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巳之助はもう、男ざかりの
さて或る日、巳之助がランプの
この奇妙な高い柱は五十
巳之助はついに、ひなたでうどんを
巳之助にはよくのみこめなかった。電気のことなどまるで知らなかったからだ。ランプの代りになるものらしいのだが、そうとすれば、電気というものは
それから
注意してよく見ると、ところどころの柱から黒い綱が二本ずつだるまさんの頭のところで別れて、家の
「へへえ、電気とやらいうもんは
と巳之助が一人であざわらいながら、知合いの甘酒屋にはいってゆくと、いつも
「何だやい、変なものを吊したじゃねえか。あのランプはどこか悪くでもなったかやい」
と巳之助はきいた。すると甘酒屋が、
「ありゃ、こんどひけた電気というもんだ。火事の心配がのうて、明かるうて、マッチはいらぬし、なかなか便利なもんだ」
と答えた。
「ヘッ、
甘酒屋は、相手がランプ売であることに気がついたので、電燈の便利なことはもういわなかった。
「なア、甘酒屋のとッつあん。見なよ、あの天井のとこを。ながねんのランプの
こんなふうに巳之助はランプの肩をもって、電燈のよいことはみとめなかった。
ところでまもなく晩になって、誰もマッチ一本すらなかったのに、とつぜん甘酒屋の店が真昼のように明かるくなったので、巳之助はびっくりした。あまり明かるいので、巳之助は思わずうしろをふりむいて見たほどだった。
「巳之さん、これが電気だよ」
巳之助は歯をくいしばって、ながいあいだ電燈を見つめていた。
「巳之さん、そういっちゃ何だが、とてもランプで
巳之助はむっつりと入口の
ランプの、てごわいかたきが出て来たわい、と思った。いぜんには文明開化ということをよく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の利器であるということは分からなかった。りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
その日から巳之助は、電燈が自分の村にもひかれるようになることを、心ひそかにおそれていた。電燈がともるようになれば、村人たちはみんなランプを、あの甘酒屋のしたように壁の隅につるすか、倉の二階にでもしまいこんでしまうだろう。ランプ屋のしょうばいはいらなくなるだろう。
だが、ランプでさえ村へはいって来るにはかなりめんどうだったから、電燈となっては村人たちはこわがって、なかなか寄せつけることではあるまい、と巳之助は、一方では安心もしていた。
しかし間もなく、「こんどの村会で、村に電燈を引くかどうかを決めるだげな」という
そこで巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電燈反対の意見をまくしたてた。
「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、その線をば夜中に
こういうばかばかしいことを巳之助は、自分の
村会がすんで、いよいよ
その通りであった。頭がどうかなってしまった。村会のあとで三日間、巳之助は昼間もふとんをひっかぶって寝ていた。その間に頭の調子が狂ってしまったのだ。
巳之助は誰かを
菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の
巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を
区長さんの家には長い間やっかいになっていたので、よくその様子はわかっていた。火をつけるにいちばん都合のよいのは
巳之助はマッチのかわりに、マッチがまだなかったじぶん使われていた
巳之助は火打で火を切りはじめた。火花は飛んだが、
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持って来りゃよかった。こげな火打みてえな古くせえもなア、いざというとき間にあわねえだなア」
そういってしまって巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。――ランプはもはや古い道具になったのである。電燈という新しいいっそう便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。古い自分のしょうばいが失われるからとて、世の中の進むのにじゃましようとしたり、何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、古いしょうばいがいらなくなれば、男らしく、すっぱりそのしょうばいは
巳之助はすぐ家へとってかえした。
そしてそれからどうしたか。
寝ているおかみさんを起して、今家にあるすべてのランプに石油をつがせた。
おかみさんは、こんな
ランプは大小さまざまのがみなで五十ぐらいあった。それにみな石油をついだ。そしていつもあきないに出るときと同じように、車にそれらのランプをつるして、外に出た。こんどはマッチを忘れずに持って。
道が西の
巳之助は
さて巳之助はどうするというのだろう。
巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのランプを三本の木に吊した。
風のない夜で、ランプは一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんで来たランプ。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
それから巳之助は池のこちら側の
ランプ、ランプ、なつかしいランプ。
やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているランプに
「お前たちの
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったランプが、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
三番目のランプを割ったとき、巳之助はなぜか涙がうかんで来て、もうランプに
こうして巳之助は今までのしょうばいをやめた。それから町に出て、新しいしょうばいをはじめた。本屋になったのである。
* * *
「巳之助さんは今でもまだ本屋をしている。もっとも今じゃだいぶ年とったので、
と東一君のおじいさんは話をむすんで、
「そいじゃ、残りの四十七のランプはどうした?」
と東一君はきいた。
「知らん。次の日、旅の人が見つけて持ってったかも知れない」
「そいじゃ、家にはもう一つもランプなしになっちゃった?」
「うん、ひとつもなし。この台ランプだけが残っていた」
とおじいさんは、ひるま東一君が持出したランプを見ていった。
「損しちゃったね。四十七も誰かに持ってかれちゃって」
と東一君がいった。
「うん損しちゃった。今から考えると、何もあんなことをせんでもよかったとわしも思う。
「馬鹿しちゃったね」
と東一君は孫だからえんりょなしにいった。
「うん、馬鹿しちゃった。しかしね、東坊――」
とおじいさんは、きせるを
「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな
東一君は黙って、ながい間おじいさんの、小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。やがて、いった。
「おじいさんはえらかったんだねえ」
そしてなつかしむように、かたわらの古いランプを見た。
「既得権益にしがみつく者たちの醜さ」と「新しい時代に適応しようとする勇気」。
変化の著しい21世紀は、ランプ → 電灯 のような技術革新が これから幾度も訪れるはずです。
そんな時「個人の利益追求」にはしって社会の足を引っ張ることなく、「人類全体の公益」を追求する生き方を選択したいですね…。