療育と多様性

朝起きたら、部屋が寒い~~。

おはようございます。

寒いけれどもまだ暖房を使うには早いということで、

電子レンジでチンして使える湯たんぽを抱きしめてパソコンに向かっているけんのパパです。

療育に関する記事を検索していて、

とても共感できる記事に出会いましたので、紹介します。

「療育」はその子の多様性を否定するのか?私が願うニューロダイバーシティの未来

この記事の筆者は

”「障害」というものは「個性」なのか、あるいは「疾病」「病気」なのか?”

ということを障害児の親としての実感を元に書いてくださっています。

どのように捉えるかによって、「療育」に対する考え方は大きく変わってくるように思います。

「障害は個性である」という考え方だけに偏ってしまうと、「療育」はその子をいわゆる「普通」に近づかせようとする親や社会の押し付けであり、個性の否定だという見方があり得ます。

一方で「障害は疾病である」という考え方からすれば、とにかく「早期療育が大切!」であり「治さなければ!」ということになります。

基礎としての「普通」”

私の意見はそのどちらかではなく、中間位にあるように思います。

けんを見ていて私が直感的に感じるのは、

まずは”基礎としての「普通」”を育てること必要であり、

その上で”発展のための「個性」”が必要ではないかな、ということです。

けんを見ていると、

自閉症という障害は単に脳の働きが個性的であるというだけでなく、

明らかに”全身疾患”であると感じられることがあります。

手、足、目、舌、のど、耳など、身体の様々な部分を動かしたり、情報をキャッチしたりといった機能がうまく働かない状態であり、

それによる”居づらさ”、”生きづらさ”があります。

「その時間、ただそこにいるだけで心地が悪い」

「しゃべりたくても、のどがうまく動かない」

「なんだか分からないけれども、身体が気持ち悪くて、大きな声を出してしまう」

「舌が鈍感で、おいしいと感じられるものが少ない」

「意識がぼーっとして何もやる気がしない」

・・・などなど。

何度も発声の練習をすればのどが動きやすくなったり、マッサージで心地が良くなったり、運動することで脳の血流が上がって意識がクリアになったりします。

こういうことは本人が個性を発揮して豊かな人生を送っていくための基礎となる部分です。

個性は神様の贈り物

一方で「障害」とはいっても、自閉症の場合には「発達の凸凹」の問題で、得意・不得意や、好き・嫌いなどのバランス問題だと見ることもできます。

けんの場合は、視覚優位な傾向があります。

だから食べ物は見た目で好き・嫌いを判断しているようです。

またアニメ映画などは英語の音声でもまったく気にする様子もなく、キャラクターの動きだけを見て何となくストーリーを理解して大笑いしています。

その視覚優位への偏りがあまりにも激しくて、生きづらさを感じる場合もあり、その場合に「障害」と呼ばれる状態だということです。

でも、健常者だとしても視覚優位な人や聴覚優位な人など、人によってバランスが異なり、それ自体は個性だと見ることもできます。

そう考えるとけんの自閉症も、完全にそれを無くそうと考えるより、困り感が生じるほどのバランスの偏りを調整することができれば良いのではないかということになります。

個性それ自体は神様がけんに与えてくださったもので、それを発掘し、活かしてあげたいものです。

「障害は病気なのか、個性なのか」。

どちらかに偏り過ぎず、

けん自身が幸せに生きていけるための能力を、親と本人の努力で伸ばしていくこと。

それが~、一番大事ぃ~♬ (ふ、古い!)


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