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おじいさんのランプ

新美南吉 著『おじいさんのランプ

【ひとこと紹介】「既得権益にしがみつく者たちの醜さ」と「新しい時代に適応しようとする勇気」を描いた作品。変化の著しい現代社会においてこそ 読んでおきたいお話。

新美 南吉
(にいみ なんきち)

1913年(大正2年)〜1943年(昭和18年)。日本の児童文学作家。本名は新美 正八(旧姓:渡邊)。結核により29歳の若さで他界。

4歳で実母を亡くし、その後 継母である "しん" に育てられました。しんは養子である南吉と実子を分け隔てなく愛したそうです。

南吉は生涯をかけて「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」を追求。その思想は彼の作品にも表れています。

おじいさんのランプ

 かくれんぼで、倉のすみにもぐりこんだ東一とういち君がランプを持って出て来た。

 それは珍らしい形のランプであった。八十センチぐらいの太い竹のつつが台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。

 そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。

「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗八そうはち君はいった。

 東一君のおじいさんも、しばらくそれが何だかわからなかった。眼鏡めがねしにじっと見ていてから、はじめてわかったのである。

 ランプであることがわかると、東一君のおじいさんはこういって子供たちをしかりはじめた。

「こらこら、お前たちは何を持出すか。まことに子供というものは、黙って遊ばせておけば何を持出すやらわけのわからん、油断もすきもない、ぬすっとねこのようなものだ。こらこら、それはここへ持って来て、お前たちは外へ行って遊んで来い。外に行けば、電信柱でんしんばしらでも何でも遊ぶものはいくらでもあるに」

 こうして叱られると子供ははじめて、自分がよくない行いをしたことがわかるのである。そこで、ランプを持出した東一君はもちろんのこと、何も持出さなかった近所の子供たちも、自分たちみんなで悪いことをしたような顔をして、すごすごと外の道へ出ていった。

 外には、春の昼の風が、ときおり道のほこりを吹立ててすぎ、のろのろと牛車が通ったあとを、白いちょうがいそがしそうに通ってゆくこともあった。なるほど電信柱があっちこっちに立っている。しかし子供たちは電信柱なんかで遊びはしなかった。大人おとなが、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となくばかげているように子供には思えるのである。

 そこで子供たちは、ポケットの中のラムネ玉をカチカチいわせながら、広場の方へとんでいった。そしてまもなく自分たちの遊びで、さっきのランプのことは忘れてしまった。

 日ぐれに東一君は家へ帰って来た。奥の居間いまのすみに、あのランプがおいてあった。しかし、ランプのことを何かいうと、またおじいさんにがみがみいわれるかも知れないので、黙っていた。

 夕御飯のあとの退屈な時間が来た。東一君はたんすにもたれて、ひき出しのかん・・をカタンカタンといわせていたり、店に出てひげをやした農学校の先生が『大根だいこん栽培の理論と実際』というような、むつかしい名前の本を番頭に注文するところを、じっと見ていたりした。

 そういうことにも飽くと、また奥の居間にもどって来て、おじいさんがいないのを見すまして、ランプのそばへにじりより、そのほやをはずしてみたり、五銭白銅貨はくどうかほどのねじ・・をまわして、ランプのしんを出したりひっこめたりしていた。

 すこしいっしょうけんめいになっていじくっていると、またおじいさんにみつかってしまった。けれどこんどはおじいさんは叱らなかった。ねえやにお茶をいいつけておいて、すっぽんと煙管筒きせるづつをぬきながら、こういった。

「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。長いあいだ忘れておったが、きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとてもうれしいもんだ」

 東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。おじいさんはがみがみと叱りつけたから、おこっていたのかと思ったら、昔のランプにうことができて喜んでいたのである。

「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来てすわれ」

とおじいさんがいった。

 東一君は話が好きだから、いわれるままにおじいさんの前へいって坐ったが、何だかお説教をされるときのようで、いごこちがよくないので、いつもうちで話をきくときにとる姿勢をとって聞くことにした。つまり、寝そべって両足をうしろへ立てて、ときどき足の裏をうちあわせる芸当げいとうをしたのである。

 おじいさんの話というのは次のようであった。

* * *

 今から五十年ぐらいまえ、ちょうど日露戦争のじぶんのことである。岩滑新田やなべしんでんの村に巳之助みのすけという十三の少年がいた。

 巳之助は、父母も兄弟もなく、親戚しんせきのものとて一人もない、まったくのみなしごであった。そこで巳之助は、よその家の走り使いをしたり、女の子のように子守こもりをしたり、米をいてあげたり、そのほか、巳之助のような少年にできることなら何でもして、村に置いてもらっていた。

 けれども巳之助は、こうして村の人々の御世話で生きてゆくことは、ほんとうをいえばいやであった。子守をしたり、米を搗いたりして一生を送るとするなら、男とうまれた甲斐かいがないと、つねづね思っていた。

 男子は身を立てねばならない。しかしどうして身を立てるか。巳之助は毎日、ご飯をべてゆくのがやっとのことであった。本一冊買うお金もなかったし、またたといお金があって本を買ったとしても、読むひまがなかった。

