新渡戸稲造 著『真の愛国心』。1ページ目はHOTNEWS運営チームによる現代語訳、2ページ目は矢内原忠雄氏による翻訳(戦前の日本語)です。
国を偉大にする一番の方法
長く外国にいて、しかも日本人と交流することが少なく、むしろ 日々多数の国の人々と交流していると、各国の国民性をいくらか窺うことができるように思う。
私の勤めている役所に来ている人々は 公式にその国の政府から任命されたものではないため、国家または政府を代表するものではないが、国民そのものは これを代表せざるを得ない。いくら各国政府がその人物を任命していないと言っても、推薦した以上は 自分の国を辱めるような人物を選ぶはずはない。従ってこの役所に集まってくる人々は、各国の国民性の長所を備えているといっても過言ではあるまい。そのため、日々交流していて不愉快に感じる者は非常に少なく、性格が
「他山の石
そんなことを言うと「謙遜しすぎて卑屈になる恐れがある」という者もいるだろうが、かりに私自身は 個人としてこの過ち(=卑屈になりすぎる)があるとしても 日本国民全体が謙遜な態度をとることはないだろうから、私はむしろ 我が国民性に如何なる欠点があるのかを省みることが、国を偉大にする一番の方法ではないかと思う。
言葉を換えて言えば反省、自己の過ちを知ること、己の短所を自覚すること、これが「
アメリカ詩人の無遠慮な詩
私の友人にアーヴィンという、作家として相当に名を轟かせたアメリカ人がいる。この人が昨年の夏頃作った詩がある。これを読んで私は大いに感服した。内容が日本に関することであるから、必ずや日本語に翻訳されるだろうし、また 有識者の間では原詩(英語版)で広がるものと思い 友人たちに尋ねてみたところ、伝わっていないと聞いて とても残念に思った。
詩の題は「隣邦の日本よ、しばし待て」(Wait neighbour Japan)というのである。しかしてその要点は、「世界の歴史を
私はこれを読んで非常に驚いた。彼がその同胞であるアメリカ人たちへ警鐘を鳴らしていることは 彼の従来の著書に現われているが、このように露骨に、しかも外国人に宛てて自国人の欠点を遠慮なく述べた彼の勇気は 実に敬服の至りである。またも一歩深く立ち入って彼の心を推し量るならば、彼の真意は その同胞へ警鐘を鳴らすためとはいえ、言葉として外に現われたものは、ほとんど同胞を侮辱するが如き
予言者あって国は偉大となる
私はこの詩を読んで、その作者の奇抜にして国を愛するとともに 人道を重んずる点に感心し、同時に このような人が
しかし残念なことに、予言者は自国において名誉を得られない。とにかく彼らは いわゆる愛国心のゆえに排斥せられ迫害され、その予言が的中するまでは無視されがちである。けれどもこういう人がいて 始めて国家は偉くなるものだと思う。自分の身(社会的立場)を顧みず、道(正義・公益)のために動く人がいなければ、国は「愛国者を自称するデマゴーグ」の口車に乗せられ、国運が傾くのを むしろ助けるような結果となる恐れがある。
この類の人(=真の愛国者)は 必ずどの国にもいるものだと思う。現に私は イタリアにおいてもフランスでも、そのような人がいることを知っている。またドイツでも同様の人が 今は追放同然の身となっているのを知っている。ロシアに至っては こういう人が
真の愛国者の態度
先日 とある国の人と話をしたのだが、その人
こうした人々の行為を「非愛国の人(=愛国者ではない)」と侮蔑する人がいるかもしれない。しかし、自国政府の行いを全て認め これに賛同し これを助けることが、果たして真の愛国心であろうか。理非曲直(=善悪・道徳・道理)の基準は一国に限定されるものではなく、人類一般に共通するものである以上、むしろ
西洋にも現在 伯夷叔斉あり
私は上で挙げた2つの例に接したとき、すぐに
※ 編集注:「伯夷と叔斉」の話をご存知ない方は、ぜひ 伯夷と叔斉 を先にご覧ください。
この兄弟(伯夷と叔斉)は熱い愛国者であり、周の武王が木像を載せて文王と称し 主君の
国への愛情という点において伯夷と叔斉は、武王自身 または
あるいは彼らの判断が誤りだった可能性もある。現に周の時代は八百余年と長きに渡り、その政治は今日も模範として
愛国心の現わし方
我が国には「国を愛する人」は多くいるが「国を憂う人」はとても少ない。しかしその「国を愛する者」のなかに「盲目的に愛する者」がいないか心配である。かつてハイネは詩の中で「フランス人が国家を愛するのは妾を愛するがごとく、ドイツ人は祖母を愛するがごとく、英国人は正妻を愛するがごとくである」といった。
妾に対する愛情は感情に
世間では よく「国際関係には道徳がなく、正義人道が行われない」とも言われるが、私の知る限りでは、決してこれらのものが皆無であるということはない。現時点においては、未だこれらの基準によって決定されるとは言い難い。しかし いずれ、国の地位を判断する際に正義人道をもって行うときが来るのである。
昨今は
従って、ある国が世界のため 人道のために いかなる貢献を成したかは、その国を偉大にし その威厳が増す理由となる。国がその位地を高めるものは、人類一般 即ち 世界文明のために何を貢献するか という所に帰着する傾向が著しくなりつつある。
1925年1月15日
『実業之日本』28巻2号