「究極の選択」で意識が絞られる!?



行動に時間がかかる

我が家の自閉症児 けん は行動に時間がかかることがあります。

食事が長い

トイレが長い

靴を履くまでが長い。。。など。

様子を見ていると、行動の途中で 頭の中に別のことが思い浮かんでしまったり、その場の音とか目に飛び込んでくるものに心を奪われてしまっているようです。

それで、「今やるべきこと」に集中できない。そんな感じです。

けんの中の二つの心

色々なことに意識を囚われて 行動に時間がかかってしまう時、親としては

「それが けんの世界だから、仕方がないのかな?」と感じる時と、

「でも、本当は けんも 目の前のことに集中したいのにできなくて苦しいんじゃないかな?」と思う時があります。

たぶん、「自分のペースでやらせて欲しい心」「ちゃんとできるならしたい心」の両方がけんの中に存在するのではないか?と思うのです。

正解はわかりません。

専門家の先生方の間でも、そういう場合の対処方法に関して、意見が分かれるのではないかと思います。

ただ、我が家では けんの「ちゃんとできるならしたい心」を強く感じますので、そちらの方向に無理なく支援できればと思っています。

「情報の取捨選択」が難しい

健常者の耳は、人と話をする時には、要らない音をカットして、相手の声に上手に耳を傾けることができます。

また健常者の目は、自分が見るべきものに上手に集中することができます。

しかし けんは、この集中をその一点に合わせることが上手にできないようです。

「集中すべきこと以外の音や景色が目に飛び込んできて集中できない」

かと思えば、逆に

「何か一点に集中しすぎて、周りの声が全く入らない」

というようなこともあるようです。

要は「情報や刺激の取捨選択」が難しいんですね。

「究極の選択」を迫ると、急に集中する

けんの場合、「究極の選択」を提示すると、今やるべきことにフォーカスできることがあります。

例えば食事中に歩き回ったり、別のことに気を取られて時間がかかる時

「け~ん、食べないなら、片付けるよ~」

と言って、お茶碗を持っていくフリをします。そうすると

「ちょっと、それは待ってよ」

という感じでご飯を食べ始めます。

また、けんはトイレをする時、ドアを開けながら時間がかかる時があります。

私の推測では、トイレをしながらもリビングの音に耳を傾けてしまっているのでは?と思っています。

「け~ん、ドア閉めないなら、出ておいで~」

と言うと、ドアをバタンと閉めて、トイレを済ませて出てきます。

これを私たち夫婦は「究極の選択」と呼んでいます。

理由は分かりませんが、

「ダラダラやっていたら、肝心のご飯がどっかに行ってしまう!」

となると、意識がご飯にぐっとフォーカスするようなのです。

トイレの場合は

「え?リビングの音聴いてたら、トイレ中断させられんの!?・・・じゃあ、ドア閉めるか」

みたいな感じでしょうか。笑

まだそこまでしゃべれないので、本当の気持ちは分からないんですが。。。

「情報過多」って大変

けんが行動に時間がかかってしまうと、家族はイライラする時があります。

でも、けんの中では 音や景色など、目や耳に飛び込んでくる情報、皮膚感覚から入ってくる情報が溢れかえっているのでしょう。

「俺も、一生懸命やってんだけど!」

たぶん、そうだと思います。

だから、けんが自分を切り替えて行動できた時は、「ハイタッチ」で褒めてあげたいです。



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