太宰治 著『走れメロス』
【ひとこと紹介】自分の命よりも友情を重んじた男の姿は、ついに人を信じられなかった王を改心させた。高校の教科書にも登場する有名なお話。
走れメロス
メロスは激怒した。必ず、かの
きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた このシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村のある律気な一牧人を、近々、
歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になってきた。路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年前にこの市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった
「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持ってはおりませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮らしをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」
聞いて、メロスは激怒した。「
メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城に入って行った。たちまち彼は、
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳をもって問いつめた。その王の顔は
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、
「言うな!」とメロスは、いきり立って
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落ち着いて
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、
「ああ、王は
「ばかな。」と暴君は、
「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと ほくそ笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに
「願いを、聞いた。その身代りを呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」
「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心は、わかっているぞ。」
メロスは口惜しく、
竹馬の友、セリヌンティウスは、深夜、王城に召された。暴君ディオニスの面前で、良き友と良き友は、二年ぶりで相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で