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ごんぎつね

新美南吉 著『ごんぎつね

【ひとこと紹介】いたずら好きな狐(きつね)が改心した。しかし最後は、すれ違いによって…。小学校の国語教科書の定番ともいえるお話。

新美 南吉
(にいみ なんきち)

1913年(大正2年)〜1943年(昭和18年)。日本の児童文学作家。本名は新美 正八(旧姓:渡邊)。結核により29歳の若さで他界。

4歳で実母を亡くし、その後 継母である "しん" に育てられました。しんは養子である南吉と実子を分け隔てなく愛したそうです。

南吉は生涯をかけて「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」を追求。その思想は彼の作品にも表れています。

ごんぎつね

 これは、わたしが小さいときに、村の茂平もへいというおじいさんからきいたお話です。

 むかしは、私たちの村のちかくの、中山なかやまというところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。

 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごんぎつね」という狐がいました。ごんは、一人ひとりぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種なたねがらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家ひゃくしょうやの裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。

 あるあきのことでした。二、三日雨がふりつづいたそのあいだ、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。

 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥もずの声がきんきん、ひびいていました。

 ごんは、村の小川おがわつつみまで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水がすくないのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、はぎの株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下かわしもの方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。

 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。

兵十ひょうじゅうだな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子ほくろみたいにへばりついていました。

 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。

 兵十はそれから、びくをもって川からあがりびくを土手どてにおいといて、何をさがしにか、川上かわかみの方へかけていきました。

 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手しもての川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。

 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、

「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。

 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

 十日とおかほどたって、ごんが、弥助やすけというお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内かないが、おはぐろをつけていました。鍛冶屋かじや新兵衛しんべえの家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、

「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。

なんだろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」

 こんなことを考えながらやって来ますと、いつのにか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢おおぜいの人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭てぬぐいをさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐず煮えていました。

「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。

「兵十の家のだれが死んだんだろう」

 おひるがすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵ろくじぞうさんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦やねがわらが光っています。墓地には、ひがんばなが、赤いきれのようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、かねが鳴って来ました。葬式の出る合図あいずです。

 やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声はなしごえも近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。

 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌いはいをささげています。いつもは、赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。

「ははん、死んだのは兵十のおっかあだ」

 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。

「兵十のおっ母は、とこについていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」

 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。

 兵十は今まで、おっ母と二人ふたりきりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。

「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」

 こちらの物置ものおきうしろから見ていたごんは、そう思いました。

 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。

「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」

 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助やすけのおかみさんが、裏戸口から、

「いわしをおくれ。」と言いました。いわしうりは、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へむかってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。

 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

 つぎの日には、ごんは山でくりをどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯ひるめしをたべかけて、茶椀ちゃわんをもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十のほっぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。

「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人ぬすびとと思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。

 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。

 ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。

 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。