障害児を授かって変化した視点

おはようございます。今朝も涼しい朝です。

ドライブしていると、GWくらいに農家の方々が田植えをしていた田んぼの稲がだいぶ伸びていました。

もう少ししたら稲穂が垂れてきて、徐々に刈り入れの時期が近づいてきますね。

昔、営業で外回りをしていた経験があり、当時はよく田んぼの変化を見ながら、

「もうそんな季節かぁ~、夏も終わりが近いな~」

などと考えていたので、今でもそうやって季節を感じる習慣が残っています。

「カズ君」を奇妙に感じた小学校時代

ところで、障害児を授かり療育をするようになって、私の中で少しものの見方が変化した部分があります。

それは障害を持った方々を見かけた時に「奇妙な感じ」があまりしなくなった、ということです。

私が小学生の頃、クラスに「カズ君」という友達がいました。

今から考えると、けんと似ていて、自閉症と知的障害の両方を持っていただろうと思います。

カズ君は「天気予報」を何度も繰り返してしゃべる、という習慣(こだわり)がありました。

授業中に突然「今日の天気です。〇〇地方は晴れのち曇り、△△地方は雨・・・」などと言いだします。

そして突然走り始めたり、大声をあげてみんなを驚かせたりしていました。

正直、私も含めクラスメイト達の中には「奇妙だ」「不思議な子だ」という気持ちを持っている人も多かったのではないかと思います。

(でも、カズ君は愛らしい子だったので、人気者でもありました)

「理解できない」から「奇妙」に感じる

「奇妙だ」という感情は、恐らく「理解できない」という感情から来ているのではないかと思います。

自分の尺度で考えた時に、自分との違いが大き過ぎて「理解できない」から「奇妙だ」と感じるのではないでしょうか。

けんの障害について徐々に理解を深めていくと、一見して奇妙な行動の背後にも、実は一つ一つ、本人なりの理由があることが分かってきました。

(特に、たびたび紹介している東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』を読んで、そのことがハッキリわかるようになりました。)

理解できなければ奇妙ですが、理由を理解できるようになれば奇妙ではありません。

「本人なりの理由がある」と考えてみることは、自閉症児を育てる家族にとっては必要なことで、

そうすることで、無闇に怒ったり、感情的に振り回されたりすることが減っていくのではないかと思います。

私もけんに対してそうでした。

そしてけんに限らず、最近は街で障害のある方(特に知的障害の方)を見かけた時、「奇妙だ」という感じはしなくなりました。

「障害を持った方の一見奇妙に見える行動の背後に、実は本人なりにそれが必要である理由がある」

このことだけでも理解が広まれば、障害を持った方々がもっと生きやすくなっていくのではないかと思います。


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