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牛をつないだ椿の木

新美南吉 著『牛をつないだ椿の木

【ひとこと紹介】公益のための自己犠牲について学べるお話。「自己中 or 大義に生きる」 果たしてどちらの人生のほうが 後悔しないでしょうか?

新美 南吉
(にいみ なんきち)

1913年(大正2年)〜1943年(昭和18年)。日本の児童文学作家。本名は新美 正八(旧姓:渡邊)。結核により29歳の若さで他界。

4歳で実母を亡くし、その後 継母である "しん" に育てられました。しんは養子である南吉と実子を分け隔てなく愛したそうです。

南吉は生涯をかけて「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」を追求。その思想は彼の作品にも表れています。

牛をつないだ
椿の木

 やまなかみちのかたわらに、椿つばき若木わかぎがありました。牛曳うしひきの利助りすけさんは、それにうしをつなぎました。

 人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、椿つばき根本ねもと人力車じんりきしゃをおきました。人力車じんりきしゃうしではないから、つないでおかなくってもよかったのです。

 そこで、利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、みずをのみにやまなかにはいってゆきました。みちから一ちょうばかりやまにわけいったところに、きよくてつめたい清水しみずがいつもいていたのであります。

 二人ふたりはかわりばんこに、いずみのふちの、しだぜんまいうえ両手りょうてをつき、はらばいになり、つめたいみずにおいをかぎながら、鹿しかのようにみずをのみました。はらのなかが、ごぼごぼいうほどのみました。

 やまなかでは、もう春蝉はるぜみいていました。

「ああ、あれがもうしたな。あれをきくとあつくなるて。」
と、海蔵かいぞうさんが、まんじゅうがさをかむりながらいいました。

「これからまたこの清水しみずを、ゆききのたンびにませてもらうことだて。」
と、利助りすけさんは、みずをのんであせたので、手拭てぬぐいでふきふきいいました。

「もうちと、みちちかいとええがのオ。」
海蔵かいぞうさんがいいました。

「まったくだて。」
と、利助りすけさんがこたえました。

ここのみずをのんだあとでは、だれでもそんなことを挨拶あいさつのようにいいあうのがつねでした。


 二人ふたり椿つばきのところへもどってると、そこに自転車じてんしゃをとめて、一人ひとりおとこひとっていました。そのころ自転車じてんしゃ日本にっぽんにはいってたばかりのじぶんで、自転車じてんしゃっているひとは、田舎いなかでは旦那衆だんなしゅうにきまっていました。

だれだろう。」
と、利助りすけさんが、おどおどしていいました。

区長くちょうさんかもれん。」
と、海蔵かいぞうさんがいいました。

そばにてみると、それはこの附近ふきん土地とちっている、まちとしとった地主じぬしであることがわかりました。そして、も一つわかったことは、地主じぬしがかんかんにおこっていることでした。


「やいやい、このうしだれうしだ。」
と、地主じぬし二人ふたりをみると、どなりつけました。そのうし利助りすけさんのうしでありました。

「わしのうしだがのイ。」

「てめえのうし? これをよ。椿つばきをみんなってすっかり坊主ぼうずにしてしまったに。」

 二人ふたりが、うしをつないだ椿つばきると、それは自転車じてんしゃをもった地主じぬしがいったとおりでありました。わか椿つばきの、やわらかいはすっかりむしりとられて、みすぼらしいつえのようなものがっていただけでした。

 利助りすけさんは、とんだことになったとおもって、かおをまっかにしながら、あわててからつなをときました。そしてもうしわけに、うしくびったまを、手綱たづなでぴしりとちました。

 しかし、そんなことぐらいでは、地主じぬしはゆるしてくれませんでした。地主じぬし大人おとな利助りすけさんを、まるで子供こどもしかるように、さんざんしかりとばしました。そして自転車じてんしゃのサドルをパンパンたたきながら、こういいました。

「さあ、なんでもかんでも、もとのようにをつけてしめせ。」

 これは無理むりなことでありました。そこで人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんも、まんじゅうがさをぬいで、利助りすけさんのためにあやまってやりました。

「まあまあ、こんどだけはかにしてやっとくんやす。利助りすけさも、まさかうし椿つばきってしまうとはらずにつないだことだで。」

 そこでようやく地主じぬしは、はらのむしがおさまりました。けれど、あまりどなりちらしたので、からだがふるえるとみえて、二、三べん自転車じてんしゃりそこね、それからうまくのって、ってしまいました。


 利助りすけさんと海蔵かいぞうさんは、むらほうあるきだしました。けれどもうはなしをしませんでした。大人おとな大人おとなしかりとばされるというのは、なさけないことだろうと、人力曳じんりきひきの海蔵かいぞうさんは、利助りすけさんの気持きもちをくんでやりました。

「もうちっと、あの清水しみずみちちかいとええだがのオ。」
と、とうとう海蔵かいぞうさんがいました。

「まったくだて。」
と、利助りすけさんがこたえました。

 海蔵かいぞうさんが人力曳じんりきひきのたまりると、井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんがいました。人力曳じんりきひきのたまりといっても、むら街道かいどうにそった駄菓子屋だがしやのことでありました。そこで井戸掘いどほりの新五郎しんごろうさんは、油菓子あぶらがしをかじりながら、つまらぬはなしおおきなこえでしていました。井戸いどそこから、そとにいるひとにむかってはなしをするために、井戸新いどしんさんのこえおおきくなってしまったのであります。

井戸いどってもなア、いったいいくらくらいでれるもんかイ、井戸新いどしんさ。」
と、海蔵かいぞうさんは、じぶんも駄菓子箱だがしばこから油菓子あぶらがしを一ぽんつまみだしながらききました。

 井戸新いどしんさんは、人足にんそくがいくらいくら、井戸囲いどがこいの土管どかんがいくらいくら、土管どかんのつぎめをめるセメントがいくらと、こまかく説明せつめいして、

ず、ふつうの井戸いどなら、三十えんもあればできるな。」
と、いいました。

「ほオ、三十えんな。」
と、海蔵かいぞうさんは、をまるくしました。

それからしばらく、油菓子あぶらがしをぼりぼりかじっていましたが、
しんたのむねりたところにったら、みずるだろうかなア。」
と、ききました。それは、利助りすけさんがうしをつないだ椿つばきのあたりのことでありました。

「うん、あそこなら、ようて、まえやま清水しみずくくらいだから、あのしたならみずようが、あんなところへ井戸いどってなににするや。」
と、井戸新いどしんさんがききました。

「うん、ちっとわけがあるだて。」
と、こたえたきり、海蔵かいぞうさんはそのわけをいいませんでした。

 海蔵かいぞうさんは、からの人力車じんりきしゃをひきながらいえかえってゆくとき、
「三十えんな。……三十えんか。」
と、何度なんどもつぶやいたのでありました。


 海蔵かいぞうさんはやぶをうしろにしたちいさい藁屋わらやに、としとったおかあさんと二人ふたりきりでんでいました。二人ふたり百姓仕事ひゃくしょうしごとをし、ひまなときには海蔵かいぞうさんが、人力車じんりきしゃきにていたのであります。

 夕飯ゆうはんのときに二人ふたりは、そのにあったことをはなしあうのが、たのしみでありました。としとったおかあさんはとなりにわとり今日きょうはじめてたまごをうんだが、それはおかしいくらいちいさかったこと、背戸せどひいらぎはちをかけるつもりか、昨日きのう今日きょう様子ようすたが、あんなところにはちをかけられては、味噌部屋みそべや味噌みそをとりにゆくときにあぶなくてしようがないということをはなしました。

 海蔵かいぞうさんは、みずをのみにいっているあいだ利助りすけさんのうし椿つばきってしまったことをはなして、
「あそこのみちばたに井戸いどがあったら、いいだろにのオ。」と、いいました。

「そりゃ、みちばたにあったら、みんながたすかる。」
と、いって、おかあさんは、あのみちあつ日盛ひざかりにとお人々ひとびとをかぞえあげました。

大野おおのまちからくるまをひいて油売あぶらうり、半田はんだまちから大野おおのまちとお飛脚屋ひきゃくやむらから半田はんだまちへでかけてゆく羅宇屋らうやとみさん、そのほか沢山たくさん荷馬車曳にばしゃひき、牛車曳ぎゅうしゃひき、人力曳じんりきひき、遍路へんろさん、乞食こじき学校生徒がっこうせいとなどをかぞえあげました。これらのひとのどがちょうどしんたのむねあたりでかわかぬわけにはいきません。

「だで、みちのわきに井戸いどがあったら、どんなにかみんながたすかる。」
と、おかあさんははなしをむすびました。

 三十えんくらいで、その井戸いどれるということを、海蔵かいぞうさんがはなしました。

「うちのような貧乏人びんぼうにんにゃ、三十えんといやたいしたかねがまうが、利助りすけさんとこのような成金なりきんにとっちゃ、三十えんばかりはなんでもあるまい。」
と、おかあさんはいいました。海蔵かいぞうさんは、せんだって利助りすけさんが、山林さんりんでたいそうなおかねもうけたそうなときいたことをおもいだしました。

 ひと風呂ふろあびてから、海蔵かいぞうさんは牛車曳ぎゅうしゃひきの利助りすけさんのいえかけました。


 うしろやまで、ほオほオとふくろういていて、がけうえ仁左にざもんさんのいえでは、念仏講ねんぶつこうがあるのか、障子しょうじにあかりがさし、木魚もくぎょおとが、がけしたのみちまでこぼれていました。もうよるでありました。ってみると、はたらもの利助りすけさんは、まだ牛小屋うしごやなかのくらやみで、ごそごそとなにかしていました。

「えらいせいるのオ。」
と、海蔵かいぞうさんがいいました。

「なに、あれから二へん半田はんだまでかよってのオ、ちょっとおくれただてや。」
といいながら、うしはらしたをくぐって利助りすけさんがました。

 二人ふたりえんばなにこしをかけると、海蔵かいぞうさんが、
「なに、きょうのしんたのむねのことだがのオ。」
と、はなしはじめました。

「あのみちばたに井戸いどを一つったら、みんながたすかるとおもうがのオ。」
と、海蔵かいぞうさんがもちかけました。

「そりゃ、たすかるのオ。」
と、利助りすけさんがうけました。

うし椿つばきをくっちまうまでらんどったのは、清水しみずみちからとおすぎるからだのオ。」

「そりゃ、そうだのオ。」

「三十えんありゃ、あそこに井戸いどがひとつれるだがのオ。」

「ほオ、三十えんのオ。」

「ああ、三十えんありゃええだげな。」

「三十えんありゃのオ。」

 こんなふうにいっていても、いっこう利助りすけさんが、こちらのこころをくみとってくれないので、海蔵かいぞうさんは、はっきりいってみました。

「それだけ、利助りすけさ、ふんぱつしてくれないかエ。きけば、おまえ、だいぶ山林さんりんでもうかったそうだが。」

 利助りすけさんは、いままで調子ちょうしよくしゃべっていましたが、きゅうにだまってしまいました。そして、じぶんのほっぺたをつねっていました。

「どうだエ、利助りすけさ。」
と、海蔵かいぞうさんは、しばらくしてこたえをうながしました。

 それでも利助りすけさんは、いわのようにだまっていました。どうやら、こんなはなし利助りすけさんには面白おもしろくなさそうでした。

「三十えんで、できるげながのオ。」
と、また海蔵かいぞうさんがいいました。

「その三十えんをどうしておれがすのかエ。おれだけがそのみずをのむならはなしがわかるが、ほかのもんもみんなのむ井戸いどに、どうしておれがかねすのか、そこがおれにはよくのみこめんがのオ。」
と、やがて利助りすけさんはいいました。

 海蔵かいぞうさんは、人々ひとびとのためだということを、いろいろときましたが、どうしても利助りすけさんには「のみこめ」ませんでした。しまいには利助りすけさんは、もうこんなはなしはいやだというように、

「おかか、めしのしたくしろよ。おれ、はらがへっとるで。」
と、いえなかへむかってどなりました。

 海蔵かいぞうさんはこしをあげました。利助りすけさんが、よるおそくまでせっせとはたらくのは、じぶんだけのためだということがよくわかったのです。

 ひとりでみちをあるきながら、海蔵かいぞうさんはおもいました。 ―― こりゃ、ひとにたよっていちゃだめだ、じぶんのちからでしなけりゃ、と。

 たびひとや、まちへゆくひとは、しんたのむねした椿つばきに、賽銭箱さいせんばこのようなものがるされてあるのをました。それにはふだがついていて、こういてありました。

「ここに井戸いどってたびひとにのんでもらおうとおもいます。こころざしのあるかたは一せんでも五りんでも喜捨きしゃしてください。」

 これは海蔵かいぞうさんのしわざでありました。それがしょうこに、それから五、六にちのち、海蔵かいぞうさんは、椿つばきかいあったがけうえにはらばいになって、えにしだのしたからくびったまだけし、人々ひとびと喜捨きしゃのしようをていました。

 やがて半田はんだまちほうからおばあさんがひとり、乳母車うばぐるましてきました。はなってかえるところでしょう。おばあさんははこをとめて、しばらくふだをながめていました。しかし、おばあさんはんだのではなかったのです。なぜなら、こんなひとりごとをいいました。

地蔵じぞうさんもなにもないのに、なんでこんなとこに賽銭箱さいせんばこがあるのじゃろ。」そしておばあさんはってしまいました。

 海蔵かいぞうさんは、右手みぎてにのせていたあごを、左手ひだりてにのせかえました。

 こんどはむらほうから、しりはしょりした、がにまたのおじいさんがやってました。「庄平しょうへいさんのじいさんだ。あのじいさんはむかし人間にんげんでも、めるはずだ。」と、海蔵かいぞうさんはつぶやきました。

 おじいさんははこをとめました。そして「なになに。」といいながら、こしをのばしてふだみはじめました。んでしまうと、「なアるほど、ふふウん、なアるほど。」と、ひどく感心かんしんしました。そして、ふところなかをさぐりだしたので、これは喜捨きしゃしてくれるなとおもっていると、とりしたのはふるくさい莨入たばこいれでした。おじいさんは椿つばき根元ねもとでいっぷくすってってしまいました。

 海蔵かいぞうさんはきあがって、椿つばきほうへすべりおりました。

 はこにとって、ふってみました。なんごたえもないのでした。

 がっかりして海蔵かいぞうさんは、ふうッと、といきをもらしました。

「けっきょく、ひとはたよりにならんとわかった。いよいよこうなったら、おれひとりのちからでやりとげるのだ。」
といいながら、海蔵かいぞうさんは、しんたのむねをのぼってきました。