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牛をつないだ椿の木 p.2

 つぎ大野おおのまちきゃくおくってきた海蔵かいぞうさんが、むら茶店ちゃみせにはいっていきました。そこは、むら人力曳じんりきひきたちが一仕事ひとしごとしてると、つぎのおきゃくちながら、やすんでいる場所ばしょになっていたのでした。そのも、海蔵かいぞうさんよりさきに三にん人力曳じんりきひきが、茶店ちゃみせなかやすんでいました。

 みせにはいって海蔵かいぞうさんは、いつものように、駄菓子箱だがしばこのならんだだいのうしろに仰向あおむけにころがってうっかり油菓子あぶらがしをひとつつまんでしまいました。人力曳じんりきひきたちは、おきゃくっているあいだ、することがないので、つい、駄菓子箱だがしばこのふたをあけて、油菓子あぶらがしや、げんこつや、ぺこしゃんというあめや、やきするめやあんつぼなどをつまむのがくせになっていました。海蔵かいぞうさんもまたそうでした。

 しかし海蔵かいぞうさんは、いま、つまんだ油菓子あぶらがしをまたもとのはこれてしまいました。

 ていた仲間なかまげんさんが、
「どうしただや、海蔵かいぞうさ。あの油菓子あぶらがしねずみ小便しょうべんでもかかっておるだかや。」
といいました。

 海蔵かいぞうさんはかおをあかくしながら、

「ううん、そういうわけじゃねえけれど、きょうはあまりべたくないだがや。」
と、こたえました。

「へへエ。いっこう顔色かおいろわるくないようだが、それでどこかわるいだかや。」
と、げんさんがいいました。

 しばらくしてげんさんは、ガラスつぼから金平糖こんぺいとう一掴ひとつかみとりすと、そのうちの一つをぽオいとうえげあげ、くちでぱくりとけとめました。そして、

「どうだや、海蔵かいぞうさ。これをやらんかや。」

といいました。海蔵かいぞうさんは、昨日きのうまではよくげんさんと、それをやったものでした。二人ふたり競争きょうそうをやって、けそこなったかずのすくないものが、相手あいてべつ菓子かしわせたりしたものでした。そして海蔵かいぞうさんは、この芸当げいとうでは ほかのどの人力曳じんりきひきにもけませんでした。

 しかし、きょうは海蔵かいぞうさんはいいました。

あさから奥歯おくばがやめやがってな、あまいものはたべられんのだてや。」

「そうかや、そいじゃ、よしさ、やろう。」

といって、げんさんはよしさんと、それをはじめました。

 二人ふたりいろとりどりの金平糖こんぺいとうを、天井てんじょうかってげあげてはそれをくちでとめようとしましたが、うまくくちにはいるときもあれば、はなにあたったり、たばこぼんのはいなかにはいったりすることもありました。

 海蔵かいぞうさんは、じぶんがするなら、ひとつもそらしはしないのだがなあ、とおもいながらていました。あまりげんさんとよしさんがとしてばかりいると、「よし、おれがひとつやってせてやろかい。」といってたくなるのでしたが、それをがまんしていました。これはたいへんつらいことでありました。

 はやく、おきゃくがくればいいのになあ、と海蔵かいぞうさんはをほそめてあかるいみちほうていました。しかしおきゃくよりさきに、茶店ちゃみせのおかみさんが、きたてのほかほかの大餡巻おおあんまきをつくってあらわれました。

 人力曳じんりきひきたちは、おおよろこびで、一ぽんずつとりました。海蔵かいぞうさんもがまんできなくなって、すこしうごきだしましたが、やっとのことでおさえました。

海蔵かいぞうさ、どうしたじゃ。一せんもつかわんで、ごっそりためておいて、おおきなくらでもたてるつもりかや。」
と、げんさんがいいました。

 海蔵かいぞうさんはくるしそうにわらって、そとてゆきました。そして、みぞのふちで、かやつりぐさって、かえるをつっていました。

 海蔵かいぞうさんのむねうちには、拳骨げんこつのようにかた決心けっしんがあったのです。いままでお菓子かしにつかったおかねを、これからは使つかわずにためておいて、しんたのむねしたに、人々ひとびとのための井戸いどろうというのでありました。

