四
次の日、大野の町へ客を送ってきた海蔵さんが、村の茶店にはいっていきました。そこは、村の人力曳きたちが一仕事して来ると、次のお客を待ちながら、憩んでいる場所になっていたのでした。その日も、海蔵さんよりさきに三人の人力曳きが、茶店の中に憩んでいました。
店にはいって来た海蔵さんは、いつものように、駄菓子箱のならんだ台のうしろに仰向けに寝ころがってうっかり油菓子をひとつ摘んでしまいました。人力曳きたちは、お客を待っているあいだ、することがないので、つい、駄菓子箱のふたをあけて、油菓子や、げんこつや、ぺこしゃんという飴や、やきするめや餡つぼなどをつまむのが癖になっていました。海蔵さんもまたそうでした。
しかし海蔵さんは、今、つまんだ油菓子をまたもとの箱に入れてしまいました。
見ていた仲間の源さんが、
「どうしただや、海蔵さ。あの油菓子は鼠の小便でもかかっておるだかや。」
といいました。
海蔵さんは顔をあかくしながら、
「ううん、そういうわけじゃねえけれど、きょうはあまり喰べたくないだがや。」
と、答えました。
「へへエ。いっこう顔色も悪くないようだが、それでどこか悪いだかや。」
と、源さんがいいました。
しばらくして源さんは、ガラス壺から金平糖を一掴みとり出すと、そのうちの一つをぽオいと上に投げあげ、口でぱくりと受けとめました。そして、
「どうだや、海蔵さ。これをやらんかや。」
といいました。海蔵さんは、昨日まではよく源さんと、それをやったものでした。二人で競争をやって、受けそこなった数のすくないものが、相手に別の菓子を買わせたりしたものでした。そして海蔵さんは、この芸当では ほかのどの人力曳きにも負けませんでした。
しかし、きょうは海蔵さんはいいました。
「朝から奥歯がやめやがってな、甘いものはたべられんのだてや。」
「そうかや、そいじゃ、由さ、やろう。」
といって、源さんは由さんと、それをはじめました。
二人は色とりどりの金平糖を、天井に向かって投げあげてはそれを口でとめようとしましたが、うまく口にはいるときもあれば、鼻にあたったり、たばこぼんの灰の中にはいったりすることもありました。
海蔵さんは、じぶんがするなら、ひとつもそらしはしないのだがなあ、と思いながら見ていました。あまり源さんと由さんが落としてばかりいると、「よし、おれがひとつやって見せてやろかい。」といって出たくなるのでしたが、それをがまんしていました。これはたいへんつらいことでありました。
はやく、お客がくればいいのになあ、と海蔵さんは眼をほそめて明るい道の方を見ていました。しかしお客よりさきに、茶店のおかみさんが、焼きたてのほかほかの大餡巻をつくってあらわれました。
人力曳きたちは、大よろこびで、一本ずつとりました。海蔵さんもがまんできなくなって、手が少しうごきだしましたが、やっとのことでおさえました。
「海蔵さ、どうしたじゃ。一銭もつかわんで、ごっそりためておいて、大きな倉でもたてるつもりかや。」
と、源さんがいいました。
海蔵さんは苦しそうに笑って、外へ出てゆきました。そして、溝のふちで、かやつり草を折って、蛙をつっていました。
海蔵さんの胸の中には、拳骨のように固い決心があったのです。今までお菓子につかったお金を、これからは使わずにためておいて、しんたのむねの下に、人々のための井戸を掘ろうというのでありました。
海蔵さんは、腹も歯もいたくありませんでした。のどから手が出るほど、お菓子はたべたかったのでした。しかし、井戸をつくるために、今までの習慣をあらためたのでありました。
五
それから二年たちました。
牛が葉をたべてしまった椿にも、花が三つ四つ咲いたじぶんの或る日、海蔵さんは半田の町に住んでいる地主の家へやっていきました。
海蔵さんは、もう二タ月ほどまえから、たびたびこの家へ来たのでした。井戸を掘るお金はだいたいできたのですが、いざとなって地主が、そこに井戸を掘ることをしょうちしてくれないので、何度も頼みに来たのでした。その地主というのは、牛を椿につないだ利助さんを、さんざん叱ったあの老人だったのです。
海蔵さんが門をはいったとき、家の中から、ひえっという ひどいしゃっくりの音がきこえて来ました。
たずねて見ると、一昨日から地主の老人は、しゃっくりがとまらないので、すっかり体がよわって、床についているということでした。それで、海蔵さんはお見舞いに枕もとまできました。
老人は、ふとんを波うたせて、しゃっくりをしていました。そして、海蔵さんの顔を見ると、
「いや、何度お前が頼みにきても、わしは井戸を掘らせん。しゃっくりがもうあと一日つづくと、わしが死ぬそうだが、死んでもそいつは許さぬ。」
と、がんこにいいました。
海蔵さんは、こんな死にかかった人と争ってもしかたがないと思って、しゃっくりにきくおまじないは、茶わんに箸を一本のせておいて、ひといきに水をのんでしまうことだと教えてやりました。
門を出ようとすると、老人の息子さんが、海蔵さんのあとを追ってきて、
「うちの親父は、がんこでしようがないのですよ。そのうち、私の代になりますから、そしたら私があなたの井戸を掘ることを承知してあげましょう。」
といいました。
海蔵さんは喜びました。あの様子では、もうあの老人は、あと二、三日で死ぬに違いない。そうすれば、あの息子があとをついで、井戸を掘らせてくれる、これはうまいと思いました。
その夜、夕飯のとき、海蔵さんは年とったお母さんに、こう話しました。
「あのがんこ者の親父が死ねば、息子が井戸を掘らせてくれるそうだがのオ。だが、ありゃ、もう二、三日で死ぬからええて。」
すると、お母さんはいいました。
「お前は、じぶんの仕事のことばかり考えていて、悪い心になっただな。人の死ぬのを待ちのぞんでいるのは悪いことだぞや。」
海蔵さんは、とむねをつかれたような気がしました。お母さんのいうとおりだったのです。
次の朝早く、海蔵さんは、また地主の家へ出かけていきました。門をはいると、昨日より力のない、ひきつるようなしゃっくりの声が聞こえて来ました。だいぶ地主の体が弱ったことがわかりました。
「あんたは、また来ましたね。親父はまだ生きていますよ。」
と、出て来た息子さんがいいました。
「いえ、わしは、親父さんが生きておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」
と、海蔵さんはいいました。
老人はやつれて寝ていました。海蔵さんは枕もとに両手をついて、
「わしは、あやまりに参りました。昨日、わしはここから帰るとき、息子さんから、あなたが死ねば息子さんが井戸を許してくれるときいて、悪い心になりました。もうじき、あなたが死ぬからいいなどと、恐ろしいことを平気で思っていました。つまり、わしはじぶんの井戸のことばかり考えて、あなたの死ぬことを待ちねがうというような、鬼にもひとしい心になりました。そこで、わしは、あやまりに参りました。井戸のことは、もうお願いしません。またどこか、ほかの場所をさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、死なないで下さい。」
と、いいました。
老人は黙ってきいていました。それから長いあいだ黙って海蔵さんの顔を見上げていました。
「お前さんは、感心なおひとじゃ。」
と、老人はやっと口を切っていいました。
「お前さんは、心のええおひとじゃ、わしは長い生涯じぶんの慾ばかりで、ひとのことなどちっとも思わずに生きて来たが、いまはじめてお前さんのりっぱな心にうごかされた。お前さんのような人は、いまどき珍しい。それじゃ、あそこへ井戸を掘らしてあげよう。どんな井戸でも掘りなさい。もし掘って水が出なかったら、どこにでもお前さんの好きなところに掘らしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地だから。うん、そうして、井戸を掘る費用がたりなかったら、いくらでもわしが出してあげよう。わしは明日にも死ぬかも知れんから、このことを遺言しておいてあげよう。」
海蔵さんは、思いがけない言葉をきいて、返事のしようもありませんでした。だが、死ぬまえに、この一人の慾ばりの老人が、よい心になったのは、海蔵さんにもうれしいことでありました。
六
しんたのむねから打ちあげられて、少しくもった空で花火がはじけたのは、春も末に近いころの昼でした。
村の方から行列が、しんたのむねを下りて来ました。行列の先頭には黒い服、黒と黄の帽子をかむった兵士が一人いました。それが海蔵さんでありました。
しんたのむねを下りたところに、かたがわには椿の木がありました。今花は散って、浅緑の柔らかい若葉になっていました。もういっぽうには、崖をすこしえぐりとって、そこに新しい井戸ができていました。
そこまで来ると、行列がとまってしまいました。先頭の海蔵さんがとまったからです。学校かえりの小さい子供が二人、井戸から水を汲んで、のどをならしながら、美しい水をのんでいました。海蔵さんは、それをにこにこしながら見ていました。
「おれも、いっぱいのんで行こうか。」
子供たちがすむと、海蔵さんはそういって、井戸のところへ行きました。
中をのぞくと、新しい井戸に、新しい清水がゆたかに湧いていました。ちょうど、そのように、海蔵さんの心の中にも、よろこびが湧いていました。
海蔵さんは、汲んでうまそうにのみました。
「わしはもう、思いのこすことはないがや。こんな小さな仕事だが、人のためになることを残すことができたからのオ。」
と、海蔵さんは誰でも、とっつかまえていいたい気持ちでした。しかし、そんなことはいわないで、ただにこにこしながら、町の方へ坂をのぼって行きました。
日本とロシヤが、海の向こうで戦いをはじめていました。海蔵さんは海をわたって、その戦いの中にはいって行くのでありました。
七
ついに海蔵さんは、帰って来ませんでした。勇ましく日露戦争の花と散ったのです。しかし、海蔵さんの のこした仕事は、いまでも生きています。椿の木かげに清水はいまもこんこんと湧き、道につかれた人々は、のどをうるおして元気をとりもどし、また道をすすんで行くのであります。