おはようございます。
昨日から小学校の授業が始まり、子ども達はまた学校に通い始めました。
けんは夏休み中、平日はずっと放デイに通所。
療育に力を入れて下さる放デイなので、夏休みは長時間利用になり、気合を入れてみてくださったようです。
連絡帳を見ると、先生だけではなく、周りのお友達との関わりも出てきたということで、感謝、感謝です。
二次障害としての精神障害
さて、今日は少し真面目なテーマです。
発達障害の方々の中には、家族関係や友人関係、職場での人間関係でトラブルが生じ、それがきっかけで二次障害として何らかの精神障害を発症する人が少なくないと聞きます。
明らかに障害者だと分かりやすい特徴があれば、家族も友人も配慮をしてくれるかも知れませんが、
「ちょっと変わってる」という程度だと、かえって「何でこんなことができないんだ / 分からないんだ」と思われ、いじめを受けたり、非難や叱責を受けることも多いのではないでしょうか。
幼少年期の家族との関わり
そういう視点でけんの将来を考えると、
少年期にあたる今の時期の家族との関わりがとても重要だと思えてきます。
将来、色々と難しい経験があっても、それを乗り越えていけるだけの心の基礎を育ててあげる必要があります。
しかし我が家でも、けんはコトバがまだ少ないですし、一人で遊ぶ場面も多いため、
他に三人も兄弟がいると、どうしても関わりに差が出てきてしまいがちです。
親が子ども達それぞれに言葉を投げかける頻度、子ども達同士がお互いに一緒に遊んだりお喋りしたり、笑い合ったりする頻度、、、
そういう部分を見直してみると、けんは若干、他の三人より寂しいところがあるのではないかと感じます。
脱衣室に取り残されて
我が家では夕食後に子ども達をお風呂に入れますが、
けんは時々気分が乗らないと、ふろ上がりにパジャマを着るのに時間がかかったりします。
家族はみんな、歯磨きを始めたりしますから、けんを置いて先にリビングに行ってしまいます。(リビングでテレビを見ながら歯磨きです)
けんからすると、リビングからは家族の笑い声が聞こえ、パジャマを着る気持ちになれない自分は、いつまでも裸のまま、脱衣室に立っています。
何となく寂しいシーン。。。
それでよく裸のままリビングにやってきて、
「裸で出てこない~!」
と怒られ、すごすごと脱衣所に戻る。。。そんなことがあります。
心の声
そういう時のけんの心の声に関心を持ってみると
「僕のことも誰か見て」
「僕はまだ脱衣室にいるよ」
「みんなばっかりずるい」
「どうして僕はいつまでもパジャマを着れないんだろう」
もしかすると、そんな感じかも知れません。
自閉症を越えて
自閉症はコミュニケーションに難しさが出てくる障害でもあります。
ですから家族に悪気がなくても、
どうしても家族の中で心情的に寂しさを感じるシーンが多くなってしまいがちではないかと思います。
「自分は価値のある人間だ」
ということを、自分が育つ家族の中で感じられる子どもは幸せだと思います。
自閉症のハンディキャップがあっても、
そのことを伝えていけるような関わりをしていけば、
自閉症を治すことができなくても、自閉症を越えていけるのではないかと思います。
よく「自己肯定感」と表現される心の基礎の話になるのかと思います。
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