 身を立てるのによいきっかけがないものかと、巳之助はこころひそかに待っていた。

 するとる夏の日のひるさがり、巳之助は人力車じんりきしゃ先綱さきづなを頼まれた。

 そのころ岩滑新田には、いつも二、三人の人力曳じんりきひきがいた。潮湯治しおとうじ(海水浴のこと)に名古屋から来る客は、たいてい汽車で半田はんだまで来て、半田から知多ちた半島西海岸の大野や新舞子まで人力車でゆられていったもので、岩滑新田はちょうどその道すじにあたっていたからである。

 人力車は人が曳くのだからあまり速くは走らない。それに、岩滑新田と大野の間にはとうげが一つあるから、よけい時間がかかる。おまけにその頃の人力車の輪は、ガラガラと鳴る重い鉄輪かなわだったのである。そこで、急ぎの客は、賃銀をばいして、二人の人力曳にひいてもらうのであった。巳之助に先綱曳を頼んだのも、急ぎの避暑客であった。

 巳之助は人力車のながえ・・・につながれた綱を肩にかついで、夏の入陽いりひのじりじり照りつける道を、えいやえいやと走った。れないこととてたいそう苦しかった。しかし巳之助は苦しさなど気にしなかった。好奇心でいっぱいだった。なぜなら巳之助は、物ごころがついてから、村を一歩も出たことがなく、峠の向こうにどんな町があり、どんな人々が住んでいるか知らなかったからである。

 日が暮れて青い夕闇ゆうやみの中を人々がほの白くあちこちする頃、人力車は大野の町にはいった。

 巳之助はその町でいろいろな物をはじめて見た。のきをならべて続いている大きい商店が、第一、巳之助には珍らしかった。巳之助の村にはあきないやとては一軒しかなかった。駄菓子だがし草鞋わらじ糸繰いとくりの道具、膏薬こうやく貝殻かいがらにはいった目薬、そのほか村で使うたいていの物を売っている小さな店が一軒きりしかなかったのである。

 しかし巳之助をいちばんおどろかしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、花のように明かるいガラスのランプであった。巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かった。まっくらな家の中を、人々は盲のように手でさぐりながら、水甕みずがめや、石臼いしうす大黒柱だいこくばしらをさぐりあてるのであった。すこしぜいたくな家では、おかみさんが嫁入よめいりのとき持って来た行燈あんどんを使うのであった。行燈は紙を四方に張りめぐらした中に、油のはいったさらがあって、その皿のふちにのぞいている燈心とうしんに、桜のつぼみぐらいの小さいほのおがともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。しかしどんな行燈にしろ、巳之助が大野の町で見たランプの明かるさにはとても及ばなかった。

 それにランプは、その頃としてはまだ珍らしいガラスでできていた。すすけたり、破れたりしやすい紙でできている行燈より、これだけでも巳之助にはいいもののように思われた。

 このランプのために、大野の町ぜんたいが竜宮城かなにかのように明かるく感じられた。もう巳之助は自分の村へ帰りたくないとさえ思った。人間は誰でも明かるいところから暗いところに帰るのを好まないのである。

 巳之助は駄賃だちんの十五銭をもらうと、人力車とも別れてしまって、お酒にでも酔ったように、波の音のたえまないこの海辺の町を、珍らしい商店をのぞき、美しく明かるいランプに見とれて、さまよっていた。

 呉服屋では、番頭さんが、椿つばきの花を大きく染め出した反物たんものを、ランプの光の下にひろげて客に見せていた。穀屋こくやでは、小僧さんがランプの下で小豆あずきのわるいのを一粒ずつ拾い出していた。また或る家では女の子が、ランプの光の下に白くひかる貝殻を散らしておはじきをしていた。また或る店ではこまかいたまに糸を通して数珠じゅずをつくっていた。ランプの青やかな光のもとでは、人々のこうした生活も、物語か幻燈げんとうの世界でのように美しくなつかしく見えた。

 巳之助は今までなんども、「文明開化で世の中がひらけた」ということをきいていたが、今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。

 歩いているうちに、巳之助は、様々なランプをたくさんつるしてある店のまえに来た。これはランプを売っている店にちがいない。

 巳之助はしばらくその店のまえで十五銭を握りしめながらためらっていたが、やがて決心してつかつかとはいっていった。

「ああいうものを売っとくれや」

と巳之助はランプをゆびさしていった。まだランプという言葉を知らなかったのである。

 店の人は、巳之助がゆびさした大きいつりランプをはずして来たが、それは十五銭では買えなかった。

「負けとくれや」
と巳之助はいった。

「そうは負からん」
と店の人は答えた。

卸値おろしねで売っとくれや」

 巳之助は村の雑貨屋へ、作った草鞋わらじを買ってもらいによく行ったので、物には卸値と小売値こうりねがあって、卸値は安いということを知っていた。たとえば、村の雑貨屋は、巳之助の作った瓢箪型ひょうたんがたの草鞋を卸値の一銭五りんで買いとって、人力曳じんりきひきたちに小売値の二銭五厘で売っていたのである。