 海蔵かいぞうさんは、はらもいたくありませんでした。のどからるほど、お菓子かしはたべたかったのでした。しかし、井戸いどをつくるために、いままでの習慣しゅうかんをあらためたのでありました。

 それから二ねんたちました。

 うしをたべてしまった椿つばきにも、はなが三つ四ついたじぶんの海蔵かいぞうさんは半田はんだまちんでいる地主じぬしいえへやっていきました。

 海蔵かいぞうさんは、もうつきほどまえから、たびたびこのいえたのでした。井戸いどるおかねはだいたいできたのですが、いざとなって地主じぬしが、そこに井戸いどることをしょうちしてくれないので、何度なんどたのみにたのでした。その地主じぬしというのは、うし椿つばきにつないだ利助りすけさんを、さんざんしかったあの老人ろうじんだったのです。

 海蔵かいぞうさんがもんをはいったとき、いえなかから、ひえっという ひどいしゃっくりおとがきこえてました。

 たずねてると、一昨日いっさくじつから地主じぬし老人ろうじんは、しゃっくりがとまらないので、すっかりからだがよわって、とこについているということでした。それで、海蔵かいぞうさんはお見舞みまいにまくらもとまできました。

 老人ろうじんは、ふとんをなみうたせて、しゃっくりをしていました。そして、海蔵かいぞうさんのかおると、

「いや、何度なんどまえたのみにきても、わしは井戸いどらせん。しゃっくりがもうあと一にちつづくと、わしがぬそうだが、んでもそいつはゆるさぬ。」
と、がんこにいいました。

 海蔵かいぞうさんは、こんなにかかったひとあらそってもしかたがないとおもって、しゃっくりにきくおまじないは、ちゃわんにはしを一ぽんのせておいて、ひといきにみずをのんでしまうことだとおしえてやりました。

 もんようとすると、老人ろうじん息子むすこさんが、海蔵かいぞうさんのあとをってきて、
「うちの親父おやじは、がんこでしようがないのですよ。そのうち、わたしだいになりますから、そしたらわたしがあなたの井戸いどることを承知しょうちしてあげましょう。」
といいました。

 海蔵かいぞうさんはよろこびました。あの様子ようすでは、もうあの老人ろうじんは、あと二、三にちぬにちがいない。そうすれば、あの息子むすこがあとをついで、井戸いどらせてくれる、これはうまいとおもいました。


 そのよる夕飯ゆうはんのとき、海蔵かいぞうさんはとしとったおかあさんに、こうはなしました。

「あのがんこもん親父おやじねば、息子むすこ井戸いどらせてくれるそうだがのオ。だが、ありゃ、もう二、三にちぬからええて。」

 すると、おかあさんはいいました。
「おまえは、じぶんの仕事しごとのことばかりかんがえていて、わるこころになっただな。ひとぬのをちのぞんでいるのはわるいことだぞや。」

 海蔵かいぞうさんは、とむねをつかれたようながしました。おかあさんのいうとおりだったのです。


 つぎあさはやく、海蔵かいぞうさんは、また地主じぬしいえかけていきました。もんをはいると、昨日きのうよりちからのない、ひきつるようなしゃっくりこえこえてました。だいぶ地主じぬしからだよわったことがわかりました。

「あんたは、またましたね。親父おやじはまだきていますよ。」
と、息子むすこさんがいいました。

「いえ、わしは、親父おやじさんがきておいでのうちに、ぜひおあいしたいので。」
と、海蔵かいぞうさんはいいました。


 老人ろうじんはやつれてていました。海蔵かいぞうさんはまくらもとに両手りょうてをついて、

「わしは、あやまりにまいりました。昨日きのう、わしはここからかえるとき、息子むすこさんから、あなたがねば息子むすこさんが井戸いどゆるしてくれるときいて、わるこころになりました。もうじき、あなたがぬからいいなどと、おそろしいことを平気へいきおもっていました。つまり、わしはじぶんの井戸いどのことばかりかんがえて、あなたのぬことをちねがうというような、おににもひとしいこころになりました。そこで、わしは、あやまりにまいりました。井戸いどのことは、もうおねがいしません。またどこか、ほかの場所ばしょをさがすとします。ですから、あなたはどうぞ、なないでください。」
と、いいました。

 老人ろうじんだまってきいていました。それからながいあいだだまって海蔵かいぞうさんのかお見上みあげていました。

「おまえさんは、感心かんしんなおひとじゃ。」
と、老人ろうじんはやっとくちっていいました。

「おまえさんは、こころのええおひとじゃ、わしはなが生涯しょうがいじぶんのよくばかりで、ひとのことなどちっともおもわずにきてたが、いまはじめておまえさんのりっぱなこころにうごかされた。おまえさんのようなひとは、いまどきめずらしい。それじゃ、あそこへ井戸いどらしてあげよう。どんな井戸いどでもりなさい。もしってみずなかったら、どこにでもおまえさんのきなところにらしてあげよう。あのへんは、みな、わしの土地とちだから。うん、そうして、井戸いど費用ひようがたりなかったら、いくらでもわしがしてあげよう。わしは明日あしたにもぬかもれんから、このことを遺言ゆいごんしておいてあげよう。」

 海蔵かいぞうさんは、おもいがけない言葉ことばをきいて、返事へんじのしようもありませんでした。だが、ぬまえに、この一人ひとりよくばりの老人ろうじんが、よいこころになったのは、海蔵かいぞうさんにもうれしいことでありました。

 しんたのむねからちあげられて、すこしくもったそら花火はなびがはじけたのは、はるすえちかいころのひるでした。

 むらほうから行列ぎょうれつが、しんたのむねりてました。行列ぎょうれつ先頭せんとうにはくろふくくろ帽子ぼうしをかむった兵士へいし一人ひとりいました。それが海蔵かいぞうさんでありました。

 しんたのむねりたところに、かたがわには椿つばきがありました。いまはなって、浅緑あさみどりやわらかい若葉わかばになっていました。もういっぽうには、がけをすこしえぐりとって、そこにあたらしい井戸いどができていました。

 そこまでると、行列ぎょうれつがとまってしまいました。先頭せんとう海蔵かいぞうさんがとまったからです。学校がっこうかえりのちいさい子供こども二人ふたり井戸いどからみずんで、のどをならしながら、うつくしいみずをのんでいました。海蔵かいぞうさんは、それをにこにこしながらていました。

「おれも、いっぱいのんでこうか。」

 子供こどもたちがすむと、海蔵かいぞうさんはそういって、井戸いどのところへきました。

 なかをのぞくと、あたらしい井戸いどに、あたらしい清水しみずがゆたかにいていました。ちょうど、そのように、海蔵かいぞうさんのこころなかにも、よろこびがいていました。

 海蔵かいぞうさんは、んでうまそうにのみました。

「わしはもう、おもいのこすことはないがや。こんなちいさな仕事しごとだが、ひとのためになることをのこすことができたからのオ。」
と、海蔵かいぞうさんはだれでも、とっつかまえていいたい気持きもちでした。しかし、そんなことはいわないで、ただにこにこしながら、まちほうさかをのぼってきました。

 日本にっぽんとロシヤが、うみこうでたたかいをはじめていました。海蔵かいぞうさんはうみをわたって、そのたたかいのなかにはいってくのでありました。

 ついに海蔵かいぞうさんは、かえってませんでした。いさましく日露戦争にちろせんそうはなったのです。しかし、海蔵かいぞうさんの のこした仕事しごとは、いまでもきています。椿つばきかげに清水しみずはいまもこんこんとき、みちにつかれた人々ひとびとは、のどをうるおして元気げんきをとりもどし、またみちをすすんでくのであります。


公益のための自己犠牲」という、素晴らしい生き方をテーマにしたお話です。

大富豪でも貧乏人でも、善人でも悪人でも、賢者でも愚者でも、いずれ肉体は死を迎え 魂が天に召されます。

その最期の瞬間に 笑顔で悔いなく他界できるのは、「自己中心に生きた人生」or「公益のために生きた人生」のどちらでしょうか?

・・・読者の皆さまは、どちらだと思いますか?