結婚は人生の墓場―。
この言葉は、元はフランスの詩人が(自由交際を戒め)「墓のある教会で一人の伴侶と結婚せよ」と語ったことの誤訳だった(!?) と言いますが、今やそんなポジティブな意味を連想する人など 皆無でしょう。(汗)
結婚は自由な人生の終幕(=墓場)。 “家庭”という足かせがはめられ、“責任”が重くのしかかる―。
そんなイメージがこの言葉に込められているに違いありません。
さて、今回は正にその “墓場” とされてきた結婚生活の現状を取り上げつつ、読者の皆さんに一つの「発想の転換」を促したいと思います。
「結婚は人生の墓場」。この言葉は見方を変えれば、とてもポジティブで深い~意味に変わるのです!
今日のコンテンツ
★ こんなはずじゃなかった…
★ 結婚は恋愛(夢物語)の終焉!?
★「結婚=墓場」の正しい解釈
★ 一人から二人の人生へ
★ 誰かと共に生きる人生
こんなはずじゃなかった…
前項で見たように、ひとたび結婚生活が始まれば、互いの欠点やギャップに気付くのに そう時間はかからないでしょう。
以前、結婚式を間近に控えたある女性が、こんなふうに不満をもらしていたことがありました。
「二人の結婚式なのに、彼、全っ然、協力的じゃないんです。なんで私任せ? 私との結婚よりも自分の仕事のほうが大事なわけ?って感じ…」
こうした男女の温度差は、多くのカップルが経験済みでしょう。それこそ前項で触れた「男はハンター」「女はシンデレラ」の典型です。
ターゲットを手にしたことで“ハンティング”をやめ、元のサラリーマンに戻ってしまった男たちの姿は、魔法で幸せ気分に浸っているシンデレラたちを 一気に “興覚め” させてしまうのでしょう。
「ちょっとぉ、まだ12時の鐘の音も聞いてないだけど~!」といったシンデレラたちの、悲痛なクレームが聞こえて来そうです。
「私が思い描いていた結婚生活はこんなんじゃなかった…。」
ケースは異なるにせよ、それが結婚初期、多くのカップルが共通して抱く実感ではないでしょうか?
結婚は恋愛(夢物語)の終焉!?
結婚は “夢物語” (=非日常)などではなく "現実の生活”(=日常)です。
恋愛とは 言わば"個々の好みや趣味の領域”であって、自分の都合が悪ければ 休止も中断も容易ですが、結婚となるとそうはいきません。
結婚生活には 義務や責任が伴うからです。
上記の例で言うなら、「結婚後のことは考えてなかった」などという男性(=ハンター)の発想は言語道断。女性からすれば、「ちゃんと責任持ちなさいよ~」と言いたいところでしょう。
実際、結婚する上で、より大きなリスクを冒しているのは女性だからです。
場合によっては、仕事を辞め、住み慣れた街を離れ、友人たちにも別れを告げて結婚に踏み切ったわけですから、「私は結婚のためにこんなに犠牲にしてきたのよー!」と叫びたくもなるでしょう。
しかし一方で、男性からすれば、「結婚したのだから」と、際限なくエスカレートしていく女性の要望に、だんだん耐えられなくなってくるわけです。
「もっと早く帰って!」
「でも、お金は稼いで!」
「当然、稼いだお金は節約よ!」
その要求に、時には “理不尽さ” すら覚えることでしょう。
自分で稼いだお金で高級品を買ったら彼女にメチャクチャ怒られた、などという事態に直面しながら、男性はこう思うのです。「ああ、不自由だ。一人の時はもっと自由だったのに…!」
一方、隣りの部屋では、女性がこう嘆いているに違いありません。「一人の生活は楽だった…、私って結婚の被害者だわ!」
義務や責任が伴わなかった夢物語、二人の淡い恋物語は、結婚によって終焉を迎えたのです。
「結婚 = 墓場」の正しい解釈
さて、恋愛熱は冷め、気楽さや自由はなくなり、仕事や家事に追われる現実の結婚生活が始まりました。
子どもの数だけタスクは増え、義務や責任は倍増。余裕がない分、互いへの不満や要求も高まる一方でしょう。
結婚は人生の墓場なり―。それは、こうした結婚生活の現実の中で生まれてきた言葉であるに違いありません。
しかし、よくよく考えてみる時、私はこの言葉、ある意味「正しい」と思うのです。なぜなら、結婚を境に、私一人で生きてきた独身生活は、間違いなく“終焉” を迎えるからです。
言い換えれば、自分のことだけを考え、自己実現を目標に生きてきた一つの人生が終わりを告げ、「誰かと共に生きていく」次なる人生が幕を開けたのです。
"一人の人生”に終止符を打ち、"二人の人生”を新たに出発していくこと―。それを私たちは “結婚” と呼ぶのです。
一人から二人の人生へ
結婚前、私たちは “自分に都合の良い結婚” を思い描いてきました。
独身男性なら こう考えたに違いありません。結婚したら「今の自分を支えてくれる誰か」ができる、と。
しかし、結婚してみてビックリ。「支えてくれる」どころから、「新たな要求を突き付けてくる誰か」ができるのです!! (汗)
一方で、独身女性はこんな期待を抱いてきたかもしれません。結婚したら「今の自分を満たしてくれる誰か」ができる、と。
しかし、結婚してみると、自分を「満たしてくれる」どころか、「新たに世話してやらなきゃならない誰か」ができるのです!! (涙)
哲学者ショーペンハウアーは言いました。
結婚とは、
※ 赤字は著者が追加
彼の権利(自由)を半分にし、
義務(責任)を二倍にすることである。
“一人の人生”という観点から見るなら、結婚はどれほど “面倒” で “理不尽” なことでしょうか? 自由と権利を手放し、義務と責任を背負うのです。(結婚を見つめる観点 図解②参照)
それが “一人から二人の人生に変わる”ということの意味でしょう。
しかし 不思議なことに、結婚の幸せとは正に、その「新たな要求を突き付けてくる誰か」や「新たに世話してやらなきゃならない誰か」によってもたらされるのです!
誰かと共に生きる人生
人は恐らく、一人で生きて行くようにはプログラミングされていないのでしょう。
誰かのために生きることで 実感できる喜びがあり、誰かと共にあって 分かち合える幸せがあるのです。
最初は戸惑いや混乱もあるに違いありません。しかし、苦労や喜びを誰かと分かち合うことから来る充実感は、一人で得られる充実感とは 比べものにならないでしょう。
一人の人生から二人の人生への転換―。それが結婚にほかなりません。
あなたは「自分のためだけに生きる人生」を締め括り、自分以外の誰かのために生きる人生、「誰かと共に生きる人生」を選択しました。
もしあなたが結婚前に戻れたとしても、きっとまた「誰かと共に生きる人生」を選び取るのではないでしょうか?
まとめ
- 結婚は「一人の人生」に終止符をうち(=人生の墓場)、新たに「二人の人生」を出発していくこと。
- 二人の人生(結婚生活)は、一人の人生という観点から見れば、極めて不自由で面倒な生き方にも思える。
- しかし、二人の人生には一人の人生にはない、誰かのために生きる喜びがあり、人生を共に分かち合う喜びがある。