 ランプ屋の主人は、見も知らぬどこかの小僧がそんなことをいったので、びっくりしてまじまじと巳之助の顔を見た。そしていった。

「卸値で売れって、そりゃ相手がランプを売る家なら卸値で売ってあげてもいいが、一人一人のお客に卸値で売るわけにはいかんな」

「ランプ屋なら卸値で売ってくれるだのイ?」

「ああ」

「そんなら、おれ、ランプ屋だ。卸値で売ってくれ」

 店の人はランプを持ったまま笑い出した。

「おめえがランプ屋? はッはッはッはッ」

「ほんとうだよ、おッつあん。おれ、ほんとうにこれからランプ屋になるんだ。な、だから頼むに、今日きょうは一つだけンど卸値で売ってくれや。こんど来るときゃ、たくさん、いっぺんに買うで」

 店の人ははじめ笑っていたが、巳之助の真剣なようすに動かされて、いろいろ巳之助の身の上をきいたうえ、

「よし、そんなら卸値でこいつを売ってやろう。ほんとは卸値でもこのランプは十五銭じゃ売れないけど、おめえの熱心なのに感心した。負けてやろう。そのかわりしっかりしょうばいをやれよ。うちのランプをどんどん持ってって売ってくれ」

といって、ランプを巳之助に渡した。

 巳之助はランプのあつかい方を一通り教えてもらい、ついでに提燈ちょうちんがわりにそのランプをともして、村へむかった。

 やぶや松林のうちつづく暗い峠道でも、巳之助はもうこわくはなかった。花のように明かるいランプをさげていたからである。

 巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが――


 巳之助の新しいしょうばいは、はじめのうちまるではやらなかった。百姓たちは何でも新しいものを信用しないからである。

 そこで巳之助はいろいろ考えたあげく、村で一軒きりのあきないやへそのランプを持っていって、ただで貸してあげるからしばらくこれを使って下さいと頼んだ。

 雑貨屋のばあさんは、しぶしぶ承知して、店の天井にくぎを打ってランプを吊し、その晩からともした。

 五日ほどたって、巳之助が草鞋を買ってもらいに行くと、雑貨屋の婆さんはにこにこしながら、こりゃたいへん便利で明かるうて、夜でもお客がよう来てくれるし、釣銭つりせんをまちがえることもないので、気に入ったから買いましょう、といった。その上、ランプのよいことがはじめてわかった村人から、もう三つも注文のあったことを巳之助にきかしてくれた。巳之助はとびたつように喜んだ。

 そこで雑貨屋の婆さんからランプの代と草鞋の代を受けとると、すぐその足で、走るようにして大野へいった。そしてランプ屋の主人にわけを話して、足りないところは貸してもらい、三つのランプを買って来て、注文した人に売った。

 これから巳之助のしょうばいははやって来た。

 はじめは注文をうけただけ大野へ買いにいっていたが、少し金がたまると、注文はなくてもたくさん買いこんで来た。

 そして今はもう、よその家の走り使いや子守をすることはやめて、ただランプを売るしょうばいだけにうちこんだ。物干台ものほしだいのようなわく・・のついた車をしたてて、それにランプやほやなどをいっぱい吊し、ガラスの触れあう涼しい音をさせながら、巳之助は自分の村や附近の村々へ売りにいった。

 巳之助はお金ももうかったが、それとは別に、このしょうばいがたのしかった。今まで暗かった家に、だんだん巳之助の売ったランプがともってゆくのである。暗い家に、巳之助は文明開化の明かるい火を一つ一つともしてゆくような気がした。

 巳之助はもう青年になっていた。それまでは自分の家とてはなく、区長さんのところの軒のかたむいた納屋なやに住ませてもらっていたのだが、小金がたまったので、自分の家もつくった。すると世話してくれる人があったのでおよめさんももらった。

 るとき、よその村でランプの宣伝をしておって、「ランプの下ならたたみの上に新聞をおいて読むことが出来るのイ」と区長さんに以前きいていたことをいうと、お客さんの一人が「ほんとかン?」とききかえしたので、うそのきらいな巳之助は、自分でためして見る気になり、区長さんのところから古新聞をもらって来て、ランプの下にひろげた。

 やはり区長さんのいわれたことはほんとうであった。新聞のこまかい字がランプの光で一つ一つはっきり見えた。「わしは嘘をいってしょうばいをしたことにはならない」と巳之助はひとりごとをいった。しかし巳之助は、字がランプの光ではっきり見えても何にもならなかった。字を読むことができなかったからである。

「ランプで物はよく見えるようになったが、字が読めないじゃ、まだほんとうの文明開化じゃねえ」

 そういって巳之助は、それから毎晩区長さんのところへ字を教えてもらいにいった。

 熱心だったので一年もすると、巳之助は尋常科じんじょうかを卒業した村人の誰にも負けないくらい読めるようになった。

 そして巳之助は書物しょもつを読むことをおぼえた。