おはようございます。少し涼しくなってきましたね。
以前、東田直樹さんの本を引用しながら、自閉症児が持っている「こだわり」がある日突然、過ぎ去っていくという話題について書きました。
その時は、けんが妹のきーちゃんを押して倒してしまうという「こだわり」が消えたことについてでした。
そして最近また一つ、けんの中でけっこう強かった「こだわり」が過ぎ去りました。
それはそこまで周りに迷惑がられるものではなく、一種の口癖のようなものでした。
私たち家族がドライブする時、必ずカーオーディオで音楽を聴きます。
けんはとても音楽が好きです。
昨日も「何か口ずさんでるな」と思ったら、Eテレの子供向け番組で流れている曲でした。(歌詞はめちゃくちゃですが、メロディはあってます♪)
そんなけんは、車内でも音楽をしっかり聴いています。
私やママはBGMとして聴いていて、時々口ずさんだりもしますが、あくまでも家族で過ごすための「バック・グラウンド・ミュージック」(家族の会話の背後で流れている音楽)です。
でも、けんはかなり真剣に聴いているのか、
(あるいは音楽が流れているとそればかり入ってきて、逆に会話の声は聴こえなくなってしまうのか・・・)
曲が終わるたびに必ず「ごーごー」という独り言を言っていました。
曲が終わって、タイミング良く、合いの手のように「ごーごー」が入ります。
意味は分かりません。
(放デイの先生は「けんちゃん、Go!Go!ってことかな?笑」と可愛がってくれますが、そういう意味でもなさそう。。。)
ところが日曜日にドライブに行ったところ、「あれ?そういえば けん、今日は『ごーごー』言わないね」という話に。
本当にぱったりと、全く言わなくなりました。
「そのこだわりが永遠に続くことはありません。あんなにやめられなかったのにどうしてと思うほど、ある日突然しなくなります。僕は、きっかけは脳が終了のサインを出すからだと思います。終了のサインは、まるでお菓子を一袋食べてしまった後のように、こだわる必要が何もなくなることです。」
(『自閉症の僕が跳びはねる理由』東田直樹著)
前回の記事でも引用した部分なのですが、今回振り返って読んでみると「脳が終了のサインを出す」という部分が印象的です。
「脳が終了のサインを出す」ということは、それまでは本人の発達段階であったり安心の確保のためだったり、とにかくその「こだわり」が必要だったという意味にも感じられます。
健常児だって、小学生になってもお気に入りの「ぬいぐるみ」を手放せなかったりします。
時には周囲にとって面倒な「こだわり」も存在しますが、自閉症児にとってはそれで「いつもと同じであるという安心」が得られるのかも知れません。
そして本人が成長して、その「こだわり」が必要なくなれば自然と手放していく、、、ということなのかも。
脳が「もういらないよ~」と。
じっくりと大きな目で見守りながら、療育とか「しつけ」をしていくことが必要だと感じました。
☟「いいね!」と思ってくださる方は、クリックをお願いします!
にほんブログ村