の殆どは、“小さな溝やひび割れから生じている”ということだけ触れておきます。
大切なことは、問題を放置しないこと、誤解したまま・させたままにしないことです。
仮にもし“10年かけて広がった溝”であるなら、“10年かけて埋め合わせる”ことを覚悟してください。
その覚悟があれば、10年が5年、3年、さらには1年に短縮できるかもしれません。
“修復したい”と願う気持ちがあれば、です。
みんな理解してもらいたい
以前、離婚に至った婦人の相談を受けた時のことです。
“夫の酷さ”を示す話のオンパレードで、彼女はしきりに「私は離婚という正しい選択をしたんです」と述べていましたが、その表情からは“心のつらさ”が感じられました。
話が途切れた時、私が一言、「苦しかったんですね……」と述べた時、彼女の目にはみるみる涙が溜まり、そのまま暫く泣き続けました。「本当は離婚なんてしたくなかった」と。
彼女はひとしきり、思いを吐露した後、すっきりとした表情で帰っていきました。
人は皆、誰かに「気持ちを打ち明けたい」「理解してもらいたい」と強く思っています。また、“理解された”と思った時に、人は初めて心を開くのでしょう。
世界中で“たった一人”でも、自分の思いを理解してくれる人がいたなら、人はそれだけで生きる力と勇気を得ることができるに違いありません。
是非、あなたがあなたの配偶者にとっての“一人”になってあげてください。
インドの詩人、タゴールはこう言いました。「愛は理解の別名なり」。
愛を育んでいくプロセスにおいて、“愛すること”とは“理解すること”であり、また“理解しようと努めること”なのだ、と、私はそう思います。
まとめ
- 夫婦が理解し合えないのは人生経験が異なるから。愛があるから理解できるのではなく、理解していくことで愛が育まれる。
- 夫婦は各々のもつマップが異なるため、見え方も感じ方も異なる。まずは「もう分かってる」という思い込みから捨てよう。
- 夫婦の理解を深めるには、普段の会話や二人の時間を大事にし、互いの人間関係や育った環境、人生体験等を共有しよう。
- 相手に理解を求める前に、まず相手を理解することに努める。愛を育む過程において、愛することは理解することにある。