おはようございます。
令和の初日は疲労の蓄積で朝ダウン。ブログを書く時間と体力がありませんでした。。。
LITALICO(リタリコ)という障害者の支援をしている会社をご存知でしょうか?
そのLITALICOさんのHPにあるコラムを読んで感じたことを書きます。
「べき論」を伝えていないか?
このコラムの中で言いたいのは、
長所やうまく出来たことを褒めることは、一方で「そうするべきだ」という「べき論」を子どもに伝えていることがある。
できることもできないこともひっくるめて認めてあげること・受け入れてあげることが、自己肯定感を育てるのには重要。
ということじゃないかと思います。
「褒める教育」と良く言いますが、それが子どもに対する「要求」になってはいけないということですね。
親として考えさせられるところです。
けんの自己肯定感
けんもそろそろ、自分を客観的に理解し始める年齢です。
自分よりも妹の方がしゃべれることとか、姉の学校に行ったら、そこにはできる子ばかりがいることなど、どんな風に感じているのでしょうか?
(※うちの自治体では、支援学校の子が定期的に普通学校に行って交流する制度があります)
私は「自己肯定感」は基本的に、親の愛情をどのように理解しているのか?ということだと思います。
できる子だから愛しているのか、存在そのものを愛しているのか。
けんはしょっちゅう「こだわり」が出てしまい、
パズルをしているのに、途中でお風呂に入るだとか、途中で夕飯を食べるというようなことが、できないことがあります。(切り替えができない)
そんな時はイライラした様子を見せます。
きっと自分でも「自分はまたこだわっている」とか「次のことをやるべきなのに」と思っていると思います。
親としても、確かに次の行動に移らせてあげるべきなのですが、
こういう時の親の態度が、子どもの自己肯定感を育てるには大切なのだろうと思います。
口に出さなくても、親の態度には 子どもに対するメッセージが含まれています。
「切り替えができないのはダメだ」「お前はダメな子だ」「そういうお前には腹が立つ」
というメッセージではなく、
「切り替えが苦手なんだね。わかるよ。がんばろうね」
というようなメッセージが伝わることが大切なのかも知れません。
感情的にならず、落ち着いた対処がひつようですね。
自閉症児を相手に、親が感情をコントロールするのは、かなり大変なことかも知れません。
でも、けんが何かを「やらかした」時ほど、
親は自分自身の感情に気をつけるべきだと感じさせられたコラムでした。